第43話 余裕のあるとある日

 第一試合を終えた弘前高校野球部は、はっきり言って余裕がある。


 初の全国大会の試合が通常の2試合分ぐらいの時間がかかった上、得点も失点も3試合分くらいはやらかしているため、疲労も筋肉痛も相応のものだった。それでも温泉旅館の最大の利点とも言える温泉に浸かって1日もすれば何とか回復できた。

 体力的に回復できれば、自由時間をどう使うか、そんな事を考え始める。それでも遠出は禁止されているので、旅館近辺で問題ないところへ出かけるか、旅館内の設備を使用して暇をつぶす事になるのだが…


『――1回戦3日目、いよいよ始まりました――』


 早めの朝食を取った後、甲子園大会の中継を見るのは、ちょうどいい暇つぶしとなる。弘前高校は3回勝たないと準々決勝まで(次の組み合わせ抽選まで)行けない最下層だが、ブロックの他のチームが1回戦の無いチームで構成されていたため、1回戦の試合の観戦はほぼ他人事である。どのチームも準々決勝まで行かないと当たらない連中ばかりなので、純粋に観戦モードで放送を視聴するという立場だった。

 朝食を取った俺たちは、さほど多くない集団なのをいい事に、ラウンジのような休憩エリアに置かれている大画面テレビを、ゆったりとソファーに座って眺めていた。


『――1番打者の大月くん、なんと50メートル5.8秒で走れるそうですよ』

『出塁率の高い、走力のある1番。理想的ですねぇ』

 そんなアナウンサーの実況と解説に


「ふはっ。うちの健脚の走者と名前いっしょ」

「いや漢字違うし。あと走力に雲泥の差があるし」

「…ひとがそんなに、はやくはしれるわけがない」

 すかさずツッコミのような会話がなされた。大槻センパイのは愚痴かな。


「まぁウソ臭いのは間違いないけどねー。定番のギャグっていうか」

「…どういう事?」

 山崎の一言に、大槻センパイが聞き返す。


「50メートルの走力。よくあるギャグでしょ?」

 山崎の返しに、首を傾げる大槻センパイ。


「えっ?」

「えっ?」

 大槻センパイ、山崎、どちらも首を傾げる。


「50メートル5.8秒なんでしょ?」

「ああハイ。そう言ってましたね?」

「速いよね?」

「ええまぁ。定番ギャグですよね」

「えっ?」

「えっ?」


 少しの間をおいて。


「ちょっと―――!!みんな見てみて!!大槻センパイが可愛い!!」

「「「ははははは!!!」」」

 山崎、ひゃっほう!とばかりに声を上げ、他の部員が思わず笑う。


「えっ?えっ?えっ?」

 大槻センパイ、なんの事だか分かっていない模様。ほんと可愛い。


「やだなぁ、センパイ。あんなの『自己申告』じゃないですか」

「えっ?」

「要はブラフというか。ほぼハッタリですよ」

「ええええ――――?!」

 どうやら大槻センパイ、素直に信じていた様子。かわいいなぁ。


「大槻センパイは100メートル28秒台の健脚だから、あんまり興味ないんでしょうけど…」

「うるさい」

 むぅー、と口を尖らせる大槻センパイを、まぁまぁ、となだめて続ける山崎。


「現在の『100メートル走』世界記録は、男子で10秒をちょっと切るくらいです」

「それくらいは知ってる」

「では、『50メートル走』の世界記録は?」

「…それは知らない」

 ですよねー。というか、だ。


「実は『公式記録は無い』というのが実情です」

「え??どゆ事???」

 まぁ、これは俺も調べるまでは知らなかった。陸上競技者じゃないとな。


「『50メートル走』なんて陸上種目が無いからですよ。これ、学校の体育じゃないと計測しません。陸上部でも『調子を見るための参考計測』をやってるだけです。ですので、公式記録が無いから比較のしようがないんですけど…100メートルの中間計測タイムでいくと、100メートル走の世界記録保持者の中間計測でも、5.8秒くらいだそうで」

