第28話 秘密最終兵器

【明星高校ベンチ前にて】


「お前ら。いい加減に目は覚めたな?」

 監督の静かな声に、戻ってきた9人が同時にうなずく。


「木村。率直な感想を言ってみろ」

「…あんなバッター見たことありません。化けモンっス」

「まったくだな」

 監督は一同を見渡して言った。


「正直、見通しが甘かった。弘前で一番危険な打者は4番ではなく1番だ。もちろん4番も油断はできん。外野奥まで打ち返してるんだからな」

 一同、静かにうなずく。


「木村。負傷でもしない限り、交代はさせんぞ。責任を取って後続は抑えろ。そして高校野球ではピッチャーの特別扱いはしない。スライディングはしなくていいが、打って走って点を入れるんだ。それと!最低でも3点はリードしない限り、1番4番とは勝負するなよ。さっきの打席で分かっただろうが、当たれば何が起きるかわからん。まずは点を取って逆転するんだ。決勝戦はコールドもない。最終的に勝てばいい。気合い入れろよ!!」

「「「「おおお―――っス!!!」」」」


※※※※※※※※※※


 おおお―――っス!!!てな感じの、気合いを入れる声が明星ベンチから聞こえた。


「気合い入ってるなぁ」

 イニング前のボール回し練習をしつつ、明星ベンチをチラ見する。まぁいきなり8点も失点すりゃあ、やったるでぇー!と気合を入れるしかないもんな。まだ1回だし。

 高校野球では1回の攻撃で10点以上取ったり取られたりする事も時々あるし。そんな大量の点差をあっさりと引っくり返すような大逆転劇も時たま発生する。まだ1回の裏。勝った気にもなれないし、負けた気にもならない。まだまだこれからだ。


「若者の悲壮な覚悟を感じるわねぇー。カタルシス的なものを感じる」

 山崎がボールを受け取りながら、しみじみと言った。追い詰めてるのは俺たち弘前ナインだが、最大威力で叩きのめしにかかっているのはお前じゃんかよ。


「これは是非とも彼らに、悲劇の味を教えてやらなくっちゃだわ!」

「言いようが酷いよホント」

 彼ら全員、涙に濡れる枕をプレゼントってか。


「学生スポーツは教育よ、教育!ここで奢り高ぶって世間様を舐めたまま高校を卒業するような事を許してはいけないのよ!いちどは叩きのめされ、地にまみれて泥を舐め、泥濘を這いずり回って泥水をすすり、汚泥の中でもがき苦しみながらも光を見出すような」

「どんだけ泥まみれにしたいのか」

 泥にぶち込む事が教育だというなら、全員を畑仕事に従事させるべきだな。


「泥は大事です!畑づくりは土づくり!!」

「お前の趣味の家庭菜園の話じゃねーよ!!」

「ちょうしに乗った若造は、いっぺん横沼さんちの蓮根畑にでも沈めばいいのよ。身も心も洗われるでしょーよ」

「蓮根畑って文字通り泥沼じゃねーか」

『君たち、試合中は私語を慎むようにね』

「「すいません気をつけます」」


 馬鹿話をしていたら2塁の塁審に注意された。そうそう、公式試合、公式試合。グラウンド内での私語は控えめに。ちょっと点を取りすぎて意識がフワついてたな。…そういう間にも、練習時間は終了。守備練習のボールは返却され、投球練習もすぐに終わる。


 そして県下有数の野球名門校の、気合いを込めた反撃が始まった。



※※※※※※※※※※


【F県TV専用 実況席にて】


「いやあ、島本さん。高校野球らしいというべき展開になってきましたね」

「今年の明星は、打撃陣も素晴らしいですね。弘前のピッチャーを徐々に捕まえつつあります。次第に得点率が上がっていますよ。このままいけば、試合後半で追いつくどころか、逆転の後の大量リードすらあり得ます」

「初回で8得点を得た弘前ですが、2回以降はほぼ得点できていません。対して明星高校、一挙大量得点とはいきませんが、じわりじわりと追い上げています。逃げる弘前、追う明星。明星高校エースの木村投手も、すでに落ち着きを取り戻した様子。そして明星打撃陣、欲しいところで飛びだす長打で木村投手を助けています。それに加えて、徹底した敬遠策。弘前の1番、山崎選手、4番、北島選手。どちらも第3打席より完全に敬遠でバットを振らせてもらえません。やはり、この2人に仕事をさせていないのがポイントですか?」

