第六回戦 グッドラック

 和歌川衣わかがわきぬは酔ったふりをしていた。カルーアミルクをほんの(彼女にとって)五、六杯飲んだだけだった。

 彼女は社会人二年目で、僕の直属の後輩として僕の部署に配属された若手社員だ。少し明るめの茶髪はボブにして、若々しさと清潔感を演出している。スタイルもよく、かといって身長はむしろ低いほうで、先輩社員からは「わかちゃん」と呼ばれ可愛がられている。これは彼女が自分を可愛がってもらえるように仕組んだことでしかないのだけど。

 話を元に戻すと、ナンパ師の間では、レディキラーなるカクテルがよく知られているらしく、いわく女性を酔わせるのに打ってつけの飲み物なのだそうだ。ご多聞に漏れずカルーアミルクというカクテルは、甘くてミルクの淡白な味わいからしていかにも飲みやすいのだそうだが、これに混ぜられているカルーアというリキュールがなかなかのアルコール度数を誇り、飲みやすさに任せてぐびぐび飲んでしまうと、たちまち目はとらんとし、足元はおぼつかず、つまり酩酊状態になってしまうというのだ。

 繁華街に羽虫の如く湧いて出るナンパ師たちは、これを女性に飲ませることでセックスを成就させているらしい。もちろんこれはれっきとした犯罪である。酒を飲ませて酩酊状態に陥った女性には性交渉における合意決定をする判断ができないし、そんな状態の女性と無理やりセックスしようものなら、即逮捕からのおそらく実刑判決までスピード感とともに一直線だろう。これは僕のやり方ではない。『性愛中毒ドラゴンヘッド』はもっとアバンギャルドなやり方を披露する。

 この日、和歌川が飲んだカルーアミルクは彼女が日頃から愛飲しているもので、そのことから彼女はカルーアミルク一杯程度では酔い潰れない体質だということがわかる。さらにいえば、このバーに辿り着くまでに既にレストランでワインのボトルを一本空けている。和歌川は平均的な成人女性に比べて酒の分解力は上であった。

 ちなみにいえば、彼女は男性とのセックスの際にパートナーの精液を飲む嗜好がある。その際、普通ならば胃腸に流し込まれた精液のせいで一時間程度は胃の不快感があるのだが、彼女の場合はそれがまったく起きない。それは性器内部での射精に対しても同様で、彼女の体内に入ったものは、すべて分解され、無効化されてしまうのだった。

「先輩さんが性愛に関してあの悪名高い『性愛中毒ドラゴンヘッド』だとは思いませんでしたにゃ。きーたんは、プラトニックな愛が好きなのにゃ。先輩さんみたいな淫らな愛、性愛とかいうやつはわからないのにゃ」

 和歌川はカルーアミルクのおかわりを頼んでから言った。

「男のザーメンを好んで飲む女の愛の、どこがプラトニックなんだ?」

「きーたんは、自分の体の限界を調べるのが好きなだけなのにゃ。男の人の精液を飲むと、なんだか体が熱くなって、世界が輝いて見えるのにゃ」

「それ麻薬中毒者の症状みたいじゃないか」

「詳しい原理はわからないにゃ。でも精液は麻薬と違って飲んでも違法じゃないし、健康に害を及ぼすものでもないにゃ。それなら、別に好きで飲んでたって問題ないにゃ」

 この女、イカれてやがる。僕は和歌川衣に自分と同じ匂いを感じていた。

 世の中の異常者には二つの種類がある。一つは、自らの異常に対して嫌悪感を抱き、それをひた隠しにして生きる者。もう一つは、自らの異常性を受け止め、社会に適合するために役を演じることを覚える者。和歌川衣はおそらく後者だろう。

 僕はレストランで和歌川衣と小一時間ほどくだらない世間話をして、この静かでプライベートな雰囲気のバーに来てからは『性愛中毒ドラゴンヘッド』としての自己紹介を改めて行った。その結果、和歌川は僕を見て笑みを浮かべこそしたが、その後すぐに、

「きーたんは、先輩さんのことよく分かってあげられる人なのかもしれませんにゃ。でも、それは今すぐにとかではなく、もう少し親密にお付き合いしてみないと、わかりませんにゃ」

「僕は君と正式に交際する気はないよ。そんなの窮屈だからね」

「どういう意味ですにゃ?」

「さっき話したように、僕はセックスにしか興味がない。セックスのことだけを考えて生きていきたい。そういう生き方しかできないんだ。それと世間一般にいう交際関係が両立できると思うかい?」

「うーむ、つまりきーたん以外の女の人ともセックスしなきゃ耐えられないってことにゃ?」

「そういうことだよ。問題は君がこれを受け入れるかどうかだ」

 我ながら酔っ払っていたと思う。僕は女性に対してこれほどまで自己開示したことはこれまでになかった。なぜなら僕にとって女性とはセックスのためだけに認識されるものだったから。でもこの時、この何の変哲もない後輩女に自分の全てを託して抱きしめてもらいたいと思った。

「僕はとても悪いことをしてきた。ひどい男なんだよ」

 僕は和歌川衣に叱られたかった。母親のようにこっぴどく叱責され、その後で抱きしめられたかった。僕はいつの間にか涙さえ流していた。

 そんな僕を和歌川は柔らかな微笑みとともに見つめていた。彼女は僕の言葉に対して何も言わなかった。結局、その夜僕たちの間には何も起きなかった。沈黙のうちに店を出て、駅の改札で別れの挨拶を交わしていた時、僕の後頭部を鈍い衝撃が襲った。

 薄れゆく意識のなか、和歌川の悲鳴が聞こえたような気がした。痛みをともなう微睡に飲み込まれながら、僕は自分の背後にぞろりと並ぶ覆面の集団を目にした。彼らは白い布のようなものを被り、額の位置には赤い文字で『禁性愛』とプリントされていた。

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君のお尻で僕を挟んで 森うずら @MEDAMA666

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