「うそ―――?!」

「もちろん、100メートル走の競技ランナーは、100メートルを最速で走り切るための体力配分をしています。実際、トップスピードは50メートル地点を通過してからの人の方が大部分ですので、50メートル限定なら、高校野球選手の方が速く走れる可能性はありますが…ちょっと、ねぇ?ギャグっていった意味、わかったでしょ?」

「……どうして、そんな事に」

 山崎、ははっと笑って。


「そりゃ手動計測ですし?開始と終了の計測ミスで2秒くらい誤差が出てもおかしくないかも?助走ありで計ったかもしれないし、距離が間違ってたかもしれない。実際のところ、50メートル6秒を切るような人なら、訓練次第で、陸上短距離の世界を狙えますよ」

「…うわぁー」

「まぁホントのところは分かりません。短距離が得意な人が全員、陸上をやってるわけじゃないですし、そもそも野球は塁間が27メートルほどです。極端な話、27メートルを最速で走る…停止からトップスピードまで、あっという間に加速する能力が、野球にとって必要な走力とも言えます。攻撃に関してはね。だから50メートル走の『自己申告タイム』なんて、ほんとブラフ以外の意味なんてない、ただの『ハッタリの参考記録』なんですよ。ちなみに、同じ測定をした場合、普通の陸上部短距離種目者の方がずっと速いのが普通です。間違っても『陸上の人よりはえー』とか思っちゃダメですよ?」

「…ええぇ――」

「だいたい、陸上のリレーでバトン受け渡しの技術でタイムが変わるみたいに、野球だとバント後のバット処理とか、盗塁だとリードの技術だってあるじゃないですか。50メートル走の測定誤差まみれの自己申告タイムなんて、塁間走力の比較にほぼ意味ないというか」

「…はぁ――」

 大槻センパイとしては、わりと驚きの事実だったみたいだ。


「だから実際は『彼、50メートル5.8秒で走れるそうですよ(笑)』みたいな感じだと思うんですよね。『5.8秒(自己申告)』とか。まぁ、ときどき本気でキレる陸上関係者もいるみたいなんで、いい加減にこの参考記録自己申告ネタ、やめた方がいいかも知れないんですけど。ホントに信じちゃう人もいるかも知れないわけですから。まぁ、知っている人には定番ギャグとして通用してるんで………そうだ!言うだけならギャグで済むわけだし、大槻センパイは『100メートル5秒フラットで走れる』って言っておきましょうか!」

「やめてよ!まったくの虚偽じゃないの!!」

「いやいや、『あくまで今日はちょうしが悪かった』『練習ではうまくいった』とでも言っておけば。ほら、参考記録はあくまで参考記録ですから。あとギャグですから」

「やめてよおおおおお」

 大槻センパイ、じたばたと暴れる。鈍足ネタでいじると幼児化する傾向でもあるのかな。やりすぎないように山崎には気をつけておこう。


「まぁ大槻センパイの鈍足は、神経回路の問題だと思いますが」

「運動神経切れてるって言われた?!」

 いえいえ、違いますよぉ、と言って続ける山崎。


「大槻センパイ、ボールは普通に投げられますよね?」

「ええうん、まぁ」

 うなずく大槻センパイ。


「バットだってちゃんと振れますよね」

「まぁ速くはないけど」

 そりゃそうだ、とうなずくセンパイ。


「でもできない女子だっています。そりゃもう意味分かんないくらいに」

「あぁ――。確かに、ボール投げるの不得意な子、いるなぁ」

 いわゆる『女投げ』とか言われてたやつですよね。


「あれは幼少期に、そういった運動をロクにしていなかったために、脳の身体制御系回路、プログラム的なものの基礎が形成されてないんですよ。『できない』というよりは『知らない』という方が正しいんです。特定の運動神経が『無い』と言うべきで。切れてるんじゃなくて、出来あがってないんですよ。走る姿勢がめちゃくちゃな理由です」

