第88話 戻ってきた平穏な日常

『『はぁぁぁ――――っ?!』』『『マジかぁ?!』』

『『そんな奴いたのぉ?!』』『なんという情弱』『信じられない……』

 口々に驚きの声を上げ、目を見開く俺達。

 そしてその前には、先ほどまで試合をしていた西晋高校の選手。池谷投手がいる。


『……そ、そんなに、か……??』

 池谷は池谷で、俺達のリアクションに驚いていた。


『あっっったり前ですよ!!モグリですよモグリ!!いったいどこの田舎者ですか!!』

 他校とはいえ仮にも上級生に対し、かなり失礼な口を利く清水だった。


『田舎……って、同じ県内だろが。まあ、4月まではオーストラリア暮らしだったが』

 そう返す池谷。そして。


『『『まさかの帰国子女?!』』』

『うそマジで??オーストラリアってネット通ってないの??』

『いや、そんな事ぁねーよ』『こいつが情弱なだけだろ』

『他人に興味ないのにも程がある』『どんだけ自分に自信があるんだコイツ』

『日本の高校野球ナメすぎじゃねーのか』『これが海外感覚なのか……』

 またも散々なリアクションを返す俺達だった。


 試合後、帰る前に『秋は負けない』という感じの、リベンジの宣言をしに来た池谷だったが、いきなり打たれた清水に対して少しだけ会話をしようとしたのが間違いだった。いくつか言葉を交わすうちに、『KYコンビ』『山崎 桜』『北島 悟』『去年の夏の甲子園で弘前高校が大暴れ』などという、県内はおろか国内の高校野球界で有数のトレンドワードをほぼ知らない、という事が判明してしまい、弘前高校野球部の驚きを煽り、山崎の信奉者である清水の感情を荒立てていた。『山崎?……ああ、開会式で病院送りになった女子か。それが?』……みたいな感じの言葉がきっかけ、だったと思う。

 池谷という野球選手が、わが道を行く自信満々な投手だっただけに、仲間もあえて余計な知識を与えずに、調子に乗せておこう……と考えた結果らしかった。帰国子女ハンパない。


『私の投球とか打撃とか、そんなもの気にするくらいなら!!去年の夏の動画を【 山崎 】もしくは【 弘前高校 】あるいは【 平塚監督 】で検索しなさいよ!!言っときますけどね、貴方は井の中の蛙もいいところですからね!!ライバル視するにしろリスペクトするにしろ、投手も打者も、まず【 山崎 桜 】を意識するところから!!これは基本でしょうが!!私の師匠は山崎先輩です!!』

『おおむね同意するが、【 北島 】が抜けてるぞ、清水』

『なにげに酷い扱い』『コイツほんと山崎信者だよなあ』


 などという会話が、試合後にあったのだった。今回の弘前高校こぼれ話である。


※※※※※※※※※※※※


「――――と、いう事があってさ」

「ほー。その池谷ってのは、あたしの事を知らなかったと。よし、秋に当たったら処刑しよう。自信満々の速球とやらを全弾バックスクリーンに打ち返してやるわ!!大人げなくも金属バットでね!!」


 登校中、そんな会話をする俺と山崎だった。


 せっかくだからと昨日の面白ネタを今の今まで取っておいた訳だが、中々いい反応をいただけた。取っておいた甲斐があったというものだ。山崎としては県下の高校球児が自分の事をロクに知らなかったというだけで、処刑確定の重罪という事なのだろうな。

 池谷もきっと秋には変化球やコントロールをもっと磨いてくるのだろうが、完全に復調し、さらに今よりも技術向上した山崎を相手にしたとしたら、多少のレベルアップでは歯が立たないと思う。まあ、奴も俺達と同じ2年生。秋だけでなく、来年の夏にも勝負する機会がある。じっくりと力をつけてもらおう。山崎 桜というベースボールプレイヤーには、適度に歯ごたえのある対戦相手という餌が必要なのだから。


