第65話 ホームランダービーの終わり

【1塁側ベンチ 大場高校】


「万代!!」

「はい!!」

 井上監督の声に、すぐさま返事を返す万代。


「さっきまでのホームラン競争で勝てなかった以上、ここから先は多少格好が悪くても、先に繫げなきゃならん。この8回表の攻撃が3人で切られた場合、裏の北島は敬遠だぞ。この状況に至っては仕方ない。解るな?」

「……はい」


 重く頷く万代。相手チームの主砲に対しての敬遠策。正直に言うと、やりたくはない、という気持ちがある。しかし、同条件での、守備能力をほぼ無視した打撃勝負において、相手チームに大幅のリードを取れなかったのは、大場高校の打線そのものが弘前高校の打線に負けた、ひいては弘前高校バッテリーに大場高校のバッテリーが負けた、つまりは捕手である自分の責任が大きいとも言える。打てなかったのは大場の打線の勝負でも、打たせてしまったのは自分の責任が大きいと言えるのだ。異議を唱える権利が無い、と万代は考え、そしてその先に監督が言うであろう言葉も想像し、理解する。


「小森に替えて代打に出した梅崎は、1年だがウチのチームでは珍しいバント巧者だ。……あいつがセーフティを失敗するようなら、ウチの打線は本当に『打つ』しか点を取る手段が無くなる。そうなった場合、山崎を早い段階で攻略できる可能性があるのは、ウチのクリンナップだけだ。敬遠を繰り返したくなかったら、次の打席で何としてでも打って、点を入れろ」

「……はい!!」「おおっす!!」「うっす!!」

 万代とほぼ同じタイミングで、円谷とクレヴァーも返事を返す。


「お前らも!!山崎の球だけでなく、全身をよく見ておけよ!!いくら超高校級の怪物と言われていても、人間には違いないんだ。人間の限界はあるし、ミスもするし癖もあるはずだ!!ゴロでも前に飛ばせば何が起きるか分からん。まずは当てていけ!!気づいた事はすぐに情報共有していけよ!!2順目以降が勝負になるかもしれんからな!!」

「「「おおっす!!!!!」」」


 気合いのこもった返事を返す大場高校ナイン。誰もかれも、強力打線で勝ち上がってきた自負がある。今大会最強と目される『怪物』へと、射殺さんばかりの真剣な視線を向けていく。その球筋を、その一挙手一投足を、一瞬たりとも見逃さないように。


 ――ットライーク!!

 山崎の一投目。球審がストライクをコール。

 バックスクリーンの球速表示は【 158 km 】


「梅崎がセーフティ失敗?!空振りじゃと?!」

「かすりもしんかった。目測を完全に誤った?!」

「今のがジャイロか……?!動画よりも伸びて見える……」

「一投目から150キロ後半か。立ち上がり早いな……」


 ――ットライク!!

 山崎の二投目。球審がストライクをコール。

 バックスクリーンの球速表示は【 161 km 】


「今のは?!ストレートか?!」

「少し変化したと思うが……ストレートか。さっきの球とフォームは同じに見えた」

「梅崎は裏をかかれたな。速すぎて対応しきれちょらん」


 ――ットライク!!バッターアウト!!

 山崎の三投目。スリーバント失敗の三振。

 バックスクリーンの球速表示は【 160 km 】


「……梅崎が当てられんとは。ボールを追いかけては、バントでも対応できんか」

「ヤマを張るしかないな。ありゃ俺らでは普通のスイングが間に合わん」

「決め球はやはりジャイロか?自信を持ってそうじゃ」

「お山の大将タイプではあるな。基本的に外して来んか……待つだけ無駄かもな」

「むしろ落ちる球にヤマを張って強振するか……」

 ベンチの大場高校ナインが山崎の投球を分析する中、梅崎が戻ってきた。


「すんません。当てられませんでした。……想像以上に落ちます。いえ、今まで見た速球とは速度感覚が違いすぎて、予測より落ちるというか……直球のイメージでいくと感覚が合いません。振り抜くなら、だいたいのコースを予測して、完全にヤマを張るしか……感覚的には、ボール1個半は違うと思います」

