第83話 2年目の大沢木高校戦、開始
県大会、1回戦。【 県立弘前高校 対 市立大沢木高校 】
どちらも公立の高校であり、違うと言えば県立を公立ではなく県立と言うところと言わないところがある……という程度の違いしかない。いずれも同じ県の教育委員会の指導管理下に置かれている上で県の税金で運営されている方式には違いないのだ。そのため、基本的な部分で特別な違いは無い。一般教育課程の設備が優先されており、その他の設備は必要最小限。当然ながら、部活動の設備等は充実しているとは言い難い。
もっとも、弘前高校野球部は去年の夏大会の大躍進によって、大幅に環境が変わったが。今はその点を問題にする時ではないので、脇に置いておく。
――両校野球部の共通した環境として『獲得部員は運任せ』という点がある。どちらも公立の進学校ゆえに学校の入学試験に合格する事が第一条件であり、特待枠も体育科も無い以上、スカウト等も存在しない。新入部員は希望者次第、という事だ。あとは入部した部員を『どう育てるか』という事になる。
であれば去年の両校の実績の、大きな違いを生んだ要因はやはり、KYコンビの存在の有無という事になるだろう。
山崎と北島の2人が入学したからこそ、今や『知将』とも『名将』とも呼ばれる平塚監督が、その指導能力を十全に発揮する事ができたのであり、弘前高校野球部は地区予選を勝ち抜くチームへと成長する事ができたのだ――と、今では理解されている。兎にも角にも、平塚監督は運に恵まれた。そして才覚を解き放つ機会を得たのだ、と。
ただし、若干の疑問も無くは無い。山崎と北島の出自、中学時代の実績の低さ――現在では『不自然さ』と思われている部分である。
北島選手は中学時代も野球部に所属していたものの、現在のような恐るべき強打者ぶりを見せてはいない。もちろんこれは、中学時代にレギュラー枠に安定して収まっていなかったため、公式戦で活躍する機会が少なかった事もある。が、当時の監督を務めていたY氏によれば、『特に目立った能力を発揮する選手では無かった』という。
もちろんこれは、Y氏に見る目が無かっただけ、と断ずる事も出来なくは無い。しかし、バットが届くを幸いに確実に安打にし、芯を食わせば高確率で本塁打にするような選手が、果たして、まったく目立たない、などという事があるだろうか……?北島選手の前年度の公式戦の打率、出塁率はほぼ10割である。普通の一流選手など比較にならない程だ。
さらに付け加えれば、山崎選手に到っては、中学生が一般に属するあらゆる連盟・団体に登録される事なく、法の目を掻い潜るかのようにして社会人野球リーグの登録選手になりおおせ、中学時代から硬球・木製バット、高レベル選手の中で技術を磨いていた。
これは偶然だろうか?
やはりここは疑わざるを得ない。
山崎、北島の両選手を中学時代以前から指導してきた何者かが、特別な指示を与え、指導を行い、そしてこの2人を弘前高校に送り込んだのではないか……と。
仮にそうだとすれば、その人物は平塚監督と個人的な繋がりを持つ人物であろう。そして野球強豪、有名校、野球部の設備が整った私立高校のいずれでもない、ただの公立進学校に、あのKYコンビを送り込んだという事は。野球強豪校に対する何らかの確執、あるいは現状の高校野球の体制に対する何らかの不満を持つ人物であろう事は想像に難くない。
現時点において、『中学時代以前のKYコンビ』に関する事は推察、考察の粋を出ない。情報は不足しており、何らかの情報を得たとしても、個人のプライバシーに深く関わる事柄であった場合、公表できない可能性もある。
だが、筆者は知りたいと思う。それが公表できなくとも、筆者個人の胸の内に収めなくてはならないとしてもだ。KYコンビを育てた人物は、何を思って彼らを育てたのか。トレーニング次第で、女子でも男子と渡り合える事を証明したかったのか。今の高校野球界の空気、体制に対して、提言したい事があったのか。今のスポーツ界のトレーニング、能力開発の方法に対して、選手を通して言いたい事があったのか。
彼らの能力……去年の夏大会で上げた実績は、『ただ才能があった』という一言では片付けられない。間違いなく、一流の、そしてまだ日の目を見ない指導者の存在があるだろう。彼、あるいは彼女の、最先端……これは現時点で最強と言ってもいいKYコンビを育てたが故にこう呼ぶものとする……選手育成技術は、ともすれば高校野球に留まることなく――――
