第93話:紅の変異者


「アイツ、信用できるんすか?」


 胡散臭いと言いたげに彗は白銀の騎士が去った方向に目をやって吐き捨てた。

 どうやら何かが彗の琴線に引っ掛かったのか、随分と嫌われたものだ。


「そこらの奴よりは信用できると思うぞ。少なくとも俺を利用してる内は手は出して来ないさ」


「ま、リーダーがそれでいいなら俺はオッケーっすけどね」


 彗と話をしながら周囲を探って、何か手掛かりがないかを確認してから引き上げることにした。

 あれだけいた人形の破片も腕や足の形からただの鋼に戻り、体躯自体が効力を失ったように縮小を始めていた。

 元はその辺の鉄骨などの素材で人形を創り上げたようで、やはり動きが良かった人形は全てが展示用に使われていたものや倉庫から持ち出されたマネキンだ。


 今回の襲撃ではっきりした事実の最たるものは、人形が人を襲わないという噂は嘘だったということ。


 あそこで制止に入らなければ、椿希の命は奪われていたかもしれないと思い返すとぞっとしてしまう。

 椿希がエンプレス・ロアの仲間だと思われていた可能性もあるので、しばらくは燐花やカンナと協力して護衛に付くとしよう。


 カフェに戻ってから今後の対策含めてエンプレス・ロアのメンバーと話し合うことにして、この場は解散する。


 彗は再びスカイタワー周辺の情報収集を行い、何かあれば楓人に連絡することになった。


 ・・・・・・だが、なぜだろうか。


 まるで何かを見落としているかのように、ろくに根拠もない妙な焦燥感が楓人の胸にはわずかに広がっていた。


 燐花から通信が入ったのは彗と別れた直後だった。


『楓人ッ!!明璃がさっき敵を追って出て行ったわ』


「わかった。俺もそちらに向かう」



 ―――異変に最初に遭遇したのは明璃だった。



 タワー裏から逃走を開始した影を見かけた彼女は、咄嗟に燐花にだけ連絡を取りつつも急いで敵の後を追うことにした。

 この影は間違いなく人形を使っていた変異者だが、どうやって楓人達から逃れたかは知らないがここで逃がすわけにはいかない。

 人形を操る人間を逃がせば新たな被害が出る可能性が高いからだ。


『明璃……!!楓人には連絡しておくから距離を取って、無理はしないで!!』


「わかってる。でも、もうすぐ―――」


 もうすぐ追いつけるからと言おうとして、明璃はその場で敵を追うのを止めた。

 逃げる影の姿は捕捉しているのに今は止まらなければと体が勝手に反応して停止の動作を選ばせた。


 明確な手掛かりを逃がすことよりも、今はこの場に留まるべきだと明璃の勘が制止をかけたのだ。


「エンプレス・ロアのメンバーだね?」


 目の前に一人の若い男が立ち塞がっていた。


 紅がかった髪に物静かで理知的な色を含んだ瞳、年齢は楓人と同じ程度に見えるが纏う雰囲気は遥かに大人びている。

 その見惚れるような端麗な容姿と相まって、目の前の相手が自分達とは存在そのものが違うと錯覚を覚えた。変異者を前にして、武装もせずにここまで落ち着き払っていられるレベルの人間は限られる。

 精神を制御する時点でこの男は変異者として高い完成度を誇ることは明白だ。


「・・・・・・あなたは誰?そこをどいてくれないかな」


 異様な気配に負けないように気丈に声を掛けるが、それさえも男は察しているようで笑みを浮かべたままで行く手を遮るばかりだ。


「まだ奴は泳がせる必要がある。こちらからも言葉を返そう、今は退くんだ」


「ごめんなさい。今はあの人を逃がすわけにはいかないの」


 男の涼やかな声からは無言で放たれる威圧感に似たものが自然と宿っており、語気などで威圧しなくても人を従わせる魔力を持っていた。


「そうか・・・・・・。ならば、少しだけ相手をしよう」


 笑みは柔和かつ全てを見透かしていると錯覚しかねないもので、決して明璃を愚弄しているような無礼な色は見えない。

 反発した明璃に対しても怒りや侮蔑の色は微塵も浮かべないばかりか、意志を尊重するように頷いてみせた。

 だが、その宣戦布告を受けた途端に明璃の全身がぞわりと危機を告げて来る。


 これは、一人で相手していい存在じゃない。


 今の一瞬だけは逃がした敵らしき影のことなど忘れる程に、眼前の男が放つ気配は彼女の中から自然と恐怖と言う感情を呼び起こす。

 だから、具現器アバターを起動して一瞬で雷の領域へと紅髪の男を誘う。

 無防備にゆっくりと近付いてくるだけの敵が、彼女の能力の範囲に入るのを待つだけで本来ならば決着がつくはずだった。


 明璃の具現器アバターが持つのは、能力の磁場に近いものを展開することだ。


 領域内では明璃は自在に放電現象に近い能力の干渉が可能になり、範囲が限られる代わりに強力無比な変異者として覚醒した。

 その破壊力は変異者の中でも上位に位置し、まだ経験不足かつ未熟な点はあれど単騎での戦闘力も非常に高かった。


「行って、インドラッ!!」


 幸いにも周囲は寂れた並木道になっており、この時間では通る人間もいない。

 普段の彼女ならばインドラの開放をもっと躊躇したかもしれないが、そんな憐憫は不要に過ぎると目の前の男は言葉にせずとも雄弁に語っていた。

 これをまともに喰らえば少なくとも戦闘不能だと、主が確信する雷撃の顎が深紅の男を容赦なく呑み込んだ。


「成程、優秀な変異者がいる。エンプレス・ロアの躍進は黒の騎士のみがもたらしたものではないようだ」


「何の、話をしているのッ!!」


 男は何も具現器アバターを具現化する素振りもないのに、明璃の雷撃を事も無げに浴びて涼し気に立っていた。

 まだ明璃の火力を上げる方法はあるが、この男と言えど具現器アバターすら装備していない相手に放つのは躊躇われた。


「キミが優秀だと認めているんだ。全力でやる非情さがあれば俺も無傷ではいられないかもしれないな」


「・・・・・・くっ!!」


「もう満足だろう。キミでは俺には勝てないのは理解したはずだ」


 前に向けて男が拳を握ると放電が霧散して弾け飛ぶ。


 強力な自身の磁場のようなものをぶつけたのだとは明璃にも察することは出来たが、同時に理解してしまった。

 今のままでは彼が言ったように、あまりに力の差がありすぎる。

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