「4番の北島くんもホームランバッターですからね。これ以上の失点を避けるためには仕方ないでしょう。弘前の特徴は、この2枚看板を絡めた強力な得点力です。他の選手も打ちますが、この2人ほどではありません。明星高校はエース木村くんが特に有名ですが、他の選手も全国レベルです。打線を切られた弘前と比較すれば、地力の差が見えてきたという事でしょう。1番4番を欠いた弘前の打線で、木村投手の攻略ができるかどうか。そこが勝負の分かれ目かもしれません。…もっとも、あまり時間は無いかもしれませんが」


「時間がない、というと?」

「明星の得点が弘前の反撃力の限界を超えてしまえば、大量得点力に欠ける弘前は、非常に不利な状況に追い込まれます。少しなりとも早めに得点して、追う明星にプレッシャーをかけ続けないとまずいですね。逆転されればもう厳しいと言わざるを得ない」

「逃げ切るのが弘前高校の、勝つための最良手という事ですか」

「弘前高校は控え選手が少ない。ほぼ継投のための控え投手だけでしょう。隠し玉となる選手もいない。現状は手札をすべて晒して戦っている状態です。対して明星は、木村投手の他にも優秀な抑え投手もいますし、疲労交代のできる選手も、代打もある。打つ手が遅れれば、取り返しがつかないでしょう」


「島本さんが弘前の監督なら、どうしますか?」

「思いきってポジションチェンジでショートとピッチャーを交代しますね」

「山崎選手をピッチャーにですか?」

「彼女は準々決勝で抑えのリリーフに出ています。県下では珍しいアンダースローの投球もできますし、変化球もかなりのものを投げます。三遊間を含めた左翼方面の守備が低下しますが、ここは思い切った采配も必要でしょう」


「弘前高校にとっては、最後に残ったカードが山崎選手という事ですか」

「とはいっても、伏せた切り札というものでもないですけどね。明星がアンダー打ちの練習をしていないとも限らない。いずれにせよ、弘前はかなり厳しくなってきました」

「現在、4回をまわって得点差は9対4です。得点力が激減した弘前高校に対し、急速に追い上げる明星!油断の心を切り捨てた野球名門に、躍進の無名がどう戦うか!」

「弘前の動向に注目ですね」


※※※※※※※※※※


【スコアボード状況】 

弘前 8100100  |10

明星 012123   | 9


※※※※※※※※※※


 7回表、弘前の攻撃終了の時点の状況、7回裏の明星高校の攻撃直前。


「よし、捉えたぞ。気を抜くなよ!いいなお前ら!!」

「「「うっス!!!」」」


 追い上げる明星高校ベンチでは、選手一同が気合いの返事を返しつつ、打撃の準備を進めている。このままいけば勝てる。そう確信めいたものを覚えつつも、気を抜かず、この勢いのままに攻め切る。

 弘前高校の打線は完全に切れている。反して、ウチの木村は調子を完全に取り戻した。弘前の打撃陣はまったく打たないわけではない。むしろ木村の速球には完全に食いついてきているくらいだ。特に木村の奥の手とも言える高角度ドロップカーブを打ってきたのには驚いた。わずかな失点はそれを長打にされたものだ。

 しかし守備力が違う。外野走力、返球力。内野の反応速度。地力の差だ。おそらく公立の進学校であり、前年度までの弱小チームであった弘前は、2人の超高校級スラッガーを軸に点を取って打撃だけでも勝てるよう、打撃中心の練習を徹底したに違いない。


 弘前は守備能力が高くない。低くはないが、一部を除いて並だ。内野はセカンドとショート(またしても1番4番だ)の異様な反応速度による守備力によって、二遊間も三遊間も抜けないが、外野に飛ばせば安打の打ち放題だ。投手力がそれほどでもない、というのも幸いした。

 9回裏までに、弘前高校に1点ぐらいは得点されるかもしれん。だが、こちらはあと2回で4点は取る。そうすれば勝ちだ。弘前はすでに2人目のピッチャーを出している。そして2人目の変化球主体の投手の球も、すでにウチの打撃陣は見切った。となれば、弘前の打つ手は一つ。それを破れば、明星の勝利は決したも同然だ。


『ポジションチェンジ!ピッチャーとショートを交代!!』


 審判が宣言する。弘前応援団の歓声とともに、山崎選手がピッチャーマウンドに向かって歩いていく。


「来たか。だが、アンダー対策はしてある。三振にだけはさせんぞ」

 抑えのワンポイントリリーフとしても、山崎選手は警戒していた。終盤までに点差が開かなかった場合、あるいは守備位置交替での継投策に対して、こちらも県外の大学野球関係者の伝手で、アンダースローの投手に打撃練習を手伝ってもらっている。急ぎの特訓だったが、アンダースロー特有の球の軌道を覚えるのには役立った。そして、明星の打撃陣ならばそれで充分に役立つ。

