お姉ちゃんが好きでもシスコンですよ。

猟虎戀太郎

第1話 再会


「それじゃ、行って来るからー」


 一階から姉の声が聞こえ、そして家の玄関扉が音を立てて閉まった。


 その声と音にベッドの上で目を覚まし、ぼんやりと部屋の時計に目をやる。

 七時四五分。姉が学校に行く、いつも通りの時間だ。


 ちなみに両親は共働きで、随分と前に家からは出ているはず。

 そして四人家族のうち、唯一この家に残っている僕はといえば——


「………………」


 寝返りを打って、薄らと開いていた目を瞑った。


 僕は一四歳で、年齢的に言えば中学生。

 けど、学校には行ってない。世間から言わせれば、引きこもりというやつだ。


 そうなった理由も単純で、いじめられていたから。

 無口で、根暗で、引っ込み思案で、おまけに身体も小さくて。

 いじめをする側の人間からすれば、僕は格好の獲物だったのだと思う。


 だから学校に行くのをやめた。

 弱虫だろうと何だろうと好きに呼べばいい。事実、僕は逃げているのだから。


 親に事実を打ち明けて、最初は何度か学校に行くよう説得された。けどそれも最初だけで、一週間も部屋から出ようとしない姿勢を見せ続ければ親も自然と諦めてくれた。そして晴れて、暇を貪る引きこもりの完成である。


