第 六 章 4
*
「久真くん、松葉杖使ったほうがいいよ」
メディカルルームを出て、負傷した足を労ろうともせず、乱暴な足取りでピットへ向かう久真に、麻衣ちゃんが声をかける。久真は険しい表情のまま、なにも答えない。
ふいに久真が、足を止めた。その視線の先は、今まさにあたしたちが向かっていたモトムラのピット。遠目にも意気消沈しているとわかる岩代さんと悠真が顔を合わせていた。
「久真、待ちなさい」
駆け出そうとした久真の肩を掴んで引き止める。
「なんで止めるんですか海さん!」
おまえがそんな顔をしてるからだ。
「幸佳はなにも悪くな――」
「いいから、静かにしな!」
小声で強く言って、首に腕を回して体を引き寄せる。
「舞ちゃん、おいで」
片方の腕を舞ちゃんの肩に回し、あたしたちは寄り添って、二人の様子を伺った。
――それは譲れない想いが交差し、その果てに行き着いた、悲しい心のすれ違いだった。
岩代さんは久真を巻き込んで転倒した。それは不幸なアクシデントだったが、久真を巻き込んだことが許せない悠真は、岩代さんに怒りをぶつけた。
悠真がどの口で言うのか。前のレースで悠真は故意に、岩代さんをコースアウトに追いやった。それは悠真もわかってる。自分は罪を犯したのだと自覚している。あの悲愴なまなざしが全てを物語っていた。
でも、譲れなかったんだ。後に引けなかったんだ。勝利への執念がそうさせた。夢への想いがそうさせた。悠真にとって、彼女は超えなければならない、才能の壁だったから。
それを許せなかったのが久真だ。あたしの腕の中から飛び出し、二人の間に割って入り声を上げた。どんな理由があろうと許されることじゃない。そして岩代さんをかばい、間違っているのは悠真だと責めた。
久真の言う通りだ。だからこそ、悠真は堪らない気持ちになっただろう。だって岩代さんは、悠真の努力を、夢を、そして久真の想いすらも、すべて奪っていったのだから。
悠真は久真にずっと想いを寄せていた。心の支えにしていた。その久真に否定される。
その悲しみを、悔しみを、虚しさを、悠真は声にしてぶつけた。
――岩代幸佳さえいなければ、と。
だから久真は叫んだ。
長年抱き続け、しかし口にはせず、己の努力と実力でそれを克服する。そう誓い、心に押し込め続けていた、喰らい感情を久真は叫んだ。
――
あたしは、生まれて初めて人が絶望する、その瞬間を目のあたりにした。
ふっと色を失い、底が抜けるように、一瞬にして空っぽになってしまった悠真の、その瞬間を。
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