※※※※※※※※※※
「ふうーむ」
山崎はタブレットから目を離し、鼻息をつきながら紙コップの茶を飲む。
「……謎のトレーナー・エックス(仮)の正体が明かされる日は来るのかしら」
そう言いながら、タブレットを俺に渡してくる山崎。
「さあ?……平塚先生へのインタビューが激化しそうな気はするけど」
平塚先生は大変だな。監督ってほんと大変だよ。
手術を終えた山崎は、もう翌日から歩く等の軽い運動をしていた。山崎が行ったのは腹腔鏡手術という、小さな切り口からマジックハンドのようなものを腹部に差し込んで行う手術で、切り傷が小さく回復期間も短くて済む手術方式だった。そして昔はともかく最近では、術後の内臓癒着(人体の傷に対する復元作用が余計な部分まで接着とかする現象らしい)を防ぐため、術後1日後くらいからすぐ、軽い食事を与え、軽い運動を始めさせ、腸に普段どおりの動きをさせて癒着を防ぐのが一般的な対処法なのだという。体を大きく切っていない限り、じっとベッドで動かなかったりするのは、合併症予防のためには、かえって良くないのだとか。筋肉痛は軽い運動をしていた方が回復が早い……とかの、動回復と同じような理屈もあるのかもしれない。
そんな理由もあって、山崎は今も院内を散歩した後、フロアの休憩室で俺の持ち込んだタブレットで最近の高校野球ニュースを読んでいたところだ。
なお、俺は『田舎病院の病人食ばっかり食べてたら体が痩せる』という山崎の要求により、食料の密輸係を受け持っている。これは必要な事なのだ。山崎が言うには――
『――負傷を癒やそうとする時、動物は体内の蓄積エネルギー、および組織を変換して補填しようとする。代表的なのは消化中の糖分類、変換中のアミノ酸類、そして脂肪と筋肉組織などの、手近な組織を分解変換する事になるのよ。だから食料を要求する』
――そんな山崎の言葉を聞いて、病院の基本スケジュールを無視しての食料品密輸に対する罪悪感は消し飛んだ。病院の画一な食事プログラムなど知ったことではない。アスリートは体組織を犠牲にして傷の回復などをしてはいけない。不足する分は補給するべきなんだ。こんな市民病院の医者に、一流スポーツ選手専用の回復プログラムを組む腕があるとも思えない。
普通の人間だったら消化機能やら何やらの問題が出るかもしれないが、山崎ならば、内臓機能の制御くらいはしてくれる気がする。内臓への負担など気にしてはいけないのだ。今、山崎に必要なのは回復に必要なだけのエネルギー源、体組織の構成栄養源なんだ。多少余剰するくらいで問題ない。体内の備蓄を消費してはいけない。必要なだけ補充してやらなければいけないんだ。
決して一部の身体的ボリュームが減る事があってはいけない。それ即ち世界の損失である。俺は山崎と幾つかの確認事項についてやり取りすると、ルーズリーフの束と密輸食料品の入った手提げとを交換した。
※※※※※※※※※※
――そして、6月末の土曜日の午後。俺達の第1回戦、大沢木高校との試合の日だ。
観客は満員とは言わないまでも、それなりに入っている。どちらかと言えば弘前高校側よりも大沢木高校側の方が多いくらいだ。応援だけでなく、偵察のための他校生の人間が多いのかも知れないが。
互いのメンバー表は先程交換しており、グラウンド練習を交代で進めている。試合が始まるまで、もうあとわずか。観客には弘高メンバー表の詳細はまだ分かっていないが、練習風景から大体の事情は察しているようだ。そして弘前高校の練習が始まって以降、観客席からのざわめきが止まることは無い。口々に言葉を交わし、カメラのレンズを向け、時には罵声のような声も飛ぶ。
トーナメント戦は一度負ければ全てが終わる。1年生が登録メンバーの半数以上を占める弘前高校での主力は、当然ながら数少ない3年生と2年生。投打共に主力の山崎を欠いての弘前高校の、この試合におけるスターティングメンバーが、どうなっていたかというと――――
【1回戦(大沢木高校戦)弘前高校スタメン :打順不同 守備位置順】
背番号18:清水 良子(1年) ピッチャー
背番号 2:松野 康介(3年) キャッチャー ☆主将☆
背番号 8:田辺 辰巳(1年) ファースト
背番号11:中島 宏 (1年) セカンド
背番号12:芹沢 純一(1年) サード
