第61話 台風一過の甲子園

 万代 栄輝。小学生の低学年から野球を始め、6年生の時にはレギュラーとして地元の野球チームで活躍していた。


 しかし、チームとしては特別な評価を受けるほどの成績を残しておらず、万代自身の成績も凡庸なものだった。野球も父親が野球好きだったから始めた、という動機で、運動は好きだったが、野球そのものに特別な執着を持っていたわけではない。

 そして彼は中学に入ると、ボディビルというものに出会った。きっかけは地元にできた大型ショッピングモールの一角に、全国展開しているフィットネスジムが出来た事だった。そしてそのジムの無料体験入会を経て、専門器具を使用した筋トレと、ボディビルというものを知り、ハマったのだ。


 ――筋トレは、すべてに通ずる真理である――

 当時、万代に筋トレとボディビルというものを教えたトレーナーの言葉だ。


 筋トレは、計画性を持った思考を人に与える。

 筋トレは、人間への理解力を人に与える。

 筋トレは、食事への感謝の気持ちを人に与えてくれる。

 筋トレは、忍耐と努力、そして壁を乗り越える喜びを教えてくれる。

 筋トレは、平和の大切さを人に教える。筋トレとは愛である。

 以下略。


 ――そして、磨き上げた筋肉を競い合うのが、ボディビルの大会なのさ。

 この言葉に感銘を受けた万代は、人生を筋肉に捧げると決意した。


 筋肉を鍛え、体を理想の筋肉で覆うボディビルに万代はハマり、中学でも継続する予定だった野球はやめた。まだ学校の野球部にも地元のシニアにも所属する前だったため、特に揉める事もなかった。父親は残念そうだったが。


 そして成長期が加速し、体をどう作るかの知識を得た万代は、筋トレの才能もあったのだろうが、身長もどんどん伸び、筋肉も増大し、中学3年の時には全国ボディビル大会のジュニア部門で優勝するにまで至った。なお、クレヴァーは同じジムの会員だったので、そこで知り合い互いに筋肉を切磋琢磨する間柄となった。同じように小学生での野球経験があるというのも話が合った理由の一つだ。

 このままいけば高校でもボディビルダーとして世界を目指す事になったのだろうが……そこへ現れたのが、円谷 仁である。


 円谷はボディビルで世界を目指すために筋トレを行っている訳ではなかった。彼は野球に必要な体を作るためにジムに通い、筋トレの方法を学習し実践していたのだ。偶然にも円谷と同じ高校、大場高校に万代、クレヴァーの両名が在籍していた事が、この後の運命を決めた。


「円谷。お前には才能がある。お前もボディビルで世界を目指さないか。野球の練習時間を筋肉の調整時間に回せば、もっと筋肉が立派になるぞ」

 円谷と出会って少し経ってから、万代はそう言った。そして、円谷はこう答えたのだ。


「トレーニング以外で全力を出さない筋肉なんぞ、俺にとっては意味が無いっちゃ」

 そして円谷は、許可を得た上で金属バットを持ってきて、下着一枚で素振りを見せた。風を切るバットスイング。そして、それを支える下半身。スイングのために連動する全身の筋肉。その筋肉の動きを万代に見せて、円谷はこう言った。


「ボディビル大会のために筋肉を増やすのもいいけどな。やはり、全力で体を動かすために使ってこその筋肉よ。万代、お前も何かスポーツやったらどうじゃ?」


 ――万代は、後にこう語ったという。


『あの時。円谷の筋肉は輝いていた。筋肉の歓喜の声が聞こえた。俺も筋肉をトレーニングする度に筋肉の喜ぶ声を聞いていたと思っていた。しかし、それは本物ではなかった。人が筋肉を鍛えるのは何のためなのか、そして筋肉を活かすという事はどういう事なのか、俺はあの時、筋肉の真理にまた一歩近づいたのだ。円谷には感謝しかない』


