第2話 天才の苦悩 ー 矢島空
扉の近くの席の彼に答案を渡し、彼の答案をもらった。二人とも無言で採点をした。
「はい、六問」と彼が返却してきた。
「うわ、六問かぁ……」
「なんで六問で悲しんでるの? 受かったんだからいいじゃん」
「そうだけど……毎回日本史は再テストで受かるからなぁ」
「……毎回って、本当に毎回?」
「そうそう。でもこの学校頭いい人揃いだから、毎回一人なんだ……」
私はどうにも、日本史でいい成績を取れない。でも、特別嫌いなわけでもない。何回勉強しても、様々な勉強法を試しても結果は変わらず、毎回一人だけ落ちている。だから、いつも入り慣れた教室に彼を見つけたとき、嬉しく思えたのだけど……。
「どうして君は再テストに来たの? 落ちるような人には見えないけど」
「どうしてって言われても……そもそも日本史があまり好きじゃないんだ」
「はぁ? それでこの点数?」と、私は九点と書かれた答案を彼に返した。
「うーわ九点。あ、ここの漢字ミスか。付け焼き刃じゃきつかったな」
「どうしてこんなにいい点数が取れるのにこんな追試に来たの……そりゃわかっている話を延々とされたら外も目を向けたくなるよね」
「そもそも忙しかったし。あんたもどうせ知ってるだろ? 俺が小説の賞獲ったこと」
「え? なんそれ?」
私は本当に知らなくて首をかしげた。
「まじで? ニュースとかにもなったし、他クラスでも話題になってるって聞いたんだけど……」
「そんなこと言われても」
「まあいいや、とりあえずそれは帰ってから調べたきゃ調べりゃいいし。そのテスト、復習しなくていいのか?」
「あ、そうだね。えーと、この問題は……どこが誤文なんだろ」
「壇ノ浦は山口県」
彼は即答した。
「あ、そうか。じゃあこの問……」
「十三世紀はモンゴルの時代。その時期に明はまだ成り立っていない」
彼はまた即答した。その後も私がわからなかったところをスパスパ言い当てていく。それは端的かつ的確だった。
「あ、ありがとう……だけど本当にすごいね」
「そうかな。さっきやったからそれで覚えているだけだと思うけど」
「ふーん」
彼女は納得いったようで納得していない表情をした。
「にしても先生遅いね。数学の宿題でもやろうかな」
「そうだな……あっ、いけね。教材全部家に置いてきたんだった」
「あーあ。じゃあ私の見てくれない? 数学も苦手なんだ」
「そうか。どれどれ……」
「えーと……ここのこの問題」
彼はそれを見るや否や、すぐに口を開いた。
「それはまず問題で与えられている関数を、『y=なんちゃら』の形に置き換えて、その傾きの逆数にマイナスつけたやつが求める関数の傾きになって、あとは問題で与えれている座標を代入すればy切片もわかるから、それが答えって感じ……わかった?」
彼は解答の流れを休みなく続けた。私はとても理解できそうになかった。それに彼もすぐ気づき、あ、と口を開けた。とりあえずそれに気づかないフリをして、「……わかった、気がする」と、言った。
「嘘だろ?」
心配そうにこちらを見る彼の顔を見て、「え、バレた?」と笑った。
「やっぱりね。一からゆっくり教えるから。紙ある?」
彼はところどころでこちらに確認を求めながらすらすらと解答を書いていった。
「これでわかった?」
「うん、今回は本当にわかった。ありがとう」
「いえいえ」
その後話を聞くと、この問題はちょうどその日に友達から今日授業の合間に教えてもらい、その解法をそのまま紙に写しただけらしかった。
「それより、本当に何でもできるんだね。運動音痴とか?」
「いや、体力テストの結果は学年で五位だけど?」
「なんそれ、完璧人間じゃん」
「そんなんじゃないって。前この高校に入るために行っていた塾でさ、もっと上の方行けとか言われてね」
「この高校を選んだってことは、なにか理由が?」
「この高校じゃないと、小説活動に専念できないからね。芸術活動を禁止していない中で一番高い県内の高校だったらここだからね」
「すごいね」
私はその言葉しか発することができなかった。うわべじゃなく、心の底から。
「でも、この学校も進学校だし、君が負い目を感じる必要はないよ。俺はちやほやされたくてこの学校に入ったわけじゃないし。天才とかメディアは持ち上げるけど」
「……私もわかるよ、その気持ち。天才の苦悩」
えっ、と彼は私の顔を見た。その目の変化を見ると、きっと私は物憂げな表情になっていたのだろう。きっと誰にも見せたことがなかった表情をしていたのかな。
なんとなく彼には話していいような気がした。
「……私ね」
その時、廊下から先生の声が聞こえた。
「すまん! お前ら、もう帰っていいぞ!」
はーい、と気の抜けた返事をした。
「テスト置いてけー……あ、そうだ。もう暗いから二人共一緒に帰れよ」
彼を見ると、驚いているようだった。それもそうだ。会ったばかりの人と帰るなんて、私でも自分からできるかどうかわからない。でも、彼なら。
私は「駅まででいいからさ。帰ろ?」と言い、荷物を持った。
「……わかった」
彼もリュックサックを背負った。
――――――最終下校の時間になった。
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