第276話:マッド・キラー


 行った先にも覚悟していたように数名の遺体があり、いずれも息はない。

 共通しているのはいずれも刀傷のようなもので全身を無惨に斬り捨てられた傷があり、一瞬で絶命させられたことは明らかだ。

 これだけの芸当が出来るのは紅月を思い起こさせるが、あの男が自ら動いて行うのは変異者の集団殺人のみではしっくり来ない。


 そして、何より彼らが変異者だとして数名ごとに固まっているのは何故だ。


 こんな都合よく変異者がまるで紅の空に魅入られたかのように集う状況そのものが不自然としか言えない。

 明らかに異常な蒼葉市内を組織立って動いている変異者グループがあるのなら。


「マッド・ハッカー……?」


 彼らを殺して歩いている存在がいるとすれば何者なのか。

 正体を突き止めるには相手を捕えるしかないが、探知に近い嗅覚を持っている唯ならば捉えられるはずと踏んだ。

 その勘はどうやら当たったらしく、ガラスが砕け散る音が真上から響く。

 既にアスタロトは装着済み。どうやら唯が交戦を始めたようだと風の推進力を使って強引に音がした方向まで駆け上がる。


 唯ともう一名が対峙していたのは、ビル内で運営されるショールーム。


 幸いにも管理局が出した避難勧告によって、ここの人間は退避したらしい。

 商売道具を傷付けるのは心が痛むも、今はそう言っていられる場合ではない。


「おいおい……随分と乱暴だな、あんたら。初めましてだな、黒の騎士。俺は榊木、マッド・ハッカーの一員だ。メンバーから聞いてんだろ?」


「そっちこそ随分といい度胸じゃん。わたしは皆ほど甘くないよ」


「おい、止めろ。俺に何か話でもあるのか?」


 そこにいた男から零れたのは、話には聞いている名だった。

 以前に逃走した榊木と名乗ったマッド・ハッカーの烏間の下にいた男。彼は肩を竦めると戦意はないと言いたげに両手を上げて見せた。

 しかし、以前にこの男は得体の知れない現象を起こして、エンプレス・ロアから逃げ切った力の持ち主だと判明している。

 油断は微塵もせず、周囲に漆黒の風を這わせながら唯を一旦は制止した。


「お前が仲間を殺したのか?あそこにいるのはマッド・ハッカーだろ」


「ああ、そうだよ。アレを殺したのは俺じゃねえし、この災害を起こした元凶も俺じゃない。信じるかは知らんけどな」


「それを仮に信じたとして、お前は犯人を見たのか?」


「アレは“死神”さ。俺はただ生き延びただけだ」


 売り物のソファーに身を落ち着けて、愉快そうに笑みを溢す男はどうやら嘘を言っているようには思えない。

 一撃で両断された被害者と聞いている榊木の能力は完全に違っているように思えたし、マッド・ハッカーがいる以上は榊木がいても不思議ではない。


「なぜ、マッド・ハッカーは集結していたんだ?」


「紅月が今回の事件の元凶なら俺達を必ず潰しに来る。狩られる側が群れるのは当然の真理だと思うがね」


 烏間を殺害したように紅月は必要だったから利用しただけで、彼らの存在を決して本心から許してはいない。

 そうなれば、今回の大災害は無差別に住民を殺害することが目的ではなく、何者かを粛清あるいは裁くための仕掛けと考えられる。

 だが、狙っている一人あるいは数人を殺す為であればここまで大きな仕掛けをする必要はないし、紅月一人で事足りるだろう。


 無差別に変異者が殺されている様子はないので、そうなれば紅月の狙いは『殺すべき大人数を殺す』ことだと推察できる。


 確かにマッド・ハッカーが現に狙われて殺害されている事実もあって、榊木の返答は不審な点は特にないと言えよう。


「それで死神ってのは何だ?」


「アレは目覚めて間もない頃に、すぐに人殺しになることを選んだ死神さ。どうやら紅月は管理局に捕まった化け物を解き放っちまったらしい」


「化け物……だと?」


「それより、今後のことを考えた方がいいんじゃないのかい?管理局が機能するまでには時間が要る。俺一人を捕まえるよりも必要なことがあるだろーよ」


 大量の変異者が捕らえられるだろう、この騒動を収める為に収監する管理局は一部の機能を壊滅させられた。

 別の拠点もあるとはいえ、変異者の収監をしていた施設から幾人も脱走したということはほぼ新規の収監は不可能になったはずだ。

 司令塔の楓人が榊木に時間を費やせば、それだけ対応が遅れる。


「残念だけど、俺にはまだ為すべきことがある。お互いにここは退くとしようぜ」


「―――逃がすと思って……ッ!!」


 わずかに頭痛がして視界が揺らいだ気がしたが、楓人は頭を振って踏み留まるとソファーから立ち上がろうとしていた榊木の腕を捉える。


「へえ、そんな短時間で動けるようになるなんてな……凄げえーじゃん」


 カランと乾いた音と共に榊木の腕がフローリングの床に落ちる。

 そんな人体の構造的にはあり得ない現象を前に、楓人は話合いに持ち込んで生んだわずかな隙に榊木が逃れたのだと知った。

 これはスカイタワーの時と同じで相手を欺く手段を持った敵がいる事実を示す。


 あの人形の操者、西形もまた脱走して敵側にいるということだ。

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