第260話:一進一退



 彗は人狼と相対する中で、ある懸念を抱いて戦い続けていた。


 人狼が黒の騎士と戦闘を行った時点で持つ能力だけであれば、二人でも十分に攻略可能だと彗は踏んだ。そうは言っても、その前提は九重のようにストックに限りがある場合を想定している。

 無限に能力を喰らい続けられる変異者など存在するはずもない。

 だが、黒の騎士から喰らった能力を使ってこない時点で、もっと最悪の可能性を疑っておくべきだったのだ。


 仮に黒の騎士の能力を捨てた、あるいはストックの限界が二つでない場合。


 二人の知らない強力な攻撃手段を備えているかもしれなかったのだ。

 そして、奪ったものが楓人から聞いている紅月という変異者の力の一端だとすれば、二人でも手に負える相手ではなくなるということ。


「……こりゃ、マズいっすね」


 眼前の人狼からは紅の輝きが零れ出し、表面を薄っすらと覆った状態で光が安定した直後に敵は遠慮も迷いもなく動き出す。

 完全に予測していた速度を超えて、人狼は地面を蹴り砕く。

 速度は彗が全力でかかっても相手が上、身のこなしでは彗が勝るが果たして速度面での敗北を埋め得るかと言うと否定せざるを得ない。


 人の身体能力を超える能力の疾走を止めるのは相当な難関。


 人が殴り合った時に勝利をもたらす要素の一つは相手を一撃で打ち倒す力。

 力に加えて『どれだけの速度か』、『速度を制御できる肉体を持つかどうか』が最も勝敗を決するに必要な要素になる。

 今の人狼は肉体の頑強さに上乗せし、速度と破壊力を持った人間どころか変異者をも超える獣へと進化していく。


「……こ、のッッ!!」


 彗は襲い来る爪を蹴り上げて逸らしながらも再び体勢を立て直す。

 九重はインドラで援護しようとすれば攻撃を吸収され、アスタロトで戦おうにも防御も反応も追い付かない状況だ。

 そうなれば、ここにいるだけ無駄だと彗は瞬時に撤退を決意した。

 勝てない相手に粘るのはただの蛮勇でしかなく、これに勝てるのは最強の都市伝説だけだと冷静に撤退の方法を頭に巡らせる。


 九重を守りながら厄介な相手を捌く撤退は困難を極めるだろう。


 それでも、彼はリーダーに任されてしまったのだから。


「距離取って。いいから速くッ!!」


 彗には似つかわしくもない真剣な表情で短く、九重を促して数歩先に逃がす。

 留まった彼は全身を脱力した状態で瞳のみで人狼を追い、身を沈めた人狼の全身へと瞬時に視線を走らせ終えた。


 彗は今までに色々な変異者と戦って学んだことがあった。


 動きが速かろうと基本的な動作の法則は人間とそう変わらない相手が多い、事実あるいは法則に近いもの。

 相手よりも動きで上回る他に勝ち筋がない彗だからこそ、相手の初動を見ることに関してはコミュニティー内でも並ぶ者無き達人と言えよう。


「……ははッ」


 乾いた唇で笑みを作った彗は獰猛に嗤う。

 クズと断じた自分が身を挺して、誰かを守っている事実を実感しつつ“人は変わるものだ”と自嘲の意味を込めたのだ。

 極限まで研ぎ澄まされた集中力が、人狼の体の重心をはっきりと教えてくる。

 来るとすれば右側から、余計な素振りを見せず真っ直ぐに速度の差を活かした戦法で完璧に潰しにくるはず。


 狼はすれ違い様に、獲物の腹を引き裂いたつもりでいたはずだ。


 だが、わずかの間に速度のイメージを修正して反撃を実行しうる人間がいようとは彼も予測はしていなかった。

 彗がほぼ身体能力のみを活かす戦法を続けたことで得た読みと反射神経は、第二の能力と言える程に変異者同士の戦いでは強力な武器になる。


「いい加減、うぜーんスよ」


 待ち構えた右の拳が最大威力を以て、人狼の右頬の仮面を打ち砕くと数メートル席にあっさりと吹き飛ばしていた。

 イメージと実戦経験と彗自体の動きの質、これらが成し得た神業。

 彗は“この程度ではまだ終わるはずがない”と油断なく構え、こちらに襲い来る相手の動きを読む試みを継続した。


 今度は左から来る。予想自体は何も外れてはいなかった。


 だが、一つ外れていたとすれば———



「く、そがッ……!!」



 ———狙いそのものがズレていた失策には気づかなかった。


 彗の予測はあくまでも攻めて来る結果を前提とした読みに過ぎない。

 人狼程の速度の相手にはいかに彗とは言っても、状況を選ばず全ての動きを詳細に読み切れるわけでもない。

 つまり、人狼が標的を変えた素振りを見せなかった以上は、反応が出遅れれば彗ですら人狼の疾駆には追い縋れない。


 されど、九重とて強力な変異者に及ばないまでも渡り合った人間だ。


「くッ、アスタロトッ!!」


 振るわれた槍で九重は人狼の一撃を辛うじて弾き返す。

 一撃で霧散した槍を前に、次の一撃が振るわれるまでの間で九重は追われた時の為に残していたカードを切る。言葉を発する刹那が九重に残された時間。


「……偽盾戦型シールドッ!!」


 巻き起こるは小さな風を極限まで集結した塊。今の九重が出せる最大出力を一箇所に込めた不格好な盾だった。

 限られた少ないエネルギーを圧縮することで、黒の騎士が膨大な風を持つ故に至らなかった極端に小さく風を圧縮する技術の結晶。

 小規模な嵐が人狼の爪を弾き返して攻撃動作を中止させるが、これを喰われれば全てが終わると九重は最後には相棒に頼らざるを得ない。


 全ては期待通り、追い付いた彗の拳が人狼を地面へと叩き落していた。

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