 山崎 桜、今日より復活開始である。少し妙な言い方だが、週末の試合に向けての調整が始まるのだから、完全復活、と言えるのは週末の試合の日になるだろう。山崎にとっては野球の練習着に袖を通すのも、ほぼ10日ぶりか。

 今日は山崎に付き添っての登校のため、俺も朝練は無し。そして山崎も授業後の練習から練習復帰だ。練習開始とは言っても、まずはリハビリのようなものだろうし。弘高野球部らしく練習を楽しみながら、軽くスタートしてもらおうかな。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※


【 午後の授業終了後 弘前高校 運動部共用 女子更衣室にて 】


「……相変わらず、見事なスタイルですね……」


 山崎の着替えを間近で見ながら。

 野球部女子マネージャーの一人、1年生の守口裕子が、そんな言葉を口にした。


「まーね。自覚はあるわ。ご自慢のボディね」


 そう言いながらも着替えを続ける山崎。手早く上を付け替えていく。今日は朝練も無かったため、スポブラは着けていなかったのだ。無精なところがある山崎だったが、自分のボディラインには一定の拘りがあるようで、日常的にスポブラを着けっぱなし、という事ではないらしい。


「うおおお」「見習いたい……」


 他の1年女子マネージャー、中山と斎藤も声を上げる。なお、守口を含めた1年女子マネの胸部装甲は、控えめな質量である。記号的にはB前後というサイズだ。


「くぅっ……たった1年違いで、この質量差とは……」

「なにが間違っているのか」

「でも同期の彼女にも負けているのよね……」


 斎藤がチラリ、と視線を向けた先には、清水 良子の姿がある。


「私はまあ、身長があるので」


 長身女子だから別にそんなでも、などと言う清水。しかしどう見ても同期の3人との胸部装甲、その突き出た部分の迫力には大きな差がある。あと、清水は身長のわりに細身である。長身女子だからガタイがいい、というのには微妙に適合していないと思う同期3人だった。


「納得できない」「何か秘密があるはず」「説明が欲しい」


 じっとりとした視線を清水に向ける3人だった。


「ええと……私は4月生まれだから……?」

「「「なんっじゃそりゃー!!」」」


 清水の言葉に、声を揃えて叫ぶ3人。


「ほら、小学生だと4月生まれは体が大きいとか、そういうのが。まだ私達も成長期だし、数カ月の差でもそれなりの差があるというか、そういう事で……」

「そっかー。あたし7月生まれだもんね。3カ月遅れだわ!!」

「あたしは10月生まれだから、半年遅れだわ!!」

「あたしは11月生まれ!!秋には追いつくかな!!」


 と、すかさず3人が答え、そして。


「「「そんな訳ないじゃん!!!!」」」


 揃って声を上げていた。

 半年経ったら追いつくとかそーいうレベルじゃねえだろー!!と、1年女子マネ3人が清水を取り囲んでギャーギャーと声を上げる。『秘密を教えろー!!』と騒ぎ立てる3人だった。


「秘密も何も、普通にしてただけだし……」

「うそだー!!何かあるはずだよ!!」

「落ち着いて。清水さんの普通と、あたし達の普通は違うんじゃないかな?」

「常識を疑えって事ね。同年代なんだもん、何か秘密があるはずよ」


 そんな面倒くさい絡みをしている女子マネ3人と清水の会話に、着替えを大体終えようとしていた山崎が口を挟んだ。


「清水さん、4月生まれなの?あたしも4月よ」

「そうなんですか!!奇遇ですね!!」


 清水がすかさず飛びついた。

 面倒くさい同期3人の絡みから逃れるため、そしてリスペクトしている先輩の個人情報を得るため。まことに有り難い話題提供である。


「ま、芸能人じゃないからね。秘密にしてる訳でもないけど、個人情報はあんまりオープンにはしないから。宣伝HPとか持ってるわけでもないしね」

「4月の何日ですか?!私は8日です!!忠犬パチ公の日です!!」

「マジか。パチ公の日って」「それで犬っぽいのかな」

「2人は4月か……すると清水さんも来年には……いやまさかね……」


 1年生4人は、山崎が答えを返すのを待つ。

 誕生日を知ったからどうという事でもないが、こうして他愛もない会話から先輩後輩の距離感は縮まっていくのだ。そして山崎が答える。


「あたしは4月1日よ」

「えっ」「「「えっっっ」」」


 驚きの声を上げ――そのまま、黙ってしまう1年生達。


「あ、ちなみにね。『4月バカの日か』とか『バカ』って言う奴は、男女問わずに例外なく引っぱたく事にしているから、そこは注意しておいてね?」


 にこぉ、と笑いながら言う山崎。

 笑顔だが言葉は本気だと、何故か理解できる1年生だった。


「すいません、先輩。質問があります」

「はい清水さん。質問を許可します」


 スッと挙手する清水に、質問を許可する山崎。


「4月1日生まれ、という事は本当でしょうか」

「嘘ではないわね。ちなみに、『ウソだぁー!!』とかいうリアクションは聞き飽きたわ」


 どうやら山崎は、過去に誕生日ネタで色々言われてきたようだった。


「……それはつまり……『ギリギリの早生まれ』という事ですか?」

「そうね。今現在、あたしと清水さんは同い年の16歳。というか、誕生日が1週間しか違わないから、ほぼ年齢差は無しね」


 その言葉を最後に、しばらくの間、更衣室を静寂が包んだ。


「「「――バカなっ!!!!」」」


 1年女子マネ3人が異口同音の叫び声を上げる。


「じゃあ、じゃあ……山崎先輩は、肉体年齢的には、あたしと同じ?!」

「待つのよ、ゆっこ。3カ月から半年の差があるから……あるから!!」

「あれー?そうなると、半年後には、あたしも追いつけるのかな?このサイズに。そっかー、気づかなかったなー」


 などと。1年女子マネ3人の精神が現実逃避していく。目の前で揺れ暴れ、見た事のないようなサイズのスポブラに収まった大質量の胸部装甲と、自分の持ち物とを比較した結果だった。そしてこの巨大質量を持つ先輩は、誕生日があと1日遅ければ同学年だったという事なのだ。つまり自分達と肉体的には同じ立ち位置という事である。この3人には到底理解不可能な現実問題だった。


「……つ、つまり……私と山崎先輩は、双子の姉妹みたいなもの……??」

「清水さん、それは違うよ」

「正気に戻って清水さん」

「落ち着いた方がいいと思うよ清水さん」


 別の方向に意識が飛びそうになっていた清水のおかげで、3人の精神は平静を取り戻した。目の前で慌てすぎる人を見ると、かえって冷静になれる。そういうやつだった。


「まあ、小学生の時は身体が小さかったから、そのぶん負けないように頑張ったわ」

「その結果が、現在の身体なんですね。スゴイです」

「すっっっご」「肉体の才能が違う」「師匠と呼びたい」


 主に3人の視線は山崎の胸元に注がれていた。


「はやく大きくなりたーい!!……っていう気持ちが、体を大きくしたのかもね。精神の働きは肉体にも影響を与えるし。そしてこの鍛え抜かれた身体は努力の賜物!!ゆえに自慢する権利がある!!勝手に大きくなったのではない!!努力して大きくしたのよ!!どうだまいったか!!修行の足りぬ若人よ!!」


 どやぁ、と胸を反らせてみる山崎。あまりの迫力に、思わずのけ反る1年生。

 ――そして1年女子マネ3人は、流れるような動きで床に平伏していた。


「「「……まいりました」」」


 傍から見たら、何をしているのか良く分からない光景だった。

 その後、「おしえてください」「どうかご教授を」「おねがいします先生」などという言葉が平伏する3人から発せられ、一件落着するまでに、しばらくの時を要したのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「え?誕生日?」