「……強振するなら致命的だな。最後の1球、ストライクゾーンには?」

 梅崎の言葉に、万代が聞き返す。


「たぶん入っとりました。少なくともボール半個は入っとうかと。ほぼ間違いなく三振狙いです。バントの構えを見た後でも、動くつもりが無かったように見えました」

「……梅崎、ベンチから引き続き山崎を観察しろ。気づいた事があったら、すぐに言ってくれ。打席1つ分でも、分かる事はあるはずだ。お前は目がいい。頼むぞ」

「はい!!」

「変化と配球の癖が分かれば、あの速度でも打てるはずだ。総出で山崎を攻略するぞ!!」

 おおお、と気勢を上げる大場高校ナイン。


 ホームラン競争とはまた違う、張り詰めた気迫を放つ1塁ベンチだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「うっひゃー。ギラギラした視線が1塁側から突き刺さるぅー」

 ワンアウトを取った山崎が、マウンドで緊張感の無い独り言を言っていた。俺に声が届くように、わざわざグラブの反射角度を調整していやがる。


「山崎を丸裸にしてやんぜ!!とか言ってそう」

「それは比喩表現としてだな」

 対戦相手の手の内をすべて読みきる、というやつな。思春期のエロ男子によくあるような、好みの外見の女子を脳内で裸に変換するやつとは違うだろう。言葉に気をつけろよ。


「直球のセクシャルハラスメント的な視線のような気もする」

「お前の独り言が剛速球のセクハラだよ!!打者に集中しろよ!!8回だぞ」

 前を向きつつグラブに声を反射させて、ほとんど背後のセカンドと会話するんじゃないよ。下手な気負いが無いのはいいけど、あまりに馬鹿話をしてると注意を受けるだろ。


「へぇーい」

 まるで反省の色が無い気の抜けた返事をして、1番打者に振りかぶる山崎。そして気の抜けた声色の返事とは裏腹の、気合いの込められた剛速球を放つ。キャッチャーミットが快音を響かせ、球審がコール。


 ストライーク!!


 まずはひとつ。しかし大場は上位打線が始まっている。本物の試合としては初見だろうが、録画映像としては充分に研究されているはずだ。どんな当たりだろうと、打球が前に飛べば何が起きるか分からない。油断できようはずもないのだ。

 どんな打球が来ても捕る。バントの構えを見せたら、ギリギリまで状況を確認してから必要な対応を取る。1塁のベースカバーは打球を見てからでも間に合うのだ。一瞬たりとも油断しない。よぉーし、捕るぜ!!なにがなんでも捕るぜ!!

 だが。山崎の好投は続き、8回表の大場高校の打者と同様、俺のやる気も空振りに終わった。スリーアウトチェンジ。打球はひとつも飛ばずに8回表は終わった。


 ――投手の調子が良くて対戦打者が対応できないのは、とても良い事だ。それにきっとほら、次の3人との勝負が本番だろうしさ。


 俺はそう思いながら、3塁ベンチへと戻っていった。


※※※※※※※※※※※※※※※


【 1塁側 大場高校ベンチにて 】


「どうだ?何か分かったか?」

 万代のキャッチャー防具の装着を手伝いながら、円谷が問いかける。今の8回表の攻撃は三者三振。打者は2番で終わっている。次のイニングが始まれば、すぐに円谷の出番だ。


「今のところ、ストレートとジャイロだけ、ですね」

「コースは内角高め、内角低め、外角低め、どこもギリギリで」

「外角低めのジャイロは見逃せばボールになるかも。でも投げ方じゃ解らん」

 それぞれに打撃プロテクターを外し、グラブを持ちながらも返事を返す。あまり時間を取ると遅延行為の警告を受ける可能性もあるため、情報交換は素早くだ。


「……俺は思うんだが、山崎も筋肉の信奉者なのではないか」

 防具の装着具合を確認しながら、万代が何やら言い出した。


「山崎は女子でありながら、この全国大会の舞台に立っている。であれば、根性と気力だけで筋肉の力を覆せるなどとは思ってもいまい。そしてあの球速と打撃力。あれは己の体、筋肉の力に自信がある者の精神的余裕、それを感じる」