 そして円谷の筋肉の輝きに感銘を受けた万代は、翌日にはクレヴァーを誘って野球部に入部届けを出した。そして2年の春には、3人揃ってレギュラーの座を勝ち取る事になる。ジムでのボディビルディングを止めたわけではなかったが、生活時間の大半は野球の練習時間に注ぎ込んだ。すべては筋肉の歓喜の声を聞くため、筋肉を真に活かすためである。


 これが大場高校筋肉三人衆が誕生した経緯であり、円谷が3人のまとめ役として落ち着いている理由でもあった。

 なお、クレヴァーの野球部入部理由は『なんとなく万代に付き合ってみた』『自己紹介でボディビルダーって言うより、野球部って言う方がモテそうな気がしたから』という理由である。


※※※※※※※※※※※※※※※


 そして今、大場筋肉三人衆を擁する大場高校ナインは、夏の全国高校野球大会で勝ち抜き、ベスト8の一角として、甲子園球場の1塁ベンチに立っていた。


「……台風一過で気温も低め。なかなかの筋肉日和だ」

「野球日和って言え!!」「この筋肉馬鹿……」「今日も万代は平常運転だな」

 こいつどうしようもないな、まあ万代だしな。仕方ないか。


 そんな会話が交わされつつ、練習の準備をする大場高校ナイン。前日が大雨だったにもかかわらず、甲子園球場のグラウンド状態は良好。雨雲が夜半過ぎからほぼ無くなった事、そして甲子園球場の水はけが良い事がその理由だろう。これで直前まで雨が降っていようものなら、グラウンド整備の阪神園芸の皆さんが吸水材を手にして、必死な働きをしていた所だ。


「空は快晴。風になびく旗も見事だ。俺達の試合を歓迎するようだな」

 万代が相変わらずの様子で、手を腰に、バックスクリーンを見ている。その横に並ぶようにして、円谷がグラブを手にして前へ出てきた。


「まあ、確かに。最高の日和かな。……最高……の……」

「……うん?どうした円谷」

 さらにクレヴァーが横に並び、大場高校筋肉三人衆が1塁側ベンチの前に並ぶ。その中、円谷はバックスクリーンを凝視して、動きを止めていた。


「……台風、一過か。今日は……俺達の日、かな」

「そりゃどういう意味だ?」

 円谷の言葉に、クレヴァーが問う。こういう時、万代はあまり役に立たない。キャッチャー職としての仕事と筋肉の事以外は、全般的に細かい所に気が回らないためだ。


「バックスクリーンの旗を見ろ、クレヴァー」

「……風にはためいてるな。けっこう風が強い……。そうか、なるほどな」

 合点がいった、と。頷くクレヴァー。万代も頷く。


「解ったところで、俺に解説を頼む」

 万代の頷きはクレヴァーとは別の意味合いだった。そんな万代のリアクションは慣れたものとばかりに、特に突っこむ事もなく、円谷とクレヴァーは答えた。


「うちの打線は、基本的にセンターからライト寄りの打球が得意だ。俺達3人が長打を飛ばす時は基本的にセンターとライトの中間、ホームランもライトがほとんどだろ?」

「コーチの教育もあって、投球のエネルギーを活かすように、流し打ちの練習をしたろ?まあ、俺たちはモノにならなかったが……俺達3人以外は全員が右打ちだが、右投げ投手のボールをセンターからライトに向けて飛ばすのが得意な連中ばっかりだっちゃ。県大会も、それで勝ち進んできた」

 そうだな、と万代が頷く。先を続けてくれ、というサインだ。


「今日の甲子園は、いつもと違ってだ。左から右へ風が吹いている。旗の様子を見るに、上空の風はかなり強い。これは、右へ打ち上げるだけでスタンド入りも充分ありうるって事だ」