背番号19:安藤 周建(1年) ショート
背番号13:山本 賢治(1年) レフト
背番号14:小森 亮太(1年) センター
背番号15:宮本 武士(1年) ライト
【交代要員】
背番号16:下村 陽太(1年)
背番号 9:黒木 真吾(1年)救援投手
背番号 1:川上 進二(3年)
背番号 3:竹中 真 (2年)
背番号 4:北島 悟 (2年)
背番号 5:古市 博昭(3年)
背番号 6:山崎 桜 (2年)【欠場】
背番号 7:西神 誠 (3年)
背番号10:前田 耕治(2年)
――松野キャプテン以外、1年生のみ、という布陣だった。
「……大沢木の人達、微妙な表情ですねえ」
今井マネージャーが、ポツリと言った。
「練習が始まってから、観客のざわめきも止まないしなぁ」
平塚監督が、とても落ち着いた声で返す。すべては想定の範囲内だと言わんばかりに。
ちなみに基本的な部分は山崎の指示によるものだ。ルーズリーフで記録された『指示書』によるものである。
とはいっても、初戦に対しては『できるだけ1年生に実戦経験を積ませるように』とかいう、ぼんやりとした指示だったような気がするけど。指示の内容をどう解釈するか上級生と監督とで話し合った結果、『大沢木高校は1年生スタートで』という結論に落ち着いたのである。少しだけだが情報を集めた結果、大沢木高校は去年とあまり実力が変わらない様子。であれば、上級生を抜いた状態でも互角以上の戦いになるのではないか、と。
後半で相手に勢いがついてくるようなら、メンバー総入れ替えのつもりで選手交代すればいいんじゃなかろうか、という流動的というかファジィな方針が決まり、このスタメン構成となったわけである。正捕手が入っている以上、レベルの低い草野球にはなるまい、と。
まあ情報収集を目的としている、一部観客の方々からして見れば、多少の不満があるところかもしれないが。
『ナメられてんぞ――!!気合い入れろや大沢木ィ!!』
『レギュラー引きずり出してやれぁ!!』
『逆転できないとこまで点取ったれ!!!!』
『1年坊主なんぞ叩き潰せぇ!!!!』
いや、だいぶ不満があるようだ。ほぼ罵声100パーセントの歓声が聞こえる。そしてこの罵声や野次に晒されるのは今日のスタメンの1年生。こいつら大丈夫かな、と1年生メンバーの様子を窺うと。
「あるあるぅ」「ありがちな反応」
「偵察の人にしてみれば、まぁ分かる話だよね」
「楽しんでいるようで何より」「青春って感じもするわ」
なにやら大人な反応を見せていた。
手近にいた1年生に、言葉が心に刺さったりしないのか、と聞いてみると。
「新入部員歓迎会の後、たまに『お前ら大丈夫なのか』みたいな感じで、絡まれる事があったんですよ。知らないおじさん達とかに」
「弘高野球部ファンなんですかねー。『もっと気合い入れろ』とか『先輩の足引っ張るな』みたいな感じで。黙ってると『態度が悪い』とか言われて。まあホントたまにでしたが」
「当時は『なんで俺達の事を全然知らない人に、こんな事言われなきゃいけないんだ』みたいな事を思って、けっこう滅入ったりもしたんですけど……」
「あの新兵訓練……強化合宿から後、ぜんぜん気にならなくなりましたね。なんか、一般人の反応がぜんぶ可愛く見えて。笑顔で『練習がんばります!!』って言えるようになったんです」
「もう、ああいう反応にも慣れました。弘高野球部の部員ってだけで結構あるんで」
「もとのレベルが低いっていうのも、いい事ありますよ!!」
とかいう反応が返ってきた。
どうやら山崎の教育した1年生は、思ったよりもタフな精神力が身についていたようだ。それともこれも、山崎の予定通りなのだろうか。
「……そろそろ大沢木の練習も終わりそうですね。松野キャプテン、以前に聞いていた通り、当面は『1年生の好きにしていい』という事でしたが」
「お、おう。そういう事になってるぞ」
一休さんこと安藤の言葉に、松野キャプテンが平塚監督をチラ見しながら答える。
「――それでは、この『計画表』を見ながらやっていこうと思います!!」
安藤はそう言うと、色々とゴチャゴチャ書き込まれたルーズリーフを、ベンチの壁にペタッと貼り付けた。
「なんなの、これ」
思わず素で聞いてしまう俺。その問いに安藤が答える。
「先日スタメンを発表された後に、1年生だけでファミレス会議を開きまして」