「お前は何が言いたいんだ」

 万代の言葉に、若干だが感情の抜けた声を出すクレヴァー。


「山崎は筋肉という肉体に宿る神の力を理解している。同時に、男女の筋肉量の差も理解しているはずだ。同等に鍛えた男女ならば、男の方が優れている。だが、山崎が終盤で多用するのはオーバースローからの直球と高速ジャイロだ。恐らくは他の変化球も投げられなくはないだろうが、コントロールの関係から使用は避けていると思える……。山崎は男女の筋肉差へのコンプレックスを多少は抱いていて、それが強打者、終盤の打者に対しての高速ジャイロの多用を……パワーによる投球をさせている、のではないかと。自分の方が筋肉を使いこなしているのだぞと、見せ付けたいのではないか、と思うのだ」

 万代の言葉に、少しだけ動きの止まる大場ベンチの仲間たち。


「……確かに、オーバースローからは直球とジャイロの2種だけっちゃ」

「160キロ前後の高速はオーバースローじゃないと出とらんしな」

「スリークォーターからのジャイロを投げないのは、やりにくいからじゃろか?」

「決め球に高速の球を多用するのは、パワー系に自信があるのと、万代の言った通りに何らかの心理的な理由があるからか?」

「追い込まれるまでは外角は捨てて、オーバースローの内角に絞るか……」

「大雑把に言えば4択まで絞れるか。しかしあの速さじゃと、もう少し絞りたいが」

 筋肉的な話はともかく、性格的な、投手の気分的な投球配分の話となると話は弾む。


「あの剛速球、どれもコーナーの隅に入ってますしね……厳しい」

 ポツリと出た梅崎の言葉に、円谷が振り向く。


「待て梅崎。ちゅうのは、誰の場合もか?!」

「あ、はい。少なくとも3人の投球では。すごいコントロールっス」

 円谷からの意気込んだ声に、ビックリした様子で応える梅崎。


「ジャイロもか?!」

「……あ、いえ。外角低めと、内角低めのジャイロは、落ちてますから、ボール球になるかも。直球の軌道のままでいけば隅に入ってると思いますが」

「内角高めは?!」

「……1球だけですが、内角高めのジャイロは、落ちた後で隅を通過してました。俺への2球目です。間違いありません。落ちる前の軌道はボール球に近いです」

 梅崎の言葉に、円谷は少し黙り、そして口を開いた。


「……山崎は、筋肉云々を考慮するかどうかは別として、かなりプライドが高い。バッテリーの意識序列から言っても、3年とはいえキャッチャーよりも優先順位は山崎の方が上じゃろう。万代の筋肉理論を適用すれば、あと3人をすべてオーバースローからの投球で決めようとしても、おかしくない。それも三者三振で……左右の変化球無しで、ボールは直球とジャイロの2択。プライドゆえに遊び球を極力減らそうとするなら……内角高めに、合わせるか」

「……落ちても落ちなくても、同じ場所に来る球なら、合わせる事は可能だ。低めの球はコーナーの決め打ちで振り抜く。外角低めは可能ならばカットだな」

「内角高めの隅に、抜群のコントロールで投げてくれるならば。ボールの来る場所は事前に分かる、って事っちゃね。あとはタイミングだけ、と。高校野球で内角高めは危険球と判断される事もあるし、少しは真ん中寄りに来るはず。来てくれれば打ちやすいっちゃ」

