第85話:戦いを前にして


 何にせよ、変異者が絡んでいると思しき事件で人が死んだのだ。


「・・・・・・このままでは終わらせないからな」


 本来ならば楓人が死者に謝罪する義務はないのだが、人が死ぬ度に楓人の中でもっと何か出来たんじゃないかという気持ちが湧いて来る。

 もしかしたら、今回死んだ人間にも居場所や大切な人がいたかもしれないのだ。

 実際の所は今のエンプレス・ロアの規模的にも、人が死ぬのを事前情報なしで未然に防ぐのはかなり難しい。

 現実の警察でもそうであるように、突発的な事件に関しては楓人達でも動きが間に合わずに対応し切れていない。


 故に変異者全体で犯罪を排斥するネットワークを構成する必要があるのだが、今の楓人にはそこまでの影響力はない。


「・・・・・・裏掲示板ではなく、表の方でもかなり騒がれてきていますね」


 怜司は興味が湧いたのかパソコンを立ち上げて掲示板にアクセスする。


「あまりモタモタしてるとやばいことになるかもな」


 今まで変異者は都市伝説という形で噂されるに留まってきたし、その噂を辿って楓人も戦うべき相手の存在を知っていた。

 だが、今回は明確な事件と言う形で報道規制が間に合わずに出てしまった。

 これは表と裏の境界を保ってきた楓人達にとっては予断はならない状況だった。


「ちなみにネットでは何て言われてるんだ?」


「実在したドッペルゲンガーとか色々です。同じ顔の人間に出会ったら死ぬというのは使い古されたものですからね」


「何見てるの、ネットの掲示板?」


 朝の支度を終えたカンナがパソコンを覗き込んでくる。

 首肯で返答すると普通の人間が多く利用している掲示板を閲覧していくと、『今回の事件は何かおかしい』という意見も当然ながらそれなりにあった。

 だが、今の所は最後に生き残った男が犯人だろうとか、麻薬中毒者の集団自殺だろうとか現実的な意見が占めていた。


 異能力者が混じっているなんて普通の人間が真面目に議論しない話題で、烏間のような異常者でも変異者の存在を公にするのは良しとしていない。


 それは自分の首を絞めることになると誰もが知っているからで、大災害が起きることを本能的に拒絶しているからでもあった。

 変異者の一部は察しているのだ、大災害は天災なんかではなく元凶が街のどこかに潜んでいることを。


「まだ、憶測で済んでいる内に決着を付けよう」


「ええ、ドッペルゲンガーの方はとりあえずは予定通りレギオン・レイドに任せましょう。調査は人数のいるあちらの方が得意でしょう」


「ああ、昨日の内に渡に連絡は取ってあるから問題ない」


 渡の方も事件については気になっていて、ドッペルゲンガーには人員を少しずつ割く段取りを進めていた所だった。

 何か情報があれば回すつもりで、ある程度は単独で情報収集を行おうとしていたらしかった。


 レギオン・レイドとは同盟関係もあるし、渡もしっかりと義理は通してくれているので多少単独で動いた所で文句を言うことはない。


「うちの掲示板には何もないんだよね?」


「ああ、何もない。だから、今日は学校で・・・・・・」


 振り向いた先で思った以上に近くにカンナがいた。

 あのデート以来、何かが変化しているのは怜司だけではなく、楓人も同様に小さな心境の変化があった。

 何となく今までよりもカンナに対して、心臓が高鳴ることが少し増えた。

 彼女のことは以前から異性だと意識していたし、容姿も性格も魅力的だと理解していたつもりだった。


 ただ、何となく以前とは違う鼓動を覚えるようになった気がするのだ。


「どうかしたの、楓人?」


 きょとんとした顔で覗き込んでくるカンナ。

 楓人の変化など天然気味な彼女は気付いてはいないだろうが、楓人自身もはっきりとしたことは言えないので仕方がない。


「いや、別に。お前も支度終わったなら行くぞ。今日は情報収集も手伝って貰うからな」


「・・・・・・人の心は移ろい、変化していくものですね」


「お前、何か最近になって急におっさん臭くなったな・・・・・・」


 アイスコーヒを自分で淹れて嗜む怜司に楓人はしっかりと突っ込む。

 まだ若い容姿端麗な男なのに、怜司には親戚のおじさんたる風格が備わって来ているのは良い事なのか。


 時間もさほど余裕はないので、二人は今日も学校へ向かう。


 余程のことがなければ基本的には学校には行くことにしていた。

 楓人はこんな力を持っていても変異者が幸せになれる世界を目的としているので日常で過ごす時間を大切にしたいと思っている。


「ねえ、楓人・・・・・・あんなことはあったけど、楽しかったね」


 並木道を歩きながら、カンナが過ぎた時間を懐かしむように告げる。

 何のことを言っているかはわかっているし、カンナの求めていることはぶらつかせた手からも伝わってくる。

 間に合う時間とはいえ、いつもよりは遅いので周囲に人影はない。


「本当の意味でのデートは出来たと思う。だけど、俺はまだ―――」


「うん、わかってる。でも、楓人と一緒に私は色々なものを見たいんだ。パートナーとしてね」


 カンナの気持ちに楓人が気付いていることも彼女は悟っている。

 楓人が戦いが少なくとも一段落しなければ前に進めないことも全部、傍にいた彼女は理解しているのだ。


 だから、恋人でも友人でも言い表せない関係に迷いながらも、二人は互いを想って手を触れ合わせる。


 恐らくカンナと楓人の鼓動は奇しくもその時、重なっている気がした。

 全てが終わった時にカンナに応えてやれる保証はどこにもないが、人は生きる以上はいつかは前に進まなければならないのだ。


 ―――故に戦おう、最高のパートナーと共に。


「楓人の手、すっごく温かいよ。ほら」


「夏も近いのに冷え冷えだったら困るだろ」


「・・・・・・えへ、あったかい」


「何だよ、急に笑い出して。お前は燐花か」


 この上なく幸せそうに笑うカンナに、軽口を叩いて照れ隠しをしながら楓人は学校までの道程を歩く。きっと傍から見たら、顔を赤くした初々しいカップルにしか見えなかっただろう。

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