第3話 古めく言葉のやり取り


 若い頃、自分が歳とった姿を想像したことがあります。


 ジョン・レノンが出したLPレコードのカバーに、彼は、禿げ上がった自分を想像して描いた、そんな絵を載せたのを見たからです。


 私も、きっと、禿げ上がるに違いない。

 だって、祖父も、父も、髪がないのだから、きっと、その血筋は、自分の中に脈々とつながれている。

 だから、私も、前頭部から髪が抜けて、後頭部にそれが伝わり、そして、側頭部だけは、弱々しい髪が残るのだと、父の姿を見て、思ったのです。


 母に問うたことがあります。

 いつから、父は、禿げ上がったかって。

 そしたら、結婚してすぐだと、そんなはずではなかったと、一言余計に言葉をつないで、私に言いました。


 私は、そうか、三十代か、まだ、十代だから、時間はある。

 だったら、思い切り髪を伸ばそうと、十代の青年らしく、そんなことを思って、髪を伸ばしていたのです。


 時代も、そんな時代でした。


 皆が、髪を伸ばし、裾の広がったジーンズ、それも、派手なものを履いていました。

 今、思えば、なんとものんびりした、いい時代だったと振り返ることができるのです。


 でも、その背後に、老いた自分の姿を反映していたのですから、今、考えるとおかしなことです。


 その日の朝、前夜の強風で道向こうの松林から飛んできた松のたねの吹き溜まりを掃き掃除していた時のことです。

 ご近所で親しくしている太田さんが赤い布をつけた手旗を広げたまま手にして、やってきました。

 世話好きな方で、このところ子供たちの通学路を、我が宅のそばの交差点で、旗を振って、交通安全のお手伝いをしているのです。


 精が出ますね。

 いやいや、昨日の嵐で、こんなに松のたねが、と私は箒でかき寄せられた薄緑色のたねの山に目を落としました。

 太田さんもその山に目を落とします。

 

 おやっ。


 私、その時、太田さんの眉毛に、今更のように気がついたです。

 立派な眉ですね。

 なんか、仙人のようです。

 こういう眉を持っている人は、きっと、長生きしますねって、思わず、口に出してしまったのです。

 それほどに、立派な眉であったのです。


 昔から、眉毛の長い人は長寿だと言います。ですから、きっと、それがあって、遠慮もなくそう言ってしまったのです。


 誰も、長生きするって言われて、気分を害することはありません。

 この日も、太田さん、いやいや、私の眉のDNAが、いかれてしまって、程度を忘れて、こうして伸びてしまっているだけなんですよって、満面の笑顔で言います。


 言うならば、老化の最たるものですよって、そんなことを言うんです。


 確かに、そうだ、人間の毛というのは、その箇所箇所で、長さが決まっているんだ、それが老化で、太田さんがいうところのDNAの破壊により、その歯止めが効かずに、伸び放題になっているだけに過ぎないのだと、私、妙に納得したのです。


 太田さん、髪も太く、濃いし、ふさふさとしています。

 あの眉がなければ、十年は若く見えるなって、それは口には出しませんでしたが、そう思ったのです。


 こうして、その屋の主人が玄関前を掃除するというのは、これまた、素晴らしいことです。


 家の繁盛は、何よりも玄関前なんです。

 玄関前が綺麗に掃き清められていれば、その家は安泰って、私の田舎の長野あたりではよく言われていますって、今度は、長生きの言葉の返礼に、我が宅の、弥栄を愛でてくれました。


 ではと、太田さん、手旗を振りながら、おっつけやってくる子供たちのために交差点に向かっていったのです。


 私も、太田さんも、頭は禿げていません。

 しかし、この日の朝の二人の会話、確かに、老人性症候なるものを伴った会話であったと、一人、ほくそ笑んでいたのです。


 だって、長寿だとか、弥栄(いやさか)だとか、なんとも、古色めく言葉のやり取りではないですか。


 掃き掃除を終えて、洗面所に立って、大きな壁一面にしつらえた鏡を覗き込みます。


 髪は、白髪もなく、しかし、細い、なよなよとした毛質ではありますが、どうやら、ここ当分は持ちそうです。

 眉はとみれば、私のDNAは、どうやら、まだ、見境を失うことなく、程よく、その働きを保っているようです。

 弥栄かぁって、こんな言葉を出せるのだから、決して、若いわけではないな、いや、むしろ、歳の言った分、その古色蒼然としたこの言葉に、親近感を持ったのです。


 なんだか、いい朝だって。

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