閑話 不確定恋人関係に関する考察

 とある日の昼休み。弘前高校1年生、野球部所属の中島 宏は、同じく野球部の先輩である古市を偶然に見かけ、つい最近疑問に思った件を質問する事にした。


「古市先輩、こんにちは」

「おお、中島か。どうかしたか?」

「ちょっと聞きたい事が……【シュレディンガーの猫】って何ですか?この間、北島先輩の話で出たやつ。少しだけ気になってたんですけど、まだ調べてなくって」

「あー……あれか」


 中島としても調べる機会はいくらでもあったはずなのだが、今の今まで調べずに放って置いたのだ。聞かれた古市は、少し考えながら、中島の問いに答えた。


「お前、聞いた事ない?量子力学のシュレディンガー博士の、たとえ話だよ。……実のところ、俺もよく分からないんだけど、『一般的にざっくりと』解釈されている内容は、『観測によって結果が決定される』みたいな事のたとえ話なんだよな」

「はあ」

 中島が浮かべているのは、それが北島先輩が彼女持ちではない理由とどう関係するんですか、という表情。


「北島は周囲から、『山崎と付き合っている』と認識されている」

「えっ!!」

 そうなんですか知りませんでした、という表情をする中島。


「しかし北島自身は『山崎とは付き合っていない』と言っている」

「ええっ?!」

 それじゃ付き合ってないんじゃないですか、という表情をする中島。


「だが周囲が2人の様子を観察するに、どう見ても付き合っているというか、熟年カップルのようにしか見えない。さて、お前はどう解釈する?どう見える?」

「ええええええ」

 そんなの意味が分かりませんよ。という表情をする中島。


「量子力学的に言えば、これは『付き合っているKYコンビの存在』と『付き合っていないKYコンビの存在』が重なり合っている状態、という事になるらしい。ちなみに、俺が見たところ、あいつ等は付き合ってる」

「結局どっちなんですか?!」

 まったく意味が分かりません、という表情をする中島。


「知らないよ。お前が観測して決めたら?」

「ええ――――」

 なんだか煙に巻かれた、という表情の中島を残し、古市は立ち去った。


 そしてしばらく中島が歩くと、北島がちょうど目の前に現れた。


「北島先輩、こんにちは」

「中島か。どうかした?」

「あの、北島先輩。山崎先輩と……内緒で付き合ってるんですか?」

「……あのなあ、中島。【シュレディンガーの猫】っていう、量子力学の思考実験の例え話を知ってるか?」

 ええまあ、良く分かっていませんけど。と答える中島。


「あれは元々、シュレディンガー博士が『量子力学の現在の解釈方法』に、問題点があるんじゃないか、という『問題提起のために作った例え話』なんだ。つまり、真実は本当にそうなの?観測そのものが結果に影響を及ぼすのだとしたら、観測方法に問題があるんじゃないのか?現在のその解釈は間違ってんじゃないの?……という話なんだ。ちなみに未解決案件だぞ」

「はあ」

 結局どういう事なんですか、という疑問の表情を浮かべる中島。


「つまり俺が言いたいのは、真実はひとつ。付き合っていないものは付き合っていない。仮に観測者が付き合っているように見えてしまったとしたら、それは何らかの観測的問題によって引き起こされた間違った観測なんだ。そもそも『思春期男女のお付き合い』って、どんなのが正しいの?友達と恋人の境界線はどこ?プラトニックラブは付き合ってる内に入るの?入らないの?そもそもプラトニックラブってどんな感じなわけ?友情と恋愛感情の違いはどうなの?お前知ってるの?だったら教えてくれよ」

「はぁ……」

 やだこの人めんどくさい、という表情を浮かべる中島。


 めんどくさい状態の北島にしばらく絡まれた後に解放されて少し歩いた中島の目の前に、山崎 桜が現れた。もうKYコンビが付き合っているかどうかをハッキリさせなくてもいいんじゃないか、とも思えなくもなかったが、中島はつい魔が差したというか、山崎に事の真相を問い正そうと話しかけてしまった。