そんな事をしていたのか。
「我々だけで試合を始めるとして、どのような態度と意識で取り組むべきかと話し合った結果、『面白そうな事を全部やろう』という結論に達しました」
なんだそれは。お前ら山崎の生霊にでも憑り付かれたのか。坊主がいるのに。
「基本的に、このスケジュール表を遵守する方向で試合を進め、その達成率が80パーセントを超えられるようにプレイする事を目標とします。達成率を達成する事が目的です」
チラっと見た感じ、この計画表、小学生の夏休み計画表みたいになってる気がするんだが。思いついたこと全部煮込んだ闇鍋みたいな。部分的に見ると普通の事しか書かれてないように見えるのに、何だか独特な雰囲気を放っている。
「先輩や監督に教わった事を出し切るつもりで頑張ります」
いい台詞のはずなのに、不安しか感じない言葉だな。
『――――選手、集合!!整列!!』
「「「はいっっ!!!!」」」
審判団の宣言に、反射的に飛び出す俺達。ホームの前に整列する。
『――礼っ!!』
『『『『お願いしまぁ――――す!!!!』』』』
帽子を取り、互いに礼を交わす。何気に(ほぼ)登録限界フルメンバーでの初公式戦になる。
――いよいよ試合の始まりだ。駆け足でベンチに戻る俺達。
弘前高校野球部としては、大沢木高校野球部をナメているわけでは……ナメているとは……ナメているとは言えなくもないのだが……それでも1年生だけで勝てるとは思ってもいない。勝てるかもしれないが、必ずとは思っていない。適度なところでメンバーを交代させていき、最終的には予備人員を残して、上級生組メインで試合を決めるつもりだ。安全マージンは取るつもりである。
今回は、あくまで……いちおう、1年生に公式戦の、トーナメント戦の雰囲気に慣れさせる事を目的として、1年生メインでスタートさせているだけである。ある程度の失敗は予定の内なのだ。対外的にも、山崎を欠いた弘高野球部が、1年生のレベルアップを平行作業で行いつつ、全員で頑張っている……なんとかやってます、的な感じで頑張りアピールをするつもりなのだ。平塚監督の無理の無いイメージダウンも隠れた狙いの一つである。未だ平塚監督の株、緩やかながらも右肩上がりらしいからな。援護射撃が決まればいいと思ってます。
知将とか名将とか言われる平塚監督、意外に普通じゃん!!……って言われるといいなあ、という目論見なのです。1年生に余裕があれば、できるだけ1年生だけでプレイさせるつもりではあるが……さて、あの計画表がどこまで実行される事になるのか。
先攻は我々、弘前高校。1番打者を送り出す。
『お願いします』
礼をしてバッターボックスに入った1番打者は、山崎を欠いた弘高野球部における紅一点、清水 良子。
……1年生の好きにしていい、と言って打順も好きに決めさせた結果(今日、相手チームに渡した打順表も1年生の協議の結果だ)、投手の清水が1番打者となっている。清水は左投げ左打ちだから、走るのに適していると言えなくもないから1番打者向きとも言えるが……なぜ先発投手を1番に持ってきたのか、試合後に聞いてみたいところだと思う。
『『『――おぉぉぉ――――』』』『『『――なんだアレは――』』』
観客席から、大沢木ベンチから声が上がる。
対して弘前ベンチからは、「ひゃっひゃっ」「ウケた受けた」と、1年生の笑い声が。
――清水 良子。
軸足1本で揺れもせず、ピタリと静止した、見事な1本足打法スタイルだった。
――以前、山崎が仕込んでいたやつだ。
ここで出すのは俺も知らない山崎の指示か。
清水を最初に持ってきたのは、ただこのためだけ、なのだろうか。
それとも山崎の生霊の仕業か。清水に憑りついているのだろうか。
いずれにせよ、コイツら全員、山崎の毒に侵されてやがる――――
「……つまり、ウチの芸風にちゃんと染まってきた、という事かなあ」
「今日はこいつ等だけでもいいんじゃないか」
「やれるとこまで任せよう」
気楽な言葉が出る俺達上級生だった。
なんというか不思議な安心感を得る、上級生一同。
試合はこれから。まだ1球も投げられていない。
弘高ベンチの上級生に、のんびり観戦気分の空気が、大沢木高校側の観客席にはヒートアップした空気が流れつつ、俺達の1回戦は始まったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます