不器用父ちゃん(2)


 翌日、健太郎は、いつもより一時間遅く起きた。これまでは、竜也に会わないように、朝早く家を出ていた。会社の近くのカフェで時間を潰していた。

「おはよう。きょうは遅いのね。時間、大丈夫なの?」

 幸恵が食卓に竜也のご飯を並べていた。健太郎の分は、すでにラップをかけて置いてあった。文博は、昨日までの健太郎と同じ時間に会社へ行く。すでに家を出ていた。

「はい。・・いままで、すみませんでした。これからは、僕が竜也の送り迎えをするようにします」

「・・そう。うん。わかったわ。・・無理そうだったら、いつでも言ってね?」

「はい、ありがとうございます」

 健太郎は、ラップを外して箸をつける。卵焼きにシャケの塩焼き、味噌汁のメニューだった。まだ、ラップをかけて時間が経っておらず、生暖かかった。

「やだ、温め直すわよ」と言う幸恵に、大丈夫です、と応えて黙々とご飯を食べた。

 竜也と二人で住み始めたら、ご飯も作らなきゃいけない。

 当たり前のように朝起きたら食卓にご飯がある有難さを、卵焼きと一緒に噛み締めていた。

「あ、パパだ。おはよう」

 竜也が起きてきた。健太郎に気がつくと、走って側に寄ってきた。

「おう、おはよう、竜也。最近、会えなくてごめんな」

「ううん。ぼく、いい子にしてたよ」

「えらいな」

 頭を撫でると、竜也は嬉しそうに笑った。

「竜也、顔を洗っておいで」

 幸恵に言われて、「はーい」と竜也が洗面台に走る。

「竜也、久しぶりにお父さんに会えて嬉しそうね。いつもは、朝からあんなに元気じゃないのよ」

「そうなんですか」

「そうよ。・・子供の成長って、本当に早いから、きちんと見てあげてね」

 お弁当を袋に詰めながら、幸恵が健太郎を見た。口の中のシャケを噛むと、塩の塊が混じっていて、しょっぱかった。

「パパ、パパ、これね、きのう、ようちえんでつくったの」

 竜也が、紙で作った剣を片手に、バタバタと走ってきた。

 えい、と剣を振る。勢いよく宙を切って、ぶん、という音がした。力強い音だった。

「おー、すごいな」健太郎は竜也の頭を撫でる。「竜也、きょうはパパと幼稚園に行こうか」

 竜也は、目をキラキラさせた。剣を高々とあげて、「やったー」とその場でくるくる回って喜んだ。

「竜也、よかったね。さあ、ご飯を食べましょう」

 幸恵が竜也の椅子を引く。竜也がよいしょ、と自分で椅子に登って座る。

 気にして見たことがなかったが、椅子に自分で座るようになったんだな、としみじみと思った。

 健太郎には、竜也を抱き上げて椅子に座らせていた記憶しかなかった。

ご飯をスプーンですくって食べる竜也を見ながら、新しい家にダイニングはほしいな、とふと思った。



会社に着くと、部下の芹沢が珍しそうな顔で健太郎を見た。

「おはようございます、課長。きょうは、ゆっくりなんですね」

「ああ。息子を幼稚園に送ってきたからな。明日から毎日、これくらいの時間になるが、問題ないよな?」

 健太郎は、すでにデスクに積み上げられた資料を手に取りながら、芹沢に訊く。

「はい。出勤している者もこの時間には少ないので、問題ないと思います。しかし、主任が幼稚園の送迎っていうのは、いいですね」

 芹沢が半笑いで言う。

 健太郎が「どう言うことだ」と軽く睨むと、芹沢はかしこまった顔で言った。

「いえ、変な意味ではないです。いままで課長から家庭的な匂いがしなかったので、新鮮だな、と感じまして」

 そうだよなあ、と今度は健太郎が半笑いになる。

 いままで、家族も大事にしたが、仕事も熱中していた。家のことは、幸恵に任せて甘えていた。お陰で若くして課長まで昇進できた。

 健太郎の会社は、フレックスタイムを導入していた。社員はほとんど十時ごろ出勤して、十九時ごろ退社する。

 幼稚園まで会社から三十分かかる。居残り保育は十九時までしか預かってくれない。だから、九時に出勤して十八時には会社を出る必要がある。

 健太郎は、椅子に腰掛けた。資料の山から、一部手に取る。芹沢の案件で、自動車メーカーの新車の展示会の概要だった。

 健太郎の部署は、クリエイティブ部門で、展示会などの開催や、告知ポスターの製作などを企画する仕事をしている。

 読みながらも健太郎の頭は別のことに向く。

 家を借りるなら、幼稚園のことも考えなければならない。

 不動産にも行かないといけない。

 あとは、新しい奥さん、は後でもいいか。

「課長、いまいいですか?」

 呼ばれて顔を上げると、部下の江上がいた。

「お、おお。どうした?」

「今週の金曜日、お休みいただきたいんですけど、いいですか?」

「ああ。いいよ。何かあるのか?」

 何気なく聞いただけだが、江上は、俯いて言いにくそうに黙る。体の前で組んだ指を忙しく動かす。

「あ、すまん。言いたくないことだったら、いいんだ。仕事が滞らないように采配していれば大丈夫だから」

「はい・・」江上は、小さな声で返事をして、そのまま小さな声で続けた。「いずれ分かることだと思うので、課長には言います。私、引っ越すことになったんです」

 江上は、昨年結婚して、引っ越したばかりだったはずだ。それに、引っ越すことを、こんなに深刻そうに話すのも気になった。

 しかし、健太郎は、深く訊くのはやめた。

「そうなんだな。実は、僕も引越しを考えているんだ。何かあった時は、いろいろ教えてほしい。休みのことは気にしなくていいから」

 ぺこりとお辞儀をして、江上が自席に戻る。

 引越しの準備もしなければならない。沙織の物は、まだそのままにしてある。

 いまの家は一軒家で広いため、沙織の物を処分しなくても、十分に収納できていた。

 新しい家を借りるなら、竜也と二人だ。そんなに広くなくてもいい。二DKあれば十分だ。沙織の物も収納できるだろう。

 さらに、会社に行きやすいとなると、あまり郊外には行きたくない。できれば、通勤時間も三十分以内に収めたいところだ。幼稚園の送迎やご飯、お弁当のことも考えるなら、尚更だ。

 健太郎は、賃貸アパートのサイトを開く。条件を打ち込んで、検索ボタンを押す。

 何千件もの家がヒットした。家賃は気にしないとしても、絞り込むのも一苦労だ。できれば、築年数が少ないきれいな家に住みたい。

 不動産に行った方が楽なんだろうけど、時間がない。

「どうしよっかなあ・・」

 ため息と一緒に、小さな独り言が漏れた。

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