Smoke

カナミヅキ

第1話 プロローグ

 男はさびれた商店街を抜けて帰路につく。手に持つビニール袋は男の足音と合わさって軽快なリズムを産み出している。その音に気付いた男はそれに合わせてメロディーを口ずさむ。涼しい春の夜は真っ暗で、あたりには民家もない。ただ波の音と生ぬるい潮の匂いだけが男の元へ運ばれてくる。


「…お?」


 男は足を止めた。何かいる。


「……。」

 黙ったまま男はビニールを置き、ゆっくりと近づいた。その手はいつでも『武器』を取り出せるようズボンのポケットの部分に伸びている。

 何かが道の端でうずくまっている。人間か?それにしては小さい。

 舗装されたコンクリートと雑木林への入り口の境目。

 それは動かない。


「……おい、聞こえてるか。」

 警戒しながら話しかけるが返事はない。

 男はさらに距離を詰める。だんだんとその姿が見えてきて、男の背中にじわりと汗がにじんだ。

 …ガキじゃねえのかぃ、もしかして。


「おい、大丈夫か。」

 男はうずくまっているそれに手を伸ばす。子供だ。十歳に届くか届かないかの子供がうずくまっている。どうした。何があった。大丈夫か。

 そんな言葉をかけようとその子供の背中に手を触れた瞬間。


「うわっ」

 べったりまとわりつく、気持ち悪い感触。男は慌てて後ろに飛びのき、子供に触ったその手を嗅ぐ。血だ。

 おいおい、こりゃあどういうことだ?


「おい、ガキ!どうしたんだ、一体!!」

 男が再びその子に近づいて肩をつかみ、ひっくり返そうとした途端、

「…っ!!!」

 突然子供が襲ってくる。うずくまっていた体勢からは考えられないスピードでその子は男の腕を食いちぎろうと噛みつく。しかし男は腕に歯形がつく前に身をよじって後ろに避けた。


 その子は男を睨みつける。空を覆っていた雲は晴れ、月明かりが真っ赤な少年をくっきりと映し出した。いつでも飛び掛かれるよう低く構えて、じっとチャンスを窺っている。その警戒に満ちた顔をほとんど隠してしまうほど長く伸びた真っ黒な前髪は血で濡れて固まっていて、むき出しにした歯は赤く染まって欠けている。男にはその少年の目だけが爛々と光っているように見えた。


 …まるで山犬だな。

 男は視線をそらさず、少年を睨み返してポケット、というよりズボンに仕込んでいた鉄パイプを取り出す。


 …どう出る?


 少年はじり、と距離を詰めてくる。


 …いつだ。いつまた飛び掛かってくるのか。


 先ほどの瞬発力が思い出される。…いったい何者だ?


 少年も目をそらさない。這うように近づいてくる少年から目を離さず、男が息を吐いたその時。


 敵意に満ちていた少年の目が、突然ぐるりと上に回り、どさりと鈍い音がしたかと思えば少年が男の足元に倒れた。


「え」


 ちょ、え?おーい、だ、大丈夫か?

 男は突然の出来事に警戒しながらも倒れた少年を足でつついてみる。反応はない。ええー、と気が抜け、立ち尽くした男はあることに気付いた。


「…何か、抱えてやがる。」

ちょうど母が子を抱くように、少年は自身の胴体に何かをくくりつけていた。男は近づき、それに手をかける。

 固いな…これはなんだ…?


「…あれ?」


 この形は見覚えがある。ケース。トランペットケースだ。

 男は首をかしげながら金具を外し、ケースを開く。


「こりゃぁ……。」

 目に飛び込んできたものが信じられず、もう一度地面に倒れている少年とケースの中身を交互に見る。


「……一体、」


 何者だ?


 少年の表情はさっきまでと一変している。すべての力が抜けきったようだ。眉間のしわの消えた、やはり子供らしいその表情を見つめていると、血の匂いが鼻を突いた。

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Smoke カナミヅキ @ginpika

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