第 二 章 8



 晶の表情がわずかに曇る。そうだよね。知らないわけがない。


 ――なんで教えてくれなかったの?


 そんな想いが脳裏をよぎったけど、あの頃は晶ともあまり顔を合わせていなかったし、負のオーラを全開で放っていた。気を遣ってくれたんだろう。


「……森屋が、なに?」


「ごめん。なんでもない」


 あたしが森屋に出会った時、晶と森屋はお互いを知っているみたいだった。


 バイクレースは、バイクの車種や排気量によってクラス分けされる。あたしと晶はクラスが別だったけど、森屋と晶はSTエスティ600ろっぴゃくという、同じクラスで走っていた。


 森屋は晶を強くライバル視していたけど、それは一方的なもので、速さでいえば晶の方が断然上だった。晶は年上の森屋に敬意を払っていたけど、とても好意的とはいえない態度をとる森屋を次第に疎むようになった。


 ふたりは見た目も性格も正反対。晶は脳天気なくらいで明るくて人当たりもいいけど、森屋は愛想なしだし、サーキットじゃいつも目を尖らせていて人を寄せ付けなかった。


 ふたりの関係は、晶が全日本に昇格し、地方戦から抜け出せない森屋が眼中に入らなくなるという形で終った。


 あたしにとって晶はいい友達で、尊敬するレーサーだ。なんてったって、憧れの全日本選手権に登り詰めた、才あるプロレーサーなんだから。


 西の空が真っ赤に燃え始める。もう行かないと。あたしは腰を上げようして、


「なぁ、海」


「ん?」とあたしはぼんやりと晶に顔を向ける。


「森屋のことは本当に残念だし、まだ気持ちの整理がついてないところがあるけど、俺は前に進むよ。うまく言えないけどあいつの分まで走るっていうか……。あいつだって天国から、さっさと前に進めって言ってるよ」


 晶らしいなって思う。やっぱり森屋とは正反対だ。


 森屋は、あの世とか天国とか、そういうものを信じてなかった。死んだらそこで終わり。あの世なんてあったら困る。リミットがあるから人生必死になれる。なんてのたまってた。


 あたしの考えも森屋に近い。そりゃお墓には手を合わせるし、無下に否定するつもりもない。でも必要以上に囚われたり、押しつけられるのは御免だ。


 黙ったままでいると、晶が続けて口を開いた。


「こういうこと、俺が言うべきじゃないし、一番つらいのは海だってわかってるけど……」


「ありがと」


 晶が「えっ?」と顔をあげる。


「励まして、くれてるんでしょ」


 晶は照れくさそうに俯いて、鎖骨のあたりを服の上から掻く。


 あたしが一番つらいのかはさて措き、晶はいいやつだと思う。


 さてと――


 今度こそ帰ろうと腰を浮かせて、


「俺と付き合わないか」


「……付き合う?」


 晶は慎重に頷いて、あたしは間抜けに晶を見つめてしまう。その眼差しには、わずかな恐れが含まれていて――


 えっ? 付き合うって、そういう意味の付き合う!?


「ちょ、ちょっと待って、晶あたしが好きなの? あ、ごめん」


 あたしは動転して、無神経なことを口走ってしまい、咄嗟に謝ったが――


「好きだよ」


 少し震えていたけど、真剣な声だった。


「海のこと、ずっと前から好きだった」


 ……やだ。どうしよう。あたしこういうのほんと苦手で、どうしていいかわかんない。


 言い淀むばかりのあたしに、晶は堪らずといった様子で口を開いた。


「ほんとはもっと早く伝えたかったけど、おまえ、付き合うとかそういう雰囲気全然なかったじゃん。俺も全日本に昇格するので精一杯で。だから昇格したら伝えようって思って、それを励みにしてがんばったんだぜ。そしたらおまえと森屋が付き合いだしてむちゃくちゃ後悔した。ふられるにしてもさ、せめて気持ち伝えてふられたかったよ」


 晶は顔を赤くして早口でまくし立てる。自分のしていることに、ちょっと興奮しているみたいだった。かと思えば、


「それで森屋、急にいなくなってさ、俺どうしていいか全然わからなくて、海にだってどう接していいか…………。もう一年か。一年なんてあっと言う間だな」


 しんみりと、言った。


 あ――


 思わず空を仰ぎそうになった。そうだ。なんで最初に気がつかなかったんだ。


 晶は、森屋が死んだと、あたしが知らなかったことを知らないんだ。


「……なに言ってんの晶。あたし付き合ってない」


「…………でもおまえ、森屋と――」


「付き合ってない!」


 あたしは声を上げて晶の声を遮る。


 晶の中で、森屋は一年前にとっくにいなくなってて、しかもそれにがついてる。


 だからあたしに告白したんだ。もう一年も経った。経ったから、あたしもけりがついてるだろうって、恋人を亡くした可哀相な女はもう立ち直ってるって、そう思うの?


 お生憎様。あたしが森屋の死を知ったのはたった一週間前で、けりをつけるどころか、どう受け止めていいのかすらわからないでいるんだよ。


「海……?」


 晶が戸惑った表情で呟く。


 いや、晶はなにも悪くない。だって晶はあの場二次会にいなかった。それにもう一年経ってる。けりをつけるには十分な時間かもしれない。しれないけど――


 あたしはチェアから立ち上がり、


「海」


 晶があたしの手首を掴み、すがるような目で見つめてくる。


「離して」


 嫌だった。晶の中で森屋の死にけりがついている。それがどうしようもなく嫌だった。


「海、どうしたん――」


「離して!」


 晶の手を振り払い、あたしは逃げるように立ち去った。





          第 三 章 へつづく

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