 オーバースローの外角低めと内角低めは確率5割でコースが分かる。内角高めはコース確定。山崎攻略の方針は決まった、という空気が大場ベンチに漂う。


「問題は、打点を得るだけの時間を稼げるか、そして耐球できるか、という事だな」

 ここで言葉を差し込んだのは井上監督だった。選手の熱気に対して、一歩引いた冷静な口調。気持ち表情も硬く、これから告げるべき内容を表しているかのようだ。


「次の北島は敬遠だ。予定通りにいくぞ」

「……分かりました」「うっす」


 言葉少なく、万代と田島が返事をする。できれば最後まで勝負をしたい、との思いはあるのだろう。だが、主砲以外の打線の能力は互角に近く、投手の能力には大きな開きがある。次の9回表で得点できなかった場合に勝負が決まるような状況は避けたい。チームの勝率を上げる方策を決定する監督としては当然の事だ。

 事ここに至っては、打者としての北島・山崎を避けて、投手としての山崎と勝負する方法を採るしかないのだ。現状に至るまでに得点差を稼げなかった自分達の不甲斐なさによる結果であり、文句を言う資格はない。山崎が出てくる前の打撃戦で負けた事を受け入れた上で、山崎と勝負して勝つ方法を取る。試合終盤の1点を争う高校野球においては、ごく当たり前の選択である。


「監督命令だ。作戦の責任は俺にある。あとは、きっちりと仕事をこなして来い」

「「「はいっ!!!!」」」

 覚悟を決めた気合いの返事を返し、大場ナインはベンチから駆け出して行った。



※※※※※※※※※※※※※※※


「そうなっちゃうかぁ」

 思わず、そんな声を出してしまう。


『……ボール、フォア』

 テイクワンベース。絶対届かない場所への敬遠球で、俺は出塁。8回表の弘前の攻撃は3番からなので、俺は2番目の打者だが、すでに1アウト。大場高校の予定としては、この後の5番6番で切ってチェンジにするとか、そういう予定なのだろう。理想的にはその先の7・8・9番で終わって試合終了になる事だな。

 山崎に対して大場高校の分かり易い対応は、3番からの筋肉三人衆による打点だ。逆に言えば、それ以外の打者では出塁も難しい、という事だろう。

 最悪なのは次の9回表の攻撃で得点できなかった場合であり、この8回裏で弘前に得点されれば、その時点で試合が終わってしまう。その事態だけは避けたい、という事だろう。打線勝負の大場高校のプライドと、試合に勝つために実現可能な作戦を実行できるだけは実行する、という現実的な考えの妥協点というところ、だろうか。


 いざ、という時に頼れる投手力があるか無いか、という事。俺達と大場高校の大きな違いは、きっとその点だけなのだろう。あと筋肉の量かな。

 しかし俺以外の打者で得点されれば関係ないんだぜ、と思っている間に、続く2人で打ち取られてスリーアウトチェンジ。大場高校筋肉三人衆との対決となる。俺達は9回表の守備のため、駆け足でベンチから守備位置に走って行く。


「――君たちと我々の違いは、あたしという存在の有無なのだよ」

「そういうのは試合に勝ってから言えよ」

 投球練習中の山崎が余計な事を言っていたので突っ込む。


「いや、こういうのって、勝負がつく前に言うものじゃない?」

「言うにしても、もう少しタメてからな」

 悪役のボスが味方側のやられ役を叩きのめすシーンとかで言うやつだし。最短でもまだ3人残ってるし。それにまだ同点だし。ぜんぜん早いよ。


 それに大場高校の筋肉三人衆は、これまでの対戦相手の中で最高の強打者だ。まぐれ当たりでもタイミングと打点がそれなりに合えば、ホームランすらあり得る。……まあ、こいつの球に、そうそう当てられるとも思えんのだが。

 そう言う間にも投球練習が終わり、打順3番の円谷選手が打席に入ってきた。山崎が振りかぶって、オーバースローからの第1投を投げる。


 ――キィン!!


「うそ当たった?!」

 思わず驚きの声を上げてしまう俺。


 打球は3塁側の応援席に飛び込んだ。カット目的にしても、1球目から当ててくるだけでもスゴイ。今のストレート、160近く出てたんじゃないの?


