第53話『優しさの痛み』
例えば、どこかへ旅行に行ったとき。
ホテルで目を覚ますと、視界に入る光景が普段と違い、違和感を覚えることがある。そして一拍遅れて、ここが自分の部屋ではなくホテルの部屋であることを思い出す。
俺が目を覚まして最初に見えたのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。にもかかわらず違和感を覚えた。
さっきまで自分は外にいたはずなのに、何故見えるのは青空ではなく天井なのか。
寝起きで未だはっきりしない意識の中、徐々に記憶が蘇ってくる。
森。
炎。
爆発。
思い出せる記憶は断片的だが、何が起こったかはおおよそ把握できた。
燃え盛る木が爆発する直前。空間制御能力発動の補助のために木へ向けた左手は、手のひらから肘の辺りまで、赤い火傷の跡のようなものが残っていた。
すでに治療が済んだ後なのか包帯などは巻かれておらず、痛みも特にない。傷跡の残る左手に、また一つ傷跡が増えただけのこと。
「フォナが無事ならいいんだけど……」
爆発地点により近かった俺が”この程度”の傷で済んでいるのだから、フォナもそこまで大きな怪我はしていないはずだが。
このまま寝ていても特にすることがないので、人を呼びに行こうと上半身を起こすと、部屋の扉が開かれ誰かが入ってきた。
部屋に入ってきたのは、何故か手に桶を抱えているフォナだった。
「……! お兄ちゃん!」
慌てて駆け寄ったことで、手に持つ桶をひっくり返す――なんてことはなく、近くの机に桶を置くと、フォナは近くまで駆け寄ってきた。
「よかった……目が覚めて……。起き上がって大丈夫なの? 寝てたほうがいいんじゃない?」
「いや、大丈夫だよ。寝起きで頭が少しボーっとしてる以外は平気」
「なら、いいけど……」
どうも、思っていたより心配してくれていたらしい。
フォナの体には、今見える範囲では目立った怪我はないようだった。
「俺、どれぐらい寝てたんだ?」
「1日半……ぐらいかな。爆発に巻き込まれた時に頭を強く打ったみたいで。さっき、頭がボーっとするって言ってたけど、本当に大丈夫?」
「自分の名前もフォナの名前も分かるし、爆発に巻き込まれる前の記憶もだいぶはっきりしてきたから、大丈夫だよ」
「そう……」
俺がそう言っても不安は拭えないのか、フォナの顔は暗いままだ。
何か話題を振るべきかと、寝起きで上手く回らない頭を必死に回転させてみるが、先に口を開いたのはフォナだった。
「……お兄ちゃん。その……ごめんなさい」
フォナの口から出たのは、謝罪の言葉だった。
「何で謝るんだ?」
「あの爆発……私のせい、みたいなの」
◇◇◇◇◇
フォナの話を聞いたところ、あの爆発の原因はフォナにあった。しかし、それがフォナのせいかといえば、そういうわけでもなかった。
爆発の原因は、魔力暴走というものだそうだ。
魔力暴走とは、魔力が本人の意思に関係なく魔術現象に変化してしまうというものだった。
要は、魔術が暴発してしまったのだ。
今回の場合、フォナが木に手をついた瞬間、無意識のうちに溢れ出た魔力が炎へ変化し、木を燃え上がらせた。
フォナが魔術の制御方法を知らなかったこと。突然の発火現象により動揺して魔力の制御がおろそかになっていたこと。そうした様々な事情が重なり、炎へ絶えず魔力供給が行われた結果、爆発を引き起こしたのだという。
確かに原因という意味ではフォナにあるだろうが、この件の責任までフォナに求めるのはあまりにも酷だろう。
それに、この件で最も重要なのは、誰に責任があるかではない。
フォナに魔術の才能があるという点だ。
魔術の才能というのは、単に魔術が使えるというだけの意味ではない。
そもそも、魔術の才能には遺伝性がある。
両親のうち片方でも魔術への適性があれば、ほとんどの場合子も同じように魔術への適性を持つ。
しかし、どちらか片方しか魔術適性を持たない場合、子供の魔術適性は親に劣ることが多いのだという。逆に、両親ともに魔術適性がある場合は、親より高い魔術適性を持った子供が生まれてくることが多い。