 今は五月だから、中学一年生の冬ごろにその生活を始めてから一年半ほど。

 それだけ長く続けていれば、時間の使い方も色々学習するものだ。


 朝早く起きたとしても特にすることはなく、ずっと暇をするだけ。ただ時間を無駄にするだけだとしても、寝ているのが何かと都合がいい。


 だから僕は、二度目の惰眠を貪り始める。

 カーテンの隙間から差し込む光から隠れるよう、枕に強く顔を埋めて。

 時計が刻む針の音を遮るよう、布団を深くまで被って。

 残った微睡みに誘われながら、意識を闇に溶かした。


 ——————、

 ————————、


「––––––––……ん」


 次に目を覚ました時、差し込む光は赤色を帯びていた。

 再び時計に目をやれば、いつも起きている昼ごろを疾っくに過ぎた五時前。


 こんな時間まで寝てしまうのは珍しい。おまけにやけに身体が怠い。

 朦朧とする意識と、虚無感に重くなった身体を起こし、首だけを回して部屋を見回す。


 机に椅子、ベッドと本棚。特に目の付け所のない、簡素な内装。

 部屋の隅に置かれたベッドから這い出て鍵を開け、部屋を出て一階に降りる。


 リビングに明かりはなく、夕陽もカーテンに遮られていて薄暗い。

 誰もいない。それがいつも通りで、これが当たり前の光景。


 悲壮感とは少し違うのだろうけど、これだけ広い場所に自分一人だけというのは、どうにも居心地が悪い。


 やっぱり、自分の部屋にいるのが一番楽でいい。早く戻ろう。


 キッチンに入って棚からコップを取り出し、お茶を注いでリビングに戻る。二階に持って行こうかと思ったけど、戻すのが面倒なのでここで飲むことにした。


 リビングの明かりをつけ、四人用のダイニングテーブルの椅子に座り——


「………………」


 テーブルの上に置かれたそれを見て、一瞬コップを傾ける手を止めた。

 ラップの被せられた皿と、書置きのようなもの。

 お茶を飲む片手間に、その書置きを手元へ引き寄せる。


『夜はあまり手つけないんだから、お昼くらいはしっかり食べときなよ。追伸・今日部活で遅くなるかもだから夕方になったら洗濯物取り入れといて』


 姉の字だった。今時の高校生らしく、文の最後には顔文字まで描かれている。


 共働きで夜の遅い両親に代わって、平日は家事の大半を姉がするようになっている。

 その中にはこうやって、僕のために昼食を作り置きすることも。


 ずっと家にいるならと僕に家事をするよう親が言ってきたこともあるが、渋っていた僕を前に姉が引き受けることになった。


 姉だって高校生で、しかも部活まで入っている。忙しいことは考えるに難くない。にも関わらず、文句の一つ言うことなく姉は引き受けてくれた。


 普通の高校生ならする必要のない苦労まで背負って——


「————っ」


 そう思って、途端、心がざわついた。同時にチクリと痛みもした。

 重く伸し掛かってくる、不明瞭な感情に心が締め付けられる。


 けど、それが何かはよく分からなかった。

 分からないから、ただ無表情にそれを見つめるだけ。


「……戻ろ」


 いつもと違う時間に起きたせいで、まだ頭が回っていないらしい。

 このざわつきもきっとそのせいだと勝手に決めつけて、リビングを後にした。


 部屋に戻って、今日一度も開けることのなかったカーテンを、それでも強く閉めた。


 それから明かりをつけて、一応パジャマ姿から緩めの私服に着替える。そして、本棚から適当に本を引き抜いてベッドに腰掛けた。


 壁一面、天井まで高さのある本棚は、隙間なく綺麗に埋まっている。その上、収まりきらなくなった本の数々が床にまで積まれ、いくつかの山を成している。


 暇つぶし、いや、こんな生活を始める前からのことだから、趣味というべきか。

 パソコンやスマホは持っているけど、元からゲームはあまり好きではない。

 明確な理由は特にないが、誰かと楽しさを共有するのがゲームの本質で、ずっと一人でいる自分とは無縁なものだと遠ざけていたからだと思う。


 だから本を読むことだけが、僕にとって大半の時間の過ごし方だった。

 純文学、ミステリー小説、ライトノベル。読むジャンルに好き嫌いはない。

 家にあれば適当に読んで、気になったものがあればネットで調べて買ったりもする。

 本を読んでいる時だけは、自分というものを忘れられている気がしたから。


 無意識にだとしても、突き付けられる現実から逃げている自分を意識しないで済むから。

 時には探偵として、時には異世界の冒険者として、時には文学少年として。

 数多の世界で、数多の自分ではない人物として短くも長い時間を過ごしてきた。


 ……なんてのは、自分という人間を確立出来ていない僕の妄言でしかない。


 それでも現実に潰されまいと自身を肯定する、言い訳でしかないのだ。

 そんなこと、自分でも理解している。十分に、痛いほどに。

 けど、分かっていてもなお、変わろうとは思わなかった。

 一年以上も逃げ続けている人間が、現実に戻れる気がしなかったから。


 学校には行こうとせず、外に出ようとせず、本の世界に逃げ込んで。

 だから、今日も逃げて一日を終えるのだろう。

 妄言で自分を騙してでもいないと、自分という存在が消えてしまいそうな僕は——


 気付いた時には、枕元に数冊の本が積み上げられていた。

 時計は七時を回っていて、外も暗闇に満ちている。


「……まあいいか、これ読み終わるまで——」


