第 五 章 7



「舞子、お願い」


 ツナギにヘルメット、フル装備でチェアに腰掛けた悠真が呼びかける。松葉杖を手にした舞ちゃんが悠真に肩を貸し、立ち上がる。悠真は手渡された松葉杖をつき、ロボットのような足取りでバイクに歩み寄る。


 やっぱり――異様だ。


 レースは〝怪我をおして〟の基準がおかしい。バイクに乗る直前まで松葉杖を突いているなんてあたりまえ。車椅子に乗っていたなんてこともあった。全身を使って乗るライドするバイクだからこそ可能なのかもしれないが、冷静になって考えると正気の沙汰じゃない。


 スタート進行は滞りなく進み、あたしは舞ちゃんとサインエリアに退避する。


「いつも通り、舞ちゃんは久真のサインボードを」


 悠ちゃん大丈夫なんですか? 目で問いかけてくる舞ちゃんをあたしは無視する。


 大丈夫なわけがない。でもあたしは、悠真を止めたくない。止めてはならない。世界に出るなら、後に引くわけにはいかないんだ。


 その先にある最悪の結果も知っている。それでも、あたしは――


「舞ちゃん、集中していくよ」


 飛び込むしかないんだ。



         *



 がむしゃら。その言葉がふさわしい走り。


 悠真はロケットスタートを決め、オープニングラップをせいすると、そのままトップを堅守けんしゅしていた。


 体が熱くなる。腹から力が沸き上がってくる。


 なんてタフなやつなんだろう。悠真の強い走りに、不安なんて吹っ飛んでしまった。


 あたしは興奮していた。


 きっと悠真も同じだ。不安も痛みも、吹き出すアドレナリンでなにも感じなくなっているはず。今あいつの頭にあるのはただひとつ――勝利だ。


 しかし相手はあの天才。きっかり1秒後ろで虎視眈々とスパートのタイミングをうかがっていた。観客にはさぞ面白いレースだろうが、走るレーサーに、見守るあたしたちにとっては神経が擦り切れるようなレースだ。


 レースは追う方より追われる方がキツイ。追う方はシンプルだ。目の前の敵を追い立てればいい。追われる方は絶対に転倒できないというプレッシャーと闘いながら後方とのタイムギャップ、ペース配分などを意識しながら走らなければならない。


 プレッシャーに押しつぶされ、優勝を目前にして転倒、なんてこともめずらしくない。レースはフィニッシュゴールの瞬間までわからない。


 いつものことながら、もどかしかった。レースが始まってしまえばメカニックはなにもできない。


 サインボードのタイムを、実際より遅く表示してレーサーを奮い立たせる、なんてテクもあるが、自分のタイムの把握できる悠真には通用しない。


 あたしには声を枯らして激を送り、走り切ってくれと、もはや呪うように願うことしかできない。


「きたぁ!」


 誰かが、まるでバケモノが現れたような声を上げた。


 残り3周で、岩代さんがペースアップ。彼女のそれは、ひと目でわかる。


 そしてあたしは信じられない思いで、その有り様を目のあたりにする。


 たった1周で1秒のタイムギャップ潰し――テールトゥノーズ。あっという


間に悠真がロックオンされてしまう。なんてスピードなんだ。


 残り2周。あたしは咄嗟にサインボードの、後続とのタイムギャップの表示をなくし、残り周回数だけの表示に変える。


 悠真は背後に気配を、エクゾーストノートが耳朶を打つプレッシャーを間違いなく感じている。タイムギャップの表示なんて必要ない!


「悠真ぁ! 意地見せなさい!!」


 ここで岩代さんを抑えれば勝てる。流れを変えられる。変えられなければチャンピオンはありえない。


 接近戦を演じる2台のバイクが大気を突き破り、1コーナーのブレーキング勝負!


 サーキットが、どよめく。






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