そのため、魔術師の多くは魔術師同士で結婚し、代々強力な魔術師を排出する名家などが存在するのだという。
そうした知識を、俺はソラから教わっていた。
だから、両親ともに魔術師であるフォナに魔術適性があること自体は、何も不思議なことではない。
注目すべきは、魔術に関する教育を何も受けていないフォナが魔力暴走を起こしてしまったことだ。
母さんがフォナに伝えた話によれば、魔力暴走自体は珍しい現象ではないのだという。
魔術師見習いであれば、魔術の練習中に一度はするミスといってもいいそうだ。
しかし、魔術師見習いが起こす魔力暴走は、魔術を発動した後に自身で制御ができなくなり引き起こすもので、勝手に魔術が発動してしまうようなものではないのだという。
もし自分の意志に関係なく魔術が発動するなんてことがあれば、魔術師は安心して眠ることさえできない。
ましてやフォナは魔術に関する教育は何も受けていない状態だ。
そんな状態で魔力暴走を引き起こしたというのは、フォナの魔力制御が未熟な証であると同時に、フォナの持つ魔術適性が常識外れに高い証拠でもあった。
フォナによる魔力暴走の説明が終わると、部屋は重い空気に包まれた。
何か言うべきなのは、俺のほうなのだろう。
「……まあ、あれだけの爆発でも火傷で済んだんだ。フォナの意志でやったことじゃないんだから、気にするなよ」
「…………うん、ありがと」
こんな時、日本で人との関わりを避けてきたことを少し後悔する。
対人経験の貧困さ故か、上手い慰めの言葉は出てこなかった。
そうした経験の差が出たのだろう。先に空気を切り替えるべく動いたのはフォナだった。
「私、お兄ちゃんの体拭いてあげようと思って。嫌だったら、無理にとは言わないんだけど……」
フォナは近くの机に置きっぱなしになっていた桶を持ってくる。桶の中にはお湯とタオルが入っていた。
「せっかくだし、お願いするよ」
上の服を脱ぎ、フォナに身を任せる。
「それじゃ、腕から拭いていくね。痛かったら言ってよ?」
火傷跡の残る左腕を、フォナは優しく丁寧に拭いていく。怪我自体はやはりすでに治療された後のようで、痛みは全くなかった。
腕から、手のひらへ。中指と薬指の間に付いた傷跡も丁寧に拭いていく。
「お兄ちゃんはさ、何か、隠してるよね」
ぽつりと、独り言のような大きさの声で、きっと俺の返事など期待していないような口調で、フォナは呟いた。
「転生するときにね、女神様に言われたんだ。転生後は、転生先にいる彼を頼りなさいって。一度命と引き換えに貴方を助けてくれた彼なら、力になってくれるからって。
きっとお兄ちゃんは、日本でも私のことを助けてくれたんだよね。自分の命と引き換えに」
「…………」
違う。それは違う。
俺は、償っただけだ。殺してしまった君のことを、命と引き換えに生き返らせただけだ。
助けたなんて、そんな素晴らしいものじゃない。
「私、ずっと疑問だったんだ。どうしてお兄ちゃんは私に良くしてくれるんだろうって。まあ……今も理由は分からないんだけど。
でも嬉しかった。異世界っていう未知の環境でも、お兄ちゃんがいたから安心できた。
だから私も、お兄ちゃんの力になりたい。お兄ちゃんが抱えてるものが何なのか、今はまだ分からないけど。
もし、話しても良いって思える日が来たら、誰よりも先に、私に話してほしいな。
必ず、お兄ちゃんの力になるから」
ただ黙って、聞いていることしかできなかった。
そもそも、フォナが、いや、夏木梨幸が殺されてしまったのは、この世界に来てしまったのは、俺がいたからだ。
俺が存在しなければ、きっと彼女は、今も日本で平和に暮らしていたはずだ。
フォナに優しい言葉をかけられるほどに、俺の中にある罪悪感は膨らんでいった。
でも、どうしてだろう。そんなこと、感じてはいけないはずなのに。
加害者である俺は、決して抱いてはいけない感情のはずなのに。
どこかで、嬉しいと感じてしまう自分もいた。
いつの間にか、俺の頬に、涙が伝っていた。
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