第 六 章 8
千鶴ちゃんをピックアップして即座に宮ヶ瀬に向かう。道中、千鶴ちゃんが正一の携帯に電話をかけ続けたが、一向に繋がらなかった。
「事故渋滞……」
千鶴ちゃんが電光掲示板を見上げてつぶやく。
尾灯が真っ赤に連なる渋滞の末尾に並び、ラジオの交通情報に耳を傾ける。
「自動車同士。関係ない」
あたしはあえて口に出した。渋滞をのろのろと進み、やがて事故現場に辿り着く。確かに自動車同士の追突事故だった。追突された車の運転手だろうか、後部が潰れた車の脇でわめき散らしていた。
幹線道路を外れ県道に入ると、平日ということもあって車通りも人通りもほとんどなくなる。やがて街灯すらなくなり、ヘッドライトの灯りだけを頼りにトランポを走らせる。
正一の姿はもちろん、携帯も繋がらないまま、目的地の道の駅に辿り着いてしまう。道の駅は閉店していて、市街地にはない完全な闇が覆っていた。駐車場をぐるりと回っても正一の、テレフォニカのCBRは見あたらず、あたしは胸を撫で下ろす。ここは携帯が繋がる。こんなところで見つかったら、それこそ……。
「正ちゃん言ってたんです。道の駅で海さんにおみやげを買って、それで仲直りするって」
千鶴ちゃんが、ハンカチを鼻の下に押しあてながら言った。
「なに買ったのかな、あいつ」
「え?」
「ここにいないってことは、もうおみやげ買ったんでしょ」
「……きっと、ふたつです。ちゃんとしたおみやげと、ウケ狙いの変なおみやげです」
「さすが千鶴ちゃん、わかってる。……次の目的に行こう」
どれだけ走っただろう。つづら折りの狭いの道が延々と続いて、距離感覚もおかしくなってくる頃だった。
「パトカー?」
ルームミラーを見遣ると、サイレンをけたたましく鳴らしたパトカーが追い上げてくる。速度を落とし、パトカーに前を譲る。
「なに、あれ?」
パトカーの行く先を望むと、いくつもの赤色灯が、パトカーが何台か集まっているのが見える。あそこに急行している?
――あたしたちには関係ない。
そう言い聞かせるが、パトカーとあたしたちが進む方向は同じで、自然とパトカーを追いかける形になる。やがてパトカーが集まっている退避帯に辿り着き、前を走っていたパトカーが、その赤色灯の群れに溶けこんでいく。
「海さん止めて!」千鶴ちゃんが叫ぶ「正ちゃんのバイク、CBRが!」
あたしは急ハンドルを切りトランポの頭を道路脇に突っ込ませ、強引にUターン。退避帯まで取って返す。
あたしは息を呑んだ。
パトカーの影に隠れるように、テレフォニカのCBRが駐めてあった。
「正一!!」
トランポから飛び降り、あたしは叫び、その場にいた警察官が一斉にこちらを向いた。
CBRのもとに駆け寄りると車体は綺麗なままで、あたりを見回しても事故現場という様相じゃない。肝心の正一の姿がない。
「あの、ご友人の方ですか?」
訝しげに声をかけてきた警察官の向こう――パトカーのドアが開き、
「正ちゃん!」
千鶴ちゃんが叫び、正一のもとへと駆け出す。
「え、千鶴? なんでいるの?」
「正ちゃん帰ってこないから、探しに来たんだよ!」
「マジで?」
「マジだよ! 今までなにやってたの!?」
「いやぁ、実は道迷った挙句ガス欠してよ。携帯は通じねぇはメチャクチャ寒いは、終いには不審者扱いされて通報されるはでまいったよぉ」
ガス欠……。脱力するような安堵に、あたしは危うくへたり込みそうになった。
「あ、海さんも来てくれたんすか」
「CBRの燃費、まさかこんなに悪いとは思わなかったっすよ。カブの半分くらいかって思ったんっすけど。5分の1じゃねーっすか。つーかカブの燃費良すぎっすよぉ」
まんま、晶の言ったとおりじゃない。
「燃料計の目盛りがラスイチでヒヤヒヤして、点滅しだして終わったーって思ったらマジで終わっちゃって。いやぁ、海さんの言うとおり下見してよかったっす」
正一がペラペラと早口で言った。
いるんだ。トラブルに遭遇すると、逆にそれを楽しんで、ハイなるやつって。
全身の熱が首筋を伝って頭に集まってくる。頭に押し込められた感情が爆発するみたいな怒りに襲われる。
あたしは両手で顔を覆い、背中を丸め、
「あああああああああああああああああああああぁ!!」
あらん限りの声を張り上げる。
「この大バカ野郎!」
正一の襟首を掴み上げ、渾身の力でパトカーに叩きつける。
「う、海さん」
目を剥いた正一に構わず、あたしは声を荒らげる。
「おまえが帰ってこなくて、携帯もつながらなくて、事故ったんじゃないかって! 千鶴ちゃんがどんな想いでここまで来たと思ってんだ!!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて!」
警察官に羽交い締めにされ、正一から引き剥がされながら、あたしは叫ぶ。
「千鶴ちゃん泣きそうな声で正ちゃん帰ってこないって電話かけてきたんだよ!! だからここまで来たんじゃないか!!」
視界がにじんで、正一の顔もよく見えない。
「あたしだって、おまえになにかあったらどうしようって、生きた心地しなかったよ!!」
「海さん!」
千鶴ちゃんがあたしの胸にしがみつき、懇願するような目で見上げてくる。
「だって……このバカが…………」
蝋燭が燃え尽きるみたいに力が抜けて、羽交い締めにしていた警察官の力も抜けていく。
あー、と情けない声をもれて、あたしは手で目を覆い、千鶴ちゃんと正一に背を向ける。
目頭に指を痛いくらい押し付け、歯を強く食いしばり、あふれてくるものを無理矢理に押しとどめる。
感情に任せて泣き叫んでしまいたかった。でもあり得ない。森屋のために
喉を下に手を当て、どうにか気持ちを沈め、大きく息をつく。
目を瞑る。眼の奥からじんわりと疲労が溶け出していく。
その感触に、あたしはずいぶん長いこと身を任せていた。
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