 再度、本に目を落とそうとして、けれど、あることを思い出して顔を上げる。


「洗濯物、忘れてた」


 読み途中の本に栞を挟んで一旦置き、ベッドから身体を上げて伸びを一つ。

 洗濯物を仕舞おうと、同じ二階にある別の部屋に行向かおうとして、その前に。


「––––––––––––」


 ドアノブの上部にある取っ手を捻ると、カチッと、部屋の鍵が外れる音が響く。

 次にドアノブに手を掛け、ゆっくりと奥に押し出す。


 でもすぐに全ては開けない。まずは、部屋の外を伺える最低限の隙間だけを作る。


「………………」


 廊下の明かりに、一階からも漏れてくる明かりもなし。人の気配も感じられない。

 確認を済ませた後、じっとりと汗の滲んだ手を奥を押し、徐々に扉を開いていく。


「………いない、かな」


 他に明かりのついている部屋はなく、誰もいないことを再確認。

 そして今度こそ、洗濯物が干してある部屋に向かう。


 二階の一番奥、そこが自分の部屋だ。そこから右前のお手洗いがあって、その先に姉の部屋、一階へ降りる階段の手前にベランダ付きの部屋といった配置。

 引きこもりになる前から自分の部屋の位置は変わらないけど、今となっては色々と良かったと思う。


 部屋の前を誰かが通ることもなく、となれば必然的に周囲との接触が少なくなる。

 それは自分のためというか、周囲の人物への配慮というか。とにかくそういった環境であることは何かと都合がいいのだ。


 部屋の明かりを頼りに廊下を進み、階段手前の部屋に入る。そのまま部屋の奥に進み、ベランダに出て洗濯物を取り込もうとする。けど、


「………っ、んっ!」


 手が、届かなかった。

 ハンガーに吊るされた洗濯物であれば背伸びしてなんとか届く程度。物干し竿には全くもって手が届かず、足がつりそうになったのを機に一度諦めた。


 元々背が低いことは自覚していたのだが、まさかここまでとは……


 これは不健康な生活のせいなのか、はたまた単なる成長の問題か。

 おそらく前者……というか、前者であってほしい。


 取り敢えず、目の前の問題をどうにかしなければならない。

 近くにあった別のハンガーで突いてみるも微動だにしなくて、土台を持ってこようかと思ったけど宛てがなかった。その後もあれこれと試すが、どれも失敗に終わった。


「はぁっ、なんで、こんなことに………」


 上がり始めた息に、両手を膝に置いて息を整えて。

 これ以上は面倒だと、仕方なく最終手段に出る。

 ベランダは足場が狭く、視界も暗くて足元も覚束ない。それでも、と、


「……もう、面倒くさい——なっ!」


 膝を軽く曲げ、その場で真上に跳躍。

 伸ばした手で物干し竿を掴み、そのまま手前に引っ張った。

 ガコッ、と引っ掛けられていた部分が外れ、上手く竿が落ちてくる。けど……


「あっ、ちょ——っ!」


 ベランダと部屋の境にある出っ張りに足を引っ掛け、竿諸共部屋の中に倒れこんだ。


「痛ぁ………」


 上に被さった洗濯物の数々と竿を退けて、立ち上がって身体を払う。


「……もういいや」


 自分は十分に頑張った。後は別の人にやってもらおう。

 ベランダのドアとカーテンを閉め、気持ち程度に洗濯物をまとめて終了。

 そのまま自室に戻ろうとして、不意にその手前で足を止めた。

『AOBA』とネームプレートの掛かった——姉の部屋の前で。


 もう七時を過ぎていて、いつもなら帰ってきている時間なのだけど……


 そういえば、遅くなるって書いてあったっけ。


 ドアノブを捻って中を覗いてみると、案の定暗闇が立ち込めていた。

 扉をさらに開け、中に踏み入れる。


 最後に入ったのはどれくらい前か、そもそも入ったことはあったか。

 記憶に曖昧な姉の部屋は、整っていながらも簡素さはない、柔らかな部屋だった。


 家具は僕の部屋と然程の違いはない。けれど姉にしては少し女の子らしく感じられる薄い桃色のカーペットに、壁に貼り付けるタイプの時計や窓辺に置かれたインテリアグッズ。


 あとは——


「………………甘い匂い」


 ふわりと、部屋の中に漂っていた香りが鼻孔をくすぐってくる。

 匂いの元は芳香剤なのか化粧品なのかはよく分からないけど、この匂いは嫌ではない。


 教科書や参考書で埋め尽くされた勉強机、本以外の小物で半分が埋まっている本棚などに少し目を通して……ベッドの前で、少し足を止めた。


 枕元に置いてあるクッションを手にとってみれば、とても柔らかく心地良くて。

 ふわりと、より濃く甘い匂いが漂っていた。

 鼻孔をくすぐり、脳が心酔してしまいそうなその匂いに、ピクリと身体が疼く。


 目の前の見え方が変わって、何処か居た堪れないような感情が湧き出してくる。


「………少し、だけなら」


 ぬいぐるみを元の場所に戻す。

 そして今度は、布団に手を——


「あれ? 電気つけっぱなしだったっけ————」


 ——ドサッ、と。

 途端、後ろから声がして、同時に何かが音を立てて床に落ちた。

 思わず僕は伸ばしかけていた手をピタリと止め、全身が凍りついたように強張る。


 最初に首を、次に震える足を動かして。ゆっくり、ゆっくりと後ろに振り返り——


「夏樹……?」


「……お姉ちゃん…………」


 そこには、呆然と僕のことを見つめてくる姉の姿があった。

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