終 章 4
* * *
黒塗りだらけの書類をテーブルに置き、あたしは目尻に溜まった涙を指で拭った。
「晶ありがとう。この情報くれた友達に今度会わせて。直接お礼が言いたい」
警察に情報開示をかけあってくれていた晶の友人が、事故調査報告書を入手してくれた。
「わかった。伝えとく」
警察は、森屋のクラッシュを原因不明の不幸な事故と結論づけたが、その後再調査にかけていた。再調査の要請が外部からあったからだ。
要請をしたのは、森屋の父親だ。
要請は却下されたが、森屋の父親は何度も警察に足を運び、弁護士の助けも借りて、ついには警察を動かしたそうだ。
その結果が、この十数ページに及ぶ事故調査報告書だ。そのほとんどに黒塗りがされているが、こう記されている。
『破断したブレーキディスクについて、破断面の解析により、衝突の前に破断したと推測される。ブレーキディスクには摩耗が伺えたが、使用可能範囲内であった。破断の原因は、競技使用の過負荷によるものと判断する』
「サーキットを走る誰にも起こり得る、事故だったんだね」
あたしのつぶやきに、そうだな、と晶は頷いて返す。
レースでは、レーサーはもちろん、バイクも極限状態に置かれる。
レッドゾーンまでエンジンを回し、引き千切るような加速を
その致命的な損傷が、森屋の場合、最悪なことにブレーキに起ってしまった。
ブレーキディスクの破断も、エンジンの破損も、製造メーカーに原因があるわけじゃない。誰の所為でもない、レースのリスクだ。
そのリスクに森屋は飲み込まれてしまった。そういう不幸な事故だった。
「森屋のお父さん、これを見て……」
そこまで言って、あたしは口を噤む。
息子の死因が記された報告書を読み、父はなにを思ったのか。そんなの決まってる。
あたしは息を止めて、こみ上げてくるものを堪えて――
「ちょっと海ちゃん来て! 来てちょうだい!」
耳を
「びっくりしたぁ……」
椅子の背もたれを掴んで後ろを振り返ると、恰幅のいいオクサマが、あたりの空気をかき集めるみたいに盛大に手招きをしていた。
「すみません、ちょっと今、取り込んでまして――」
「海ちゃん早く来て、これとこれ、なにが違うの!?」
人の話、まったく聞いちゃいない……。
「俺はいいから行ってやんなよ、海ちゃん」
晶が笑顔で顎をしゃくる。
「海ちゃんはやめて……」
あたしの全日本参戦の挑戦に、晶が協力してくれることになった。今日はその打合せがメインで、あたしがモトムラサイクルの店番の時に会っていたのだけど……来店していたオクサマに、たびたび声を掛けられて打合せがちっとも進まない。
「海ちゃん、このライト、形は同じだけど色が違うわ。なにが違うの?」
そうテンション高く言ったのは、以前、カゴの取り付け工賃を巡り、あたしと揉めたゴネ得オクサマ……もとい、百瀬さんだ。
「白は前照灯で、赤は尾灯です。白は前、赤は後ろにつけてテールライトにするんです」
「ねぇ、海ちゃんピンクはないの? ピンクに光るライト」
この容赦なく話がぶっ飛んでいくの、ついていくのがほんと大変。
「私、百瀬でしょ。モモのピンクでカラーコーデネイト、いいでしょお~」
満面の笑顔で言われて、あたしは無理やりに笑みを作る。あたしこういう時、おべっかとか全然使えない。あと一応突っ込みますが、カラーコーディネイトです。
「尾灯は赤と決まっているので、ピンクはないんです……」
そうなのぉ、と残念そうに頬に手を当てる百瀬さんの腕には、癒えて間もない擦り傷の大きな痕がある。
先日のことだ。
モトムラサイクルを訪ねてきた百瀬さんを見て、あたしはぎょっとした。左腕を全体を包帯が覆っていたからだ。
訳を尋ねたら、自転車で走行中、後方確認を怠った自動車に接触され、転倒する事故に遭った。その拍子にガードレールに頭を打ち、一時は意識を失ってしまったそうだ。
ぞっとした。自転車とはいえ、頭を打つと命にかかわる。でも百瀬さんは――
「あなたがヘルメットをかぶるように言ってくれなかったら、命はなかった。あなたは命の恩人よ。本当に、本当にありがとう」
どうにか百瀬さんの接客を終えて戻ると、晶が笑っていた。
「うちでも自転車売ろうって話があんだけどさ、俺はおばちゃんの相手は御免だなぁ。それに俺たちはレース屋だろ。海もそうだから、レース部門を続けてんだろ」
最初は嫌々だった。嫌々売った、自転車とヘルメットだった。
でも、あたしの仕事が、人一人の命を救った。
「自転車売るのも、悪くないよ」
目を瞬かせる晶に、あたしは肩をひょいと持ち上げてみせる。
百瀬さんと晶の間を行ったり来たりして、どうにか打ち合わせを終わらせた頃には、陽がすっかり傾いていた。
「それじゃ俺、帰るな。進捗あったら連絡するよ」
「晶待って。まだ話があるの。ちょっと、こっち来て。智さん、お店お願いします」
「お、おい、どこ行くんだよ」
智さんにお店を預けて、晶を裏路地に引っ張りだす。
「はい。おごり」
自販機の缶コーヒーを押し付けるように渡すと、受け取った格好のままで晶は言った。
「なんだよ話って?」
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