「やるなあ、筋肉1号」

「名前を呼んでやれよ。アナウンスあったろ」

 反射的に突っ込みを入れるも、俺も同じ感想を持った。確かにやるなあ、円谷選手。


 山田キャプテンのサインに首を振り、2投目を投げる山崎。


 ――ットライク!!

 さっきと同じ外角低めを強振。空振り。そして、3投目。


 ――キン!!

 内角高めを打ち上げた!!


「オーライ!!」

 山崎が手を上げて宣言。

 高く打ち上げたボールをキャッチ。ピッチャーフライで1アウト。


 おおお――――

 同点の状況で1アウトに、歓声を上げる3塁側応援席。


「「「「おおおお……」」」」

 驚きに声を上げる弘前ナイン。


 俺達弘前ナインの声は、観客のものとは質が違う。あの山崎の、山崎のジャイロが、はじめて。その事実に驚いたのだ。後ろから見ていれば最終的な球種やコースはだいたい分かる。山崎の高速ジャイロを見慣れていると言ってもいい俺達にとっては、ただの直球かジャイロなのかは判別可能だ。

 今までの公式戦で、山崎のジャイロを前に飛ばした打者は一人もいなかった。だが、今日はじめて、それが現れた。俺達の声は、その事実に驚いてのものだ。今までの打者では、うまいこと当ててもファウルチップが限界だったのに、と。


「……あれ、前に飛ぶんだ。すっげー」

 1塁の竹中の声が聞こえた。たぶん皆がそう思ってるな。


 これが全国大会の筋肉パワーか……。弘前ナインは目の覚める思いでベンチに戻る円谷選手を見送った。


※※※※※※※※※※※※※※※


 ベンチに戻る円谷が、ネクストサークルの万代に近づく。


「重い。速い。伸びる。振り抜く時は迷うなよ。振り遅れるぞ」

「コースは?」

「確かに、体に合わせたストライクゾーンの隅ギリギリじゃ。投げ損なって打者に当てる心配なんぞしとらんな!!あとジャイロは一点勝負じゃが、直球なら一撃あるぞ。迷わずいけ!!」

「わかった」


 万代は全身の筋肉を解きほぐすように、ゆっくりと体を揺すりながらバッターボックスへと歩き、一礼してボックスへと入る。


 ――タイミングだけだ。山崎は剛速球を投げてくるが、どんな球速でもコントロールが正確だ。球速だけが自慢の、雑な速球派ではない。むしろ精密機械のようなコントロールで投げてくる技巧派だ。ある意味、今の山崎は剛速球を投げてくる精度の高いピッチングマシン。投げてくる場所さえ分かれば、当てる事はできる。俺の筋肉ならば、振り遅れはないはず――

 振りかぶる山崎。ワインドアップからの、オーバースロー。投げた直後のボールの角度から、外角と判断してタイミングだけを合わせて振り抜く!!


『ットライーク!!』


 球審のコール。外角低めへのジャイロボール。落ちた球にバットの高さも合ってないが、わずかに振り遅れたと感じる。当たっていてもファールだろう。しかし、タイミングは大体つかめた。次はタイミングを合わせてみせる、と万代は思う。

 同時に、この球速ではコースを先読みしなければ、自分でも当てる事はできない、とも確信する。ちゃんと見てからでは合わせられない、予測だけが物を言う速度。


 ――やはり素晴らしい筋肉だ、と万代は思う。そして、自分の筋肉でこの勝負に勝ちたいと、全身の筋肉に力を漲らせる。そして山崎が振りかぶり、第2投を投げる。内角低めへと来る――


 キィン!!