 男子更衣室で、どういう話の流れか、北島が1年生から誕生日を聞かれていた。


「そんな事を聞いてどうすんだよ中島。仮にお前の誕生日が明日だったとしても、プレゼントなんかやらないからな。ちなみに俺は3月生まれだから、とっくに終わった」

「えー?!先輩、早生まれの組だったんですか。ちなみに何日なんですか?」


 北島は、少しだけ黙り込んだ後、後輩の質問に答えた。


「……27日だよ。山崎の誕生日も近いもんだから、誕生日プレゼントをくれる代わりに『あたしにもプレゼントよこせー!!』とか言って、お菓子とか要求されるんだ。今年もケーキ要求されたよ」

「「「女子の幼馴染から誕生日プレゼント!!」」」


 更衣室内に居た野球部員の全員が声を揃えて言うと、この話題に飛びついた。


「なんだよ北島ー!!甘酸っぱいイベントあるじゃん!!」

「毎年もらってんの?いつから??」

「今までもらったプレゼント、大事に取ってあるとか?」

「何をもらったんだよー。教えろよー」

「手編みのマフラーとか、手袋とかを希望します!!」


 わいわいと、北島を軽く取り囲む部員達。そんな仲間達に憮然とした表情を見せた北島は、ぼそり。という口調で答えた。


「セミの抜け殻」

「「「……えっっ」」」


 北島が何を言ったのか分からない、という表情を見せる面々。


「……前年の夏にしこたまコレクションした、セミの抜け殻を一つ、もらったかな。確か、それが最初のプレゼントだったと思う。もちろん自然分解されて粉になり、今は残っていない」

「「「……えぇぇぇ……」」」


 山崎さんて女子ですよね、という表情を浮かべる面々だった。


「山崎は今でこそ女っぽいボディラインの女子だが、昔は研ぎ澄まされたナイフのような男……のような女子だった。やる事なす事ほぼ男子、女子らしい事に興味を持つようになったのは、おばさんの教育がある程度のレベルに達してからの事だったよ。……セミの抜け殻の後は……河原で拾った綺麗な石だな。これは残ってる。……その次は大量の青虫?……その後は……手製の木刀?だったかな。虫食いが酷くなってゴミになったけど……あ、カブトムシの幼虫をもらった事あったな。メスだったけど。……『いざという時は、これで自分の身を守れ』って、何かの金属片を研いだ刃物をもらったのは、いくつの時だっけな。あ、小学4年の時だ」


 しみじみと、過去の思い出に思いを馳せる北島だった。


「……俺の想像の中の幼馴染と違う」「おかしい」

「マフラーと手袋は、いつ出てくるんですか?来年ですか?」


 などと言う仲間達。そんな仲間に、『何を言ってるんだ』と言わんばかりの目を向ける北島。


「山崎の話をしてるんだが?」

「「「そういえばそうだった」」」


 中学に入ってからは食べ物になったぞ。たくあん漬けとか。今年は納豆だったし。もちろん自家製だぞ。と、少し嬉しそうに話す北島を、少し残念な生き物を見る目で見る、野球部の仲間達だった。

 後日、野球部3年の川上が、3月27日って何の日?と、『毎日が記念日』みたいなタイトルのデータベースで調べた。そして『3月27日は【さくらの日(日本さくらの会)】』という事を知り、『ダメだわ、あいつ』と思ったという。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 また、私立・西晋高校では。


「なんだこいつ!!おっぱいスゴイな!!弘高ってすげぇ!!」

「――池谷。県内のライバル校に興味を持ったのはいい事だと思う。しかし、お前はどこを見てるんだ?プレー内容を見んか。そして山崎と平塚監督に謝れ、バカ者め」


 情報弱者から脱しようと、去年の弘前高校の動画を漁る池谷と、その姿を見守る監督の姿があったという。

 県予選2回戦を終えた、その翌日。わずかばかりの平穏な空気と日常が、それぞれの学校に訪れた月曜日だった。

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