「ライト方向へ打球を飛ばすのが得意な連中に、都合のいい風。普段の甲子園は浜風が右から左へ吹いているから、左へ飛ばす方が有利なんだが……今日は、真逆って事よ」

「……つまり、いつも通りにやっていても、環境が有利に働くという事か?……ああいや、上空の風次第では……そうか、なるほどな。弘前打線の傾向を、少し復習しておくか」

 万代はベンチ奥のマネージャーに声をかけて、奥へと引っ込んでいった。


「いやいや、しかし。こいつは面白いな。ツイている、と言うべきか。今日の試合の第一試合って事も関係しとるかね?まったく、勝負は時の運、とはよく言ったものよ」

「勝った気になるのは流石に早いっちゃ。しかしまあ、運も実力のうち、とは言うしね」

 円谷とクレヴァーの2人は、強風にはためき、スタンド方向右へと流れるバックスクリーンの旗を見て、笑顔を交わしていた。



※※※※※※※※※※※※※※※


「台風、一過。懐かしいわねぇ」

 守備練習の順番待ちをしている3塁側ベンチでは、山崎が感慨深げに呟いていた。


「え?何?台風の後に何か思い出でもあるの?」

「なになに」「どんなエピソードだよ」「聞きたい聞きたい」

 全国大会の準々決勝を控えているとは思えないほどの気楽さで、山崎の一言に飛びつく弘高ナイン。


「子供の頃。とある台風の後。あたしは悟のうちでスイカを食べながら、北島のおじさん達といっしょに、テレビを見ていた。悟は、まくわ瓜を食べてたかなぁ」

「すかさず幼馴染ムーブを差し込んできよる」

「山崎の思い出話には北島がセットに混ざりこんでくるなぁ」

「セットか」「スパイスというか薬味というか」「瓜とか渋いな」

 好き勝手な事を言う仲間達。誰が薬味だ。あと、俺はスイカよりも歯ごたえのある瓜の方が好きだったんだよ。ほっとけ。


「台風が連続でやって来た時だったかなー。テレビの台風ニュースを見ていた、悟が言ったのよ」

 ……あれ?

 何を言ったんだっけ。よく思い出せないけど。


「『ねえお父さん、【どの台風がお父さん台風なの?お母さん台風はどれ?】……って』


 ――その時。弘高ベンチの時間が止まった。

 そして、皆の脳内を電気信号が駆け抜け、時が動き出す。


「ああ!!『』ね!!」

「あるあるある!!同音異句って、子供は分からねえんだよなあ!!」

「あー。あたしも子供の頃、同じ事考えて不思議に思ってたわー」

「俺も俺も。でも口には出さなかったけどな。そして自然に気づいた」

「あと、『汚職事件』で大騒ぎするのが分からなかったり!!」

「『お食事券』な!!どれだけ食券もらったんだよ!!ってな!!」

「中学に上がってからは他にも覚えが!!『一敗地にまみれる』とか!!」

「『一杯血にまみれる』って、徹底的にやられてるな!!とかな!!」

 わはははははははは。ゲラゲラゲラゲラ。


 同音異句勘違いあるあるネタで、ゲラゲラ笑いながら大騒ぎする弘高ナイン。


 後に聞いたところによれば。

 この騒ぎをベンチ上の応援席で聞いていた岡田先輩は『ベンチ楽しそうだなぁ』と、試合に参加できる選手どうこうではない部分で物悲しさを感じたという。

 そしてもちろん、この後。「昨日の台風は、お父さん台風かな!!」「いやいや、お母さん台風だよ!!」みたいな会話が飛び交う事となる。


 間接的に弄られる事になった俺は、キッと山崎を睨むのだが。


「ベンチの空気が和んでよかったじゃない。やったね!!」

 などと笑顔を返してくるのだった。こんちくしょう。


「お前だって同じ事を考えてた時もあっただろーが!!」

「アンタが身代わりになってくれて、本当に良かったわー」

 そういえばあの時も大爆笑されたわよねー、と。ゲラゲラ笑う山崎。


 そんな感じで。

 相変わらずの緊張感の欠片もない雰囲気に包まれながら、弘前高校野球部は試合開始の時間を迎える事になった。


 大場高校 対 弘前高校。

 夏の全国高校野球、準々決勝の第一試合。この日の四試合で全国ベスト4が決まる日程の、最初の試合が。ついに始まる。

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