 打球は惜しくも、ゆるくカーブを描いて3塁アルプススタンドへと飛び込む。まだタイミングが遅い。あと、ほんの少しだけ早く。できれば直球でも来ればホームランを、そうでなくとも2塁打以上なら得点圏だ。クレヴァーの一撃で勝利点が入る。集中力を高める。


「タイムお願いします!!」『タイム!!』

 キャッチャーがタイム申請してマウンドに走って行った。状況からして一息つけさせる、というところだろうか。ごく当たり前の対応だ。時間を置いても集中力を切らさないようにするのが自分の仕事、と。万代はバットのグリップを確かめる。


 ――次の一撃で、打ち勝つ。と、そう決意しながら。


※※※※※※※※※※※※※※※


【 国営放送 実況席 】


「弘前高校選手、マウンドに集まっていますね。未だヒットは許していませんが、大場高校のクリンナップに連続で当てて来られていますから、山崎選手を落ち着かせようという事でしょうか」

「いやこれは、珍しいですねぇ。というか、山崎選手が登板している状況では、タイムがかかるの初めてじゃないですかね?今大会の本選では、山崎投手は四死球も被安打もゼロのはずです。記録上は守備のエラーでしか得点されていないはずですし、そもそも例の剛速球をまともに打ち返された事は、本大会では初のはずです。打たれ慣れていないという事なのかもしれません」


「山崎選手の剛速球を、狙って当ててきたように見えましたが」

「タイミングが大体合ってましたね。ヤマを張って決め打ちしてきたのかも知れません。山崎選手の剛速球は確かに速いですが、160キロ台の球はオーバースローから繰り出される事はもう対戦チームも分かっているはずです。問題はコースと、直球かジャイロかの判別という事でしょうが……何かしら予想を立てているかもしれませんね」

「山崎選手も、徐々に攻略されているという事ですか」

「有力選手として有名になるという事は、そういう事ですから。山崎選手も同じ投球フォームから色々な球種を投げれば、もっと戦術の幅が広がると思いますが」

「確か……色々な変化球は、スリークォーターと、アンダースローからですね?」

「はい。高速ジャイロと160キロ台の直球は、オーバースローからしか投げていません。これは山崎選手が女子投手ですので、筋力的な理由もあるかもしれません。……もっとも、男子でも同じ事ができるわけじゃありませんが」


「オーバースローからの、左右への変化球とかは持っていないんでしょうか?」

「分かりませんが……あのオーバースローを、速度重視の球のためだけに身につけたとしたら、あまり余計な練習はしていないかも……。現状でも充分に器用ですからね」

「確かに、あの速度だけでも充分な武器ですしね」

「コントロールもですね。抜け球とか失投とか、見たことありませんよ。この際、見せた事のない変化球や、アンダースローで勝負する方が有効かもしれませんけど、山崎選手が一番自信のある球は、おそらく高速ジャイロでしょうから。この状況ではオーバースローだけで押し通すかもしれませんね」

「弘前の選手、守備位置に戻ります。さて、注目の第3投になります――」



※※※※※※※※※※※※※※※


 ――打たれちゃったりしたら、ゴメンね。


 さっき皆が集まった時。山崎はそんな事を言っていた。

 キャプテンに『最後までがんばって捕ってね』と言って。


 ――まあ、仕方ないだろう。ここまで来れたのも、山崎の力あっての事だ。危機的状況は全て、山崎が力技で何とかしてきたからこそ、今まで勝ち進んできたのだ。その山崎が言う事であれば、特に文句を言える訳もない。弘前高校野球部としては、山崎のやりたいようにさせてやり、最後まで付き合うのみだ。結果がどうなろうと不満は無い。


 山崎が、ワインドアップで振りかぶり、オーバースローで投球に入る。後悔の無いように、全力全開の投球。今現在の自分で成し得る、最高の速度と、最高の回転力を白球に与えて、放る。コースはさっきとほぼ同じ、内角高め。そこへ、大場高校筋肉三人衆でも最高の筋肉を持つ4番打者、万代栄輝がタイミングを合わせてバットを振る。

 万代ほどの打者に、いくら高速とはいえ、ほぼ同じコース、ほぼ同じ速度のボールを連続で投げれば打たれる可能性は非常に高い。そして、今投げたのは落ちる変化のジャイロではない。バックスピンだけがかかったボール。うまく当てれば最高に飛ぶボール。万代ほどの打者の強振ならば、スタンド入りは間違いないだろう。


