夏祭り
鹿月天
夏祭り
突然ワッと押し寄せた人の波に、僕は片足をのまれてよろめいた。
聞こえてくるのは道の脇によれと片手を上げる交通整備員の声と、それをかき消さんばかりの男達の野太い声。
そんな喧騒に押されたのか、狭い商店街の中央をくぐり抜ける神輿の先端がより一層大きく揺れた。
田舎の中の市街地。
日本中に溢れかえっていそうなありきたりな地方の街を浮かべてもらえれば、きっとそれが僕の故郷の風景だ。
赤字続きだとはいえ、こんな小さい町の中では年に一度のビッグイベント。
リズミカルな神輿の動きに少し遅れをとって、古びた赤い提灯がゆら〜りゆらりと揺れている。
僕は神輿を一目見ようと道の中央に流れる人の波に逆流しながら、チラリと左手首につけた腕時計を見た。
「7:55」
まずい......あと五分しかない。
僕は慌てて、ますます速くなるその流れに抗う。
足元をかすめる小さな子供。
ガタイのいい男達の塊。
むやみにぶつかることのできない華奢な女子高生のグループ。
思うように進まぬ歩みに、僕は肩で息をしながら必死に人混みをかきわけた。
今の僕には時間が無いのだ。
こうやっておしくらまんじゅうをしている間にも時間が流れていると思うと、自然と汗が滲んでくる。
早く。
早く。
もたつく足に反して心は先へ先へと歩みを速める。
もう何時間もそんな人混みをかき分けていたかのように思えた。
しかし、しばらくして吹いたのは一筋の風。
それに気づいた瞬間、今までの人混みが嘘であったかのようにパッと視界が開ける。
僕は勢いを失った弾みで思わず空に瞳を向けた。
そして無言でその場に立ち尽くしてしまう。
そこに広がる景色に目を奪われてしまったのだ。
黄昏時とでも言うのだろうか......。
柔らかな赤と紫が入り交じる空の下。
薄暗くなってきたそこに、小さなやぐらが組まれていた。
絵の具を流したかのような空を背に、ぽつりぽつりと赤い提灯が揺れている。
僕がそこに視線を向けると、ちょうどそのやぐらから降りてきた君と目が合った。
その白くすらりとした手には、あたたかみのある小さな竹笛が握られている。
腕時計の表示は「8:10」
とうとう僕は間に合わなかった。
それは疲労感なのか虚無感か......思わず力が抜けてしまった僕は頭をたれて小さく息をつく。
その瞬間、ぽんっと肩を叩かれて僕は顔を上げた。
その瞳に祭り独特の柔らかな光を宿しながら、君は首を傾げると小さく苦笑する。
「ちょっと遅かったね」
その言葉に僕はへへっと力なく笑ってみせる。
すると次の瞬間。
そんな僕の手を勢いよく掴むと、君はいきなり駆け出した。
何が何だか分からない僕は思わず足をもつれさせて転びかける。
そんな僕には目もくれず、君はどんどん足を早める。
浴衣を着ているのに、よくそんなにすいすいと走れるものだ。
僕が息を切らし始めたころ、やっと足を止めた君は「お疲れ〜」などといって他人事のように笑ってみせる。
そんな君にちょっと頬を膨らませた僕だったが、顔を上げた瞬間......目の前の景色に口を開けたまま固まってしまった。
もうすっかり暗くなってしまった空の下、いつもより賑やかな町あかりが溶け込むように空へと流れている。
その景色を見て、やっとここが町を見下ろす高台だと知った。
祭りの喧騒から離れて、それをただただ静かに眺め続ける。
うん。こういう祭りの楽しみ方もいいのかもしれない。
そんなことを考えていた僕の耳に、突然涼やかな音が響いた。
顔をあげずともそれが何かは分かったが、僕は反射的に君の方へと顔を向ける。
小さな竹笛から流れ出る調べ。
祭りの熱気を含んだ町からの夜風が君の柔らかな髪を撫でた。
なぜだかなんて言葉にするのは難しいけれど、言いようもない満足感に僕は思わず頬を緩める。
そんな顔を見られるのがなんだか恥ずかしくて、僕は君の横に座り込むと祭りに賑わう町を遠目にながめながらその美しい調べに耳を傾けた。
僕だけの特別ステージ。
祭りの夜の静かな一時。
僕しか知らないこの音色は、きっとあの町には届かないのだろう。
夏祭り 鹿月天 @np_1406
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