「…あれ?慰められてるの?それとも貶されてるの?」

 全体としてはともかく、特定の運動神経が無いと言われるのは悪口なのか否か。


「まぁ脳神経回路は年をとっても訓練次第で新しく形成されますから、訓練次第で並の女子レベルには走れるようになりますよ。高校生ですし、理論を学習して、正しいフォームを覚えるところから始めれば、なんとかなります。がんばりましょう」

「…あたし、別に走る事は……」

 あまり乗り気そうでない大槻センパイの様子に、山崎はスマホをちょこちょこと操作して、動画投稿サイトのとある動画を見せる。


「大槻センパイの動画がバズってるんですけど」

「はいぃいぃぃぃ?!」

 皆がその言葉に反応し、スマホ画面が見える場所に全員が集まった。


「…これは…よく編集されている」「再生数すごいな!!」

「北島の2塁打との速度比較とか」「外国の人のコメントがあるな…」

「え、何これ世界中に発信されてるの?この鈍足動画」

『やだぁあああああああああああ』


 大槻センパイが再び、じたばたと暴れ出した。


「ねぇねぇ悟、仮にさぁ」

「なに?」

「大槻センパイの走りのビフォーアフターを記録しといたら、走りの遅い子用の教育プログラム教材とかで、一発当てられないかな?!現代社会の弊害とかで、ああいう子が増えてるかもしれないし!!」


「知らないよ」

 こいつはときどき一攫千金的な金儲けの話を始める。現代っ子の病気かな?

 ああいや、もともと一発当てて金を稼ぎたい願望があるやつだったっけ。


 ねえねえせんぱい、ちょっと話があるんですけどー

 山崎が大槻センパイに話しかけていた。本気でやるつもりか。まぁ分け前がセンパイに渡るのなら、それはそんなに悪い話ではないのかも、しれない。


※※※※※※※※※※※※※※※


 第一試合を終えた弘前高校野球部は、はっきり言って余裕がある。


 問題行動を起こさなければ練習・ミーティング時間以外は基本自由時間という事になっているため、自主トレーニング以外の時間は自由に行動している。

 ただし外出の際には行き先と帰る予定時間を事前に申告する事になっている。予定通りに戻れない場合、すぐに連絡する事になっていた。


 で、あるがゆえに。

 事前に申告した時間になっても帰らず、連絡を入れ忘れた俺たちは、平塚監督(顧問教師)の説教を受けていた。

 発端は岡田先輩だったか。「宝塚市の方で、夏祭りやってるらしいぞ」と、比較的近所で楽しげなイベントをやっている、という情報を仕入れてきたのだ。

 当然のように飛び付く俺たち。「山田キャプテンを見張らねば」「風紀を守らねば」「二人だけ特別なのは許さんぞ」などと言って、ほぼ全員で参加したのだった。


 そう、『ほぼ全員』である。

 山崎だけが「ちょっと調べものがあるから」と、参加を辞退。宿でPCを使って調べものと資料作成をするという事になっていた。

 そのため、「みんなが帰ってこない」「連絡がつかない」という状況になった時、宿では平塚先生と山崎がだいぶ慌てたようだ。

 予定時間を2時間ほど超過した頃、ようやく連絡の入れ忘れに気づいた俺たちは、慌てて先生に連絡を取ったのだが…結果がこれである。まぁ当然なのだが。


 問題はそれだけではない。


 俺たちと連絡が取れなくなってすぐ、宿のTVでニュースが流れた。宝塚市の某所のイベント会場で、居直り強盗事件のようなものが発生し、未成年を含む十数人が人質になった、という内容だった。

 そのため警察に確認の電話を入れたりとかで、先生と山崎はさらに慌てたらしい。


 そして問題はそれだけでもない。


 山崎が「様子を見てくる」と書き置きを残して(直接言えば止められるからだろう)宿を出て行ってしまい―――のだ。


 こういうのを二重遭難という。

 しかも現在、山崎とは音信不通。

 同じことをやらかした俺たちは責める権利もない。

 原因を作った俺たちは、その件も含めて説教を受けているというわけだ。


(((早く帰ってきてくれ、山崎………)))

 俺たちは、ミーティングルームとして借りた小宴会場で揃って正座をしながら、そう、想いを一つにしていた。

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