 しかし山崎はそれを選択した。今、自分が投げたい球は、これしかないのだと。


『――ストライーク!!バッターアウト!!』

 白球はミットに収まり、空振りした万代が驚愕の表情で固まっていた。


 爆発するような歓声の中、山田キャプテンが『捕った!!捕ったぁ!!』と言いながら山崎に返球してくる。


「よく捕ったわ、キャプテン。さぁー、あんまり投げた事ないからどのくらい動くかよく分からないけど、気張っていこーか皆の衆!!当たったらすんごく飛ぶから、覚悟しといてね!!」

「この状況でリスキーな未完成の球を、よく使う」

 思わず口にした言葉に、山崎が振り返って言う。


「いやでも、追い詰められた主役とか大ボスとかが、イチかバチかの新必殺技を出すとか、ある種のロマンじゃない?」

「お前は主人公なのか悪の親玉なのかどっちだ」

 それは後世の歴史が決める事よ。などと言いつつ、山崎は次の打者を待つ。


 この期に及んで未完成のボールを投げたいとか、あいつはロマンを食って生きているのだろうか。現実的な拝金主義者のようにも思えるし、よく分からないなぁ。



※※※※※※※※※※※※※※※


 ネクストサークルに向かった万代は、クレヴァーに掴み掛からんばかりの勢いで体を寄せると、いまだに驚きを隠せない表情で言った。


「――!!」

「はぁ?!」

 何を言っているんだ、と怪訝な顔をした後、すぐ納得して言葉を返すクレヴァー。


「つまり、そのくらい落ち方の少ない直球だったと」

「違う!!確かに浮いたんだよ!!どのくらいの変化かは断言できんが、あれは噂に聞く、【ライズボール】の本物だ!!」

 数瞬、言葉を失うクレヴァー。


「……ボールが浮くなんてのは、錯覚って聞いたっちゃよ?」

「物理的には可能な現象だ。ただ、速度と、超高速回転が必要なだけだ。秒間60回転以上の回転速度があれば、速度次第でハッキリと目に分かる変化がある、という昔の実験結果もある。そして、近年の投手の変化球能力は昔よりも向上しているんだ。昔の不可能は今の現実、今の不可能は未来の現実だ!!奴は本物のライザーだ!!」

 万代の真剣な言葉に、ようやく真顔になるクレヴァー。


「……だとすると、メジャーのライザーも、本物って事かね……いや、それよりも現状は」

「ライズボールなら効果的に使うポイントは高めのコースだ。山崎の性格なら、少なくとも1球か2球は高めに来る。もしかすれば3球とも高めかもしれん」

「あーでも、ジャイロが隅に来るんなら」

「……それと、もう高めのジャイロは隅に入れて来ないかもしれん。基本的に同じ軌道から入って、上か、直球か、下か、どれかだと思っておいた方がいいだろう」

「ますます厳しいっちゃ」

「まあ、上下の2種類かもしれんがな。後の判断はお前に任せる」

「きびしー」


 攻略が厳しくなる情報を与えられる3人目の打者って、かなり厳しい。そんな事を考えつつも、クレヴァーはバッターボックスに入る。



※※※※※※※※※※※※※※※


 半信半疑だろうなぁ。ボールが浮くとか。


 万代からさっきの投球の情報を聞いていたクレヴァーがバッターボックスに入る様子を見ながら、俺はそう思った。おそらく打席の万代は実感したと思うが、ネクストサークルで見ていたクレヴァーにとっては、走りのいい直球にしか見えなかったかもしれない。