 最終イニングのワンポイントリリーフではない。あと3回で同点以上にすればいいのだ。相手の守備弱点を意識して安打に徹する。それで明星は勝てる。


「最後には地力の差だ。今年もウチが甲子園の切符はもらうぞ」

 油断はできない。だが、明星高校監督は、ほぼ勝利を確信していた。



※※※※※※※※※※


【F県TV専用 実況席にて】


「ついにポジションチェンジ!山崎選手、マウンドに登りました!」

「きましたね。というか、他に手がありません。弘前は補欠にもう一人投手がいますが、おそらく育成中の1年生です。勝つつもりなら、山崎選手しかないでしょう」

「山崎選手はアンダースロー投手という事ですが、実力はどれほどでしょうか?」

「実際に投げるところは見ていないので何とも言えませんが、準々決勝の雲雀ヶ丘女子との対戦で、最終イニングのワンポイントリリーフとして登板しています。雲雀ヶ丘との対戦の状況でも、一点もやれない状況での起用です。弘前投手陣の中でも信頼性は高いでしょうね。…しかし、少し遅かったかも知れない」


「というと?」

「ポジションチェンジの投手交代なら、1イニング内に限り、投手から野手に交代し、同イニング内に投手へ戻る事は、ルール上認められています。そしてイニングが進めば、またこれが可能となります。山崎選手をワンポイント使用で、明星打撃陣の感覚を狂わす目的で使うなら、もっと早くから起用した方が失点は少なかったかもしれません。実に惜しい」


「現状での得点差はわずか1点。逃げきるつもりなら、もう1点もやれませんね」

「三振を取るタイプの投手ではないでしょう。弘前守備陣のエラーひとつで、試合が決まりかねないですよ」

「目が離せないですね。しかし…不思議ですね。なぜ上手投げで投球練習をしているのでしょう?どんな意図があるんですかね?」

「球筋を1球でも見せたくないのかも知れません。肩を慣らしたら一発勝負ですか」

「そろそろ投球練習も終わります」


※※※※※※※※※※



 7回裏、明星の攻撃。山崎がポジションチェンジでマウンドに上がっている。


 得点差はわずかに弘前が1点リード。明星打撃陣の、安定した追い上げの結果だ。さすがに地力が違う。貯金を少しずつ吐き出した弘前高校はもう1点もやれない。

 大ピンチの状況と言えるこの場面で、途中から打者の仕事をさせてもらえず、守備で歓声を浴びてきた山崎が、弘前にわか応援団と雲雀ヶ丘女子応援団の歓声を一身に浴びながら、マウンドで投球練習を続けている。練習球、あと1球のところで山崎が叫んだ。


「キャプテ――ン!!!」


 なんだろう。そう思ったのは俺だけではない。弘前応援団の声も止んだ。心なしか明星応援団の音量も小さくなった。明星ベンチはもちろん、投球練習中の山崎に注目している。

 これがラブコメ的な物語とかだったら、バッテリーが片思い同士で、ここで愛の告白!とかなんだろうけど。ずっと前から好きでした―!とか、愛してまーす!とかだろうな。


「覚悟ォ―――!!!」


 死刑宣告か何かかな。


『いよっしゃぁ!来ぉ―――い!!!』

 キャプテンの覚悟は決まった。死地に挑む、もののふの姿を見たぞ。

 山崎 桜が、ワインドアップから大きく振りかぶって。

 本人が一番調子に乗っている時に遊びで繰り出す、真・円月投法を繰り出した。


 スパァ―――ン!!!

 ミットが快音を響かせる。観客が、明星ナインが、バックスクリーンの速度表示を見た。


 【 155 km/h 】


 次の瞬間。

 弘前応援団の歓声が爆発した。


「まだまだ序の口よ。私の本気を見せてやる」

 フヒヒ。とか笑う山崎。

 最高の舞台演出にテンション上がりまくりだなー、こいつ。まぁ、守備の俺たちもそうだけどな。もちろん俺達は守備を全力でやる。しかし、山崎がまともに打たれるイメージがまるで湧かない。万が一にも長打を浴びたら、それはそれで仕方ないというものだ。


 だってなぁ。

 こいつが弘前の秘密最終兵器、さいごの切り札なんだ。

 打てるもんなら打ってみろ、と言いたいくらいだ。


 県予選決勝、ステージ山崎の、最終演目の開始だぜ!!


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