「山崎先輩、こんにちは」

「こんにちは。どうかした?中島くん」

 しかしここに到って中島は躊躇した。ここでさらにめんどくさい事になるのは嫌だな、なんか適当に誤魔化せないかな、という消極的思考が走り、口をついて出た言葉は。


「シュレディンガー博士って、いいですよね」

 というものだった。


「……シュレディンガー博士って、あの量子力学の先生?」

「あっはい、それです」

 聞き返す山崎に、つい反射的に答える中島。


「この下衆野郎!!矯正プログラムにブチ込んでやるわ!!」

「ひぃっ!!」

 その後すみませんすみません、適当に口を滑らしただけなんです、と平謝りに謝って何とか逃がしてもらえた中島は、憔悴した表情でクラスに戻る。


「何かお疲れのようですね」

 自分のクラスに戻ると、ツルピカ坊主の一休こと、安藤が中島に話しかけてきた。斯く斯く云々、と憔悴している理由を語ると、安藤は少しだけ呆れたような表情を浮かべる。そして中島に語って聞かせた。


「私の聞いた話では、山崎先輩は男子のエロ談義などに対しては、かなり理解を見せてくれる方のようです」

「へえ」

 そうなんだ、でも俺の話と関係あるの?という表情を見せる中島。


「しかし性犯罪行為に関しては、かなり潔癖と言うか、過激な反応を見せる事があるようです。あの見事なダイナマイツボディですので、痴漢被害に何度も逢っているのかもしれません。さもありなん」

「お前けっこう言うよなあ」

 この生臭坊主、下衆な表情を浮かべずにサラリとエロトークをする事があるので油断できない、とでも言いたげな表情をする中島。


「そしてシュレディンガー博士ですが、簡単に言うと『こいつどこのエロゲ主人公だ』と言わんばかりの人物だったそうで。正確に言うと、鬼畜系エロゲ主人公です」

「ハァ?!」

 なんなのその話。そしてお前はなんでそんな知識あんの?!という驚きの表情をする中島。


「シュレディンガー博士は結婚して細君がいるのですが、愛人もいて妻妾同衾を地でいくように、愛人を同じ家に住まわせ、そしてナンパが趣味なのか、今までに落とした女の詳細な情報を記録した手帳を持ち歩き、さらには同じ物理学者の友人の細君には自分の子供を孕ませ生ませるという鬼畜乱行ぶり」

「………………」

 シュレディンガー博士ハンパねぇ、という表情の中島。


「優秀な学者であっても一般的な倫理観に沿った生活をしている人格者かどうか、という問題とは別の話……という実例ですね。そして中島くんはその『下衆鬼畜物理学者』に憧れている的な発言をした、と。これは山崎先輩に目をつけられても仕方ありません」

「げえええええええ」

 やっちまったあ、という表情で白目を剥きそうになる中島。


「しばらくは清貧を心がけて生活する事です。鬼畜系エロゲ主人公はさすがに引きます」

「うわあああああん」

 嘆きを全身で表現しつつ、机に突っ伏す中島。今日は厄日だ、と思った。


 どうせついでだから、と。安藤に【シュレディンガーの北島先輩】の話をしてみる中島。もちろん北島先輩がシュレディンガー博士のような鬼畜系エロゲ主人公という意味ではない。そんな話が伝播してしまったら、間違いなくKYコンビの2人を敵に回してしまって命が危うくなる。あくまで猫の例え話の話だ。そして問う。お前の観測ではどう見えるのか、そして事実はどうなんだろう、と。


「私の見たところ、高校生カップルらしい『お付き合い』はしていないと思います。ですが、小学生カップルのような『お付き合い』はしているような気がします。さて、これを付き合っていると見做すか、見做さぬか。意見の分かれるところでしょうね」

「むうう」

 うなる中島。


 しかし最近の小学生ならばチューのひとつやふたつ、そしておっぱいタッチ程度なら、している奴もいるのではないか。自分は経験ないが。いやしかしそれならば幼稚園児や小学校低学年のカップルはどうだ。あれは友達と言うべきかカップルと言うべきか。恋愛の定義、お付き合いの定義から見直すべきなのかもしれない。これは難問だ、と中島は考える。