 そもそも山崎のライズボールは未完成だ。相手がうまい事引っかかってくれれば問題ないのだが。


 山崎の場合、直球がいちばん球速がある、という訳でもないから、この後で実際に山崎が投げる高めは、ライズボールとジャイロボールの2種類だけになるだろう。まあ失投すると球威に欠ける直球になってしまうので、強打者には思い切り飛ばされる可能性があるが、ライズボールの可能性が頭に入っているのなら、充分に揺さぶりになる。落ちないのか、落ちるのか、浮くのか。ほぼ同じ軌道から速度変化と上下の変化が発生するわけだから、コースが大体読めていても対応に困る。山崎の速球は普通に細かい対応が困難な速度だから、上下の変化が発生するだけで手に負えない。


 というか、普通は上への変化なんて無いんだけど。あと、コイツがロマンを追い求めてライズボールなんてものを練習せずに、普通にこの回転力を左右の変化球やカーブに応用した変化球を練習していたら、ごく当たり前にプロでも簡単に打てない変化球を投げられるようになっていた、と思うんだが。


「結局のところ、パワー系の技とかが好きなんだよなぁ」

「最後にものを言うのは鍛えられた肉体よ?」

 山崎がグラブに反射させて声を送ってきやがった。ほんと地獄耳こいつ。


「お前が男に生まれていたら、あの筋肉三人衆みたいになってたのかな」

「あの3人を足して2で割ったくらいかな」

 それってどんな筋肉系超人なんだよ。見たくないわー。


 真面目な試合の合間に、くだらない会話を交わしながら。

 山崎はクレヴァーを、3球で切って落とした。内角低めのジャイロ、そして内角高めのジャイロ、最後は気合いを込めた内角高めのライズボール。ちゃんと浮いた。

 もっとも最後の1球をキャプテンが捕り損なって落球し、慌てて拾って1塁に投げるという一幕もあったが。


 ――そして、9回裏の弘前の攻撃が7番の西神先輩から始まり、わずかな時間の後に。勝負は決した。


「……さて、選択肢は無し。勝負しましょうか」


 甲子園の空気を震わせる歓声をバックに、バッターボックスに立とうとしているのは、ホームラン製造機とも呼ばれる、今大会最強打者と目される、山崎 桜。そして、すべての塁上には弘前高校のランナーが乗っている。誰も走る必要が無い、とばかりに腰に手を当ててホームを見ている。


 確かに強打者を相手にするのは難題だ。しかし、勝負の決め手は必ずしも強打者のみとは限らない。先攻でありながらも、点の取り合いで先行できなくなった時点で、大場高校の不利は決まったのだ。


 後攻有利、などという事はない。ただ、相手に合わせた戦い方ができるかどうか。それだけである。現状の大場高校の場合、山崎の前の打者を1人でもアウトにできていれば、まだ先があったかもしれない。

 山崎の打席を前に、塁をすべて埋められてしまった。その状況を招いた時点で、実質的に勝負は決したのだ。もっと遡れば、あの風が吹いている間に、あと何点かを得点できていれば、もっと別の選択肢も発生したはず。誰を責める事もできない。


 意を決した大場高校の投手、田島選手の投げた球は、間違いなくこの試合で彼が投げた最高の球だっただろう。後悔の無いよう、全身全霊を込めた1投。

 その1球を、バックスクリーン手前に叩き込んだ山崎。サヨナラ満塁弾を決めた女子は、キャッチャーの万代に笑いかけてこう言ったという。


「これで今日のホームラン競争は、あたしの勝ちね」


 後で聞いて、まだそんな事考えてたのかよ!!と、思わず言ってしまったのは仕方が無いと思う。後に【 甲子園ホームランダービー 】と呼ばれる試合は、こうして終わった。

 1イニング最多本塁打数等の大会記録を一部更新しつつ、弘前高校は準決勝に進出である。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【試合結果】 大場高校 26-30 弘前高校

大場  7 3 5 1 3 3 4 0 0 |26

弘前 14 3 0 3 1 4 1 0 4 |30

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


☆☆ 当試合の1試合本塁打数(上位者) ☆☆

山崎 桜 7本

円谷 仁 6本

万代 栄輝 6本

クレヴァー・将人 6本

北島 悟 5本


【 俗称『甲子園ホームランダービー』の優勝者は、山崎 桜 である 】

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