第 五 章 8



 岩代さんのコーナーへ頭から吸い込まれていくような強烈なブレーキング。


 フロントフォークは沈み切り、タイヤは目に見えて潰れる。強烈な慣性を車体全体に受け、思い切りお辞儀したバイクが、クリッピングインについたの瞬間にアクセルオン、シーソーよろしくフロントが跳ね上がり、一気に加速する。跳ねるような動きのでコーナーリング。


 そして、悠真の前を奪う。


 もう言葉もない。速い。段違いに速い!


 2、3コーナーでマシン1台分、コンマ3秒差を付けられてしまう。しかし――


 やばい。そう焦ったのは束の間だった。6コーナーを過ぎたコース後半で悠真は岩代さんに食い下がり、テールトゥノーズに持ち込んだ。


 コース後半は悠真のほうが速い! 速さは五分だ!


 この上なく白熱したレース展開に、大爆発する歓声。


 悠真はホームストレートを岩代さんの背後、スリップストリームにつき――射出!


 一息で横に並び、そのままファイナルラップの左1コーナーで折り重なる。


「よし、うまい!」


 悠真がインを奪う。コーナー脱出がアウト側に膨らむワイドラインになったが、左1コーナーの直後は右2コーナー。ワイドラインが必然的にインを締めるラインになる。コースレイアウトをうまく使った走り。このまま岩代さんの頭を抑えれば勝て――


「なんで!?」


 視界をかすめた勝機は、壁に叩きつけたガラス瓶のように粉々に砕かれた。


 、岩代さんはいとも簡単に前を奪った。


 コース後半は悠真の方が速かった。が、ファイナルラップに入った途端、岩代さんは、コース後半でも目に見えて速くなった。唖然とした。あの速さを奥の手にしていたんだ!


 そして6コーナーを過ぎるとタイトコーナーの連続でパッシング抜きポイントどころはもうない!


 悠真は必死に食らいつくが、そのまま最終コーナーに進入。岩代さんはインを完全に塞ぐラインをとっている。


「駄目、なの……?」


 あたしは頭を抱えた――が、悠真は構わずインに飛び込む。


 観客の悲鳴―― バゴンというFRP強化ガラス繊維カウルのひしゃげる音――


 悠真と岩代さんが接触。岩代さんのバイクは下から突き上げられるように起き上がり、しかし即座に姿勢とラインを修正、悠真と岩代さんは肘と肘と接触させたままコーナーを立ち上がる。2本のラインがアウトへとはらみゼブラゾーンに乗り上げ――土煙があがる。


「岩代選手コースアウトオオオォ!!」


 実況の絶叫が轟き――チェッカーフラッグが振り下ろされる。


「優勝は阿部悠真ぁあ!! 今季初優勝ぉおおおぉ!!」


 岩代さんはエスケープゾーンでグラベルベッド緩衝材の玉砂利に足を取られ、バイクがロデオ。アスファルトに復帰するのに手間取り、12番手でチェッカーを受けた。


「あのバカ!」


 あたしはコンクリートウォールに拳を打ち下ろす。


 レーシング競技上のアクシデント事故の接触は、レースでは日常茶飯事。でも悠真のしたことは違う。


 岩代さんのインに無理やり突っ込んでインをこじ開けた。あまつさえ横並びになった瞬間、肘を出して彼女をコースから墜落させた。


 あたしは見逃さなかった。敗北を悟って、あいつは禁じ手に及んだんだ!


 悠真がパークフェルメ入賞車一時保管場所に戻ってくる。


「悠真」


 あたしはヘルメットのてっぺんを見下ろし、ドスを効かせた声を出す。


 俯いたまま、悠真は微動だにしない。


 こいつもわかっているはずだ。自分のしでかしたことが。


 怒鳴りつけようと息を吸ったその時、悠真は弾かれるように顔を上げた。


「勝ちましたよ」


 あたしを睨みつけ、言い放つ。


 息を呑んだ。罪の重さを知る罪人が、信念が故にその罪に抗うような。とても16歳の少女とは思えない悲愴なまなざしに、あたしは射すくめられ、言葉を失くした。



           * * *






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