第233話:至高の紅
エンプレス・ロアはあらゆる主張主義がぶつかりながらもお互いを尊重できる場所でありたいと常々思っている。
リーダーだろうが何だろうが関係なく、間違っているものは間違っていると言える組織を作れているはずだった。
「さて、ちょっと休もうぜ。いつ忙しくなるかわからないんだ」
そして、眠れなくならないように紅茶を三人で味わう日常が戻ってくる。
———その裏、事態に大きな変化が起きていた。
蒼葉西区内、路地裏の地下へと続く階段を一人の男が下っていた。
暗い紅色をした髪の男は薄暗い中でも、目も覚めるような端麗な容姿をしていることが見て取れる程だった。
夜の時間にも関わらず“CLOSED(営業時間外)”の札をドアに吊り下げた店を無視して、男はぐしゃりと鍵のかかったドアを難なくこじ開ける。
「…………何だ、てめえは?」
中には数名の男とカウンターで酒を注いでいる若い女性の姿があった。
一般市民ならば酒宴を邪魔する趣味はないのだが、テーブルに置かれた紅の錠剤が入ったケースを見た紅月柊は不快げに目を細める。
得た情報は正しかったのだと改めて確信して、再び店の内部を見渡した。
「やはり
奥で酒を傾ける男の姿を見て、紅月は反射的に彼がこの場を取り仕切っている人間だろうと目星をつけた。
最初に睨み付けてきた男を意にも介さずに、紅月は奥の男へと歩み寄る。
「おい、誰だッつってんだろ!!」
「どいてくれないか?意味のない暴力は出来るだけ避けたい」
穏やかに告げた紅月の力量に誰も恐れを抱かないのは、彼が戦意を向けていないというだけの話でしかない。
「鍵までぶっ壊しやがって、覚悟は———」
「キミに興味はないんだ。済まないな」
何が起こったのか、男にもわかってはいないに違いない。
男が変異者であると判断を下した紅月は、目にも止まらぬ速度で事も無げに男を地面へと叩き伏せていた。
そうそう敵う者がいるはずがなく、紅月は未だに並ぶ者なき変異者の頂点に立つ男なのだから。
他の者も戦意を失って邪魔する者がいなくなった道を歩むと、紅の王はついに目的の人物の元へと辿り着く。
「キミが変異薬を売り捌いている人間、という認識でいいのかな?」
「………ああ」
やや暗がりでも顔がはっきりと見えたが、思ったよりも若い男だ。
男は立ち上がるなり紅月に向かって低い声で囁き、二人は店の外に出るなり暗い路地内で対峙していた。
紅月に男が告げたのは、“外に出ろ”という短い宣戦布告でしかなかった。男からすれば
そして、ようやく紅月は相手の正体を知って笑みを浮かべた。
「血の気が随分と多いな、
「…………」
夜の闇に姿を現したのは、闇に溶ける色をした鋼の人狼。
その姿は本当に闇に掻き消え、そう簡単に紅月と言えど場所を把握することはできないまでに能力は洗練されている。
その具現器の能力を見て、紅月はわずかに怪訝そうな顔をした。
「覚えのある気配だ。成程、どうやら他人の能力を喰えるらしい」
そう告げた瞬間に大気が唸り、空間から爪が紅月へと打ち下ろされる。
いかに彼が優れた変異者だろうと、人間である以上は絶対的な死角があると踏んでの奇襲は疑いようもなく正しい戦術だった。
能力を一目で見抜いた人間が初めてだろうと、人狼側からすれば関係はない。
一撃で喉を裂けば、何を
だが、その爪は何もないはずの空間に弾かれる。
闇に隠れた人狼もさすがに異様な現象を前に息を呑んで、慎重に様子を伺う他になくなっていた。
「どうした、俺は何もしていないよ」
ただ、立っているだけの人間一つを破壊できない。
何の力を発現しているかが見えないせいで、相手の力を吸収して自らの力にすることも出来ない。
ただ、悠然と佇むだけの紅月は一手で相手の攻め手を悉く潰していた。
「…………ッ!!」
だが、幸いにも人狼側には竜胆から奪った、爪の威力を強化する能力が未だに宿り続けている。
これを使えば、いかに紅の男が頑強な肉体だろうと貫けないはずがない。
何より、ここで殺さなければ危険だと彼の勘が警鐘を鳴らし続けていた。
そして、次はないと人狼は呼吸を測り、再び首を飛ばすべく仕掛けた。
このまま
だが、紅の王は目を閉じると静かに命じる。
「―――踏破せよ、アーク」
刹那、人狼の目からはこの世界が違った姿に見えていた。
空も、地面も、壁も、全てが薄っすらと紅に染まっているのを見て根源的な恐怖がようやくせり上がってくる。
これがこの男の
こいつは違う、今までに出会ったどんな変異者とも。
周囲の空間までも変異させる桁違いの力と影響力を見て、恐れぬ者などそうはいないはずだ。
そうして、人狼は紅の世界に佇む王の姿を確かに見た。
———究極を体現した紅の騎士がそこにいた。
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