「まあ、KYコンビは一蓮托生、という事で良いのでは?浄土宗的な意味で」

「わからねーよ」

「何を話してるの?KYコンビがどうしたって?」

 安藤と中島が話しているところへ、教室に入ってきた同期の女子野球部員、清水が話しかけてきた。KYコンビという単語が耳に入ったからだろう。


 これもついでだと、中島は清水にも語って聞かせる。KYコンビを観測する清水には、どう見えるのか、と。それを聞いた清水はこう言った。


「少し表現がおかしい気がするわね。この場合は『付き合っているか?』というのは力学的な原理の『解釈』あるいは推論であって、『観測結果』に当たるのは、山崎先輩と北島先輩の客観的な関係性、状況証拠ではないかしら?」

「なるほど。警察的な観点で結論を出せそうですね」

「状況証拠って、どんなのがあるの?」

 中島の問いに、清水は淡々と語った。


「実家が100メートルも離れていないような御近所さんで、小学校に上がる前から一緒に遊んでいた幼馴染で、仲の良さは御両親が保証していて、小学生の野球少年団からの野球仲間で、たぶん同じ師匠に教わったと思われる同レベルのホームランバッターで、今までずっと仲良くて、かなりの率で登下校を一緒に行き帰りしていて、弘高野球部ではセカンド・ショートの二遊間コンビの相棒で抜群の連携を見せていて、阿吽の呼吸の夫婦漫才を常日頃から披露していて、少し前からはバッテリーを組んでいる。まあ、このくらいかしらね。野球的な視点で見ると証拠充分だと思うけど」

「状況証拠充分で、猫は有罪ですか」

「ぐうの音も出ない」

 確かに考え込む余地は無かったのかもしれない、という表情で机に頭を転がす中島。複雑な問題でもなかったのか、と。


「私は山崎先輩の味方だから、北島先輩が浮気するような話を聞けば速攻でチクるけどね」

 そんな言葉を最後に、清水は自分の席に戻って行った。


「首輪も鈴もつけられてますね」「餌が充分なのか心配だ」

 結局のところ、猫は飼われているという結論に落ち着いた。


「まあぶっちゃけ、北島先輩は山崎先輩にキープられてるんじゃないかと思いますが」

「お前、破滅する時は俺を巻き込むなよ」

 この命知らずな生臭坊主、あの新兵訓練を経ても山崎先輩を怖れないのか、と。目の前のツルピカ坊主に怖れの視線を向ける中島。


 中島は後日、KYコンビのこんな会話を耳にする。


「ねーねー悟。二人でうまくプロになれたらさ、あたしにお金の管理を任せない?」

「怖い内容にしか聞こえないんだけど。どういう意味だよ」

「共同経営のマネジメント会社を作って税金を節約するのよ。個人事業主だと年俸次第で5割とか持ってかれるけど、法人にすれば3割程度らしいのよ。契約金は御祝儀も含めて仕方ないとして、年俸の税金は節税しなきゃ!!社員の名前は、あたし等の家族の名前を貸してもらってさー。事業項目は農場経営と食品販売とか入れていいよね?」

「お前、捕らぬ狸の皮算用、って言葉を知ってるのか?」

「狸が大きいか小さいかの話よね?猟師が狸を狩れるのは前提条件でしょ?あたしが言ってるのは、狸皮の販売益にかかる税金の話よ」

「でかい狸を狩るのが義務付けられる気がする」


 そんな会話を聞いて『うん、もう結婚してるって事でいいんじゃないかな』と、そんな感じで納得してしまう中島。シュレディンガーの猫の真実がどうあれ、とりあえずは自分の近い未来こそが、それこそが現実的な問題だ。夏大会で試合に出られるよう、何らかの結果を出せるように頑張ろう、と考える。そして彼女持ちのパーフェクトリア充と成る事を目指すのだ。猫がどんな状況だろうと、猫自身が幸福と感じていれば、状態も状況も些細な問題なのかもしれない。


 後に『山崎先輩も北島先輩も、基本的に犬派だ』という情報を耳にした中島は、「ああ、なんとなく解った気がする」と、ひとつ悟りを得た気分になったのだった。

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