第6話 -2 テンタイカンソク
夕食を済ますと、きな粉のクッキーをみんなに配った。好評を得たようで特にいつも無表情のセバスさんが讃嘆してくれた。本当は甘いものが大好きなんだそうだ。
「大変美味しゅうございました。芽衣さま、先ほど司祭様からご伝言を預かりました。少々遅くなられるとのことです」
「わかりました」
なぜ夜に待ち合わせなのか、センさんに聞かれる前に私は退散した。夜しかダメな理由があるのだ。
それにしても大豆の発見はとても喜ばしいことだ。お米があれば麹菌から味噌が作れたかもしれないし、稲藁からは納豆が作れたはずだ。藁には天然の納豆菌が存在する。藁を煮沸して雑菌を殺しても納豆菌だけは生き残る。蒸かした大豆を藁で包んで、四十度で一日保温すれば発酵すると聞いた。納豆が食べれるなら、寝ずの番でもなんでもしてみせたのだが。 大豆文化のないこの世界の人には、あの匂いと粘りは受け入れてもらえないだろう。期待を膨らませすぎた。どうして故郷の味は懐かしくなるのだろう。日本食が恋しい。
お風呂から上がり、髪を乾かそうとしていると部屋がノックされた。急いで髪をタオルで束ね、扉に向かうとセバスさんに案内されてクチナワさんが訪ねてきてくれた。
「……遅くなってすまない」
「いえ、すみません寝巻き姿で。どうぞ」
部屋に招き入れるとセバスさんが扉を閉め退室した。クチナワさんはどこか落ち着きがないように見える。忙しいのだろうか、早々に終わらせた方がいいかもしれない。
「あの、お忙しいのにすみません。何かお礼をしたくて……対したものじゃないんですけど、受け取ってもらいたいんです」
「……」
手を引き部屋の奥へ案内した。クチナワさんは無言で大人しく従ってくれる、今日はやけに素直だ。私はそのまま外のバルコニーに連れ出した。
「これは……?」
「はい、天体望遠鏡です。覗いて見てください」
「テンタイボウエンキョウ?」
クチナワさんは眉間にシワを寄せ、首をひねりながらも覗いてみてくれた。エルフの街のメガネ屋さんで買った虫眼鏡と老眼鏡の、自作天体望遠鏡だ。焦点距離を測り、内側の黒い大きくて長い筒に二枚に重ねた虫眼鏡を、それより小さくて短い筒には老眼鏡のレンズを一枚。大きい筒に小さい筒を入れてピントを合わせ、台に取り付けたら完成だ。昔夏休みの自由研究で制作したものより性能のいいエルフ製のレンズで、さらに磨いてもらったので月のクレーターくらいなら確認できるはずだ。
本当は集光率のいい鏡で作ればもっと性能のいいドブソニアソンという、大砲のような形をしたものも自作で出来る。大口径のニュートン式反射望遠鏡を作ればもっと精度のいいものができるだろうが、時間もかかるし遠くまで見えすぎるのも怖い。知ってはいけないものがあったら私には抱えきれない。
「これは……」
クチナワさんは目を輝かせて私を振り返った。喜んでくれたようだ。天体観測を教えていいものか迷ったが、こんな表情を見せられてはその思いも吹き飛んだ。
「こんな近くで見れるのに、手が届かないのがもどかしくなるほど綺麗だ……しばらく見ていてもよいか?」
「はい、私は暖かいものでも淹れてきますね」
クチナワさんは返事も聞かずまた同じ姿勢に戻った。台所から戻るとクチナワさんはバルコニーの椅子に腰掛けじっと目を閉じていた。
「目に、焼きつく光景だった。女神の魔道具をあんなに間近で見れるとは神秘的だ……」
「どうぞ、暖かいミルクです。それとお疲れでしたら甘いものも、クッキーなんですけど」
やっと目を開けたクチナワさんはミルクのマグを手にとった。匂いを嗅ぎ、口にした。きな粉を入れたが口に合うだろうか。
「うまい……初めて嗅ぐ香りと味だ。毒ではないようだがこれは?」
「良かった。きな粉っていう植物の粉です。毒ではありませんよ」
「む、いけるな」
クッキーもお気に召したようだ。2人でふふと笑いあった。喜んでくれたみたいで本当に良かった。
「それにしても夜に部屋を訪ねてこいというから少々勘違いをしてしまった」
「え、なにがですか? お仕事終わりで申し訳ないとは思ったのですが」
「風呂上がりの姿ならなおさらだ、今からでも遅くないが……」
頭のタオルを解かれ、濡れた髪からエルフ製のシャンプーの香りが溢れた。クチナワさんは私の髪を掬い、香りを楽しんでいる。
ハッとした。そうだったのか、少し気まずそうだったのはそういう理由からか。サプライズしたかったので遠回し言い方をしてしまったのが、裏目に出てしまった。遅れて顔が赤面してしまう。
「そ、そういうつもりでは! すみすみませんでしたッ」
「まぁお前のことだから違うだろうと思ったがな」
一転してクチナワさんは暗い表情になった。
「いや、それと遅くなったのも理由がある。この屋敷の主人に報告をしてきた。君が亜人だろうと。だが何故か腑に落ちない様で、背中に翼の痕跡が小さくあったと嘘をついた。それを聞いて安心されたのか、一気に興味をなくされた。あとは息子に任せるという感じだ」
疲れた顔をしてクチナワさんは椅子に座りこんだ。離れてくれたのでホッとしたが、彼にここまで気を使わせる相手がいるのも驚きだ。屋敷の主人はやはり恐ろしい相手のよう。
「種族ってそこまで大事なんですか? ヒューマンとか亜人とか、絶対に区切らなければいけないんですか? 亜人の子が不当な扱いを受けるのを見ました。髪の色とか人間の誇りって、ここではそんなにたいしたものなんですか?」
「あまりないケースだからと言われたが私も腑に落ちない。だがこだわるのも仕方がないことなんだ。ヒューマンはこの世界に魔法をもたらしたと言われ、血をとても大事にしているから」
「血……」
「髪の色からして芽衣も、もしかしたら本当に亜人かもしれない。だがそうなったら余計ややこしくなる。魔石は莫大な金を生む。それを独占できる人間の強みがなくなると世界がひっくり返る。だから絶対にばれないようにしろ、あの方には小娘一人消すことなど容易いことだ」
そうか、そういうことか。クチナワさんの真剣な表情に、ことの重大さが伝わった。お金が絡むと人はとても怖い。
「こわい……方ですね」
「ああ。軍人あがりな分、勘が鋭い方だ。枢機卿とも繋がっている手前、私も下手なことはできん。すまんな」
「いえ、こんなに力になっていただいて本当に感謝しています。枢機卿というのはクチナワさんの上司の方ですか?」
「そうだ……夜もだいぶ遅くなってしまった、そろそろ退散する」
クチナワさんがマントを羽織る。お土産にクッキーを包んで渡した。
「あの、お金は絶対働いてお返ししますので。本当に感謝してます」
「いや、それ以上のものをもらった。私は普段あの教会にいるから何かあったらいつでも訪ねてこい」
「ありがとうございます。クチナワさんおやすみなさい」
「おやすみ、芽衣」
クチナワさんを見送ると部屋に冷たい風が入ってきた。バルコニーが開けっ放しだったので扉を閉め、布団に包まった。
どうやら今までは秋の季節でこの世界にも冬がくるらしい。センさんも分厚い布団を用意してくれている。 布団の中で冷えた手足がじんわりと温まりだした。もしあのまま浮島で野宿をしていたらと思うと怖ろしい。だが、この屋敷の主人の存在も重くのしかかってきた。強い権力を持っていると聞いたが、もし私が人間だとバレたら魔石の利権のため小娘1人消すことなど容易なことなんだ。
私だって黒髪が気に入っていた。それはただ母譲りの髪だからだ。どんな国にもある歴史、記憶の誇りだ。この世界の人のこだわりは魔力の強さを言うだけじゃないか。この世界で何故か勝手に色だけが変えられていたのだ、私のせいじゃない。ぶつけようのない怒りの矛先は誰に向ければいいというのだ。
〈このお屋敷を出て、ひっそりと暮らそう……〉
一人静かにそう決意した途端、返事をするように籠で眠る櫂が鳴き声を漏らした。クスリと笑えて少し気持ちが軽くなった。相棒にも話をしないと。
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