第26話 襲来
フランに早く来て欲しいと言われ、皆で甲板に出る。
空は曇天で小雨が降っている。幸い靴を履いているのでまだ滑って転ぶ程の事態にはなっていないが、正直滑る心配を頭の片隅でしながら戦うのは嫌なものである。
甲板には撲殺された魔物の死体が何体か転がっており、海面を見れば波間から魔物の頭が覗いているのが見える。
「彼らの狙いはあくまで目に見えている我々なので、船まで壊すことはないでしょう。下手に動いて船から落ちても仕方ないので、この蓋の近くに固まって近付いてきた個体から順に叩き潰すようにしましょう。敵が増えたら後の判断はそれぞれに任せます」
ホアン船長はそう言うと蓋の真上に陣取り、礼一達はその周囲を囲み、夫々海の方を警戒する。
数分の後、獲物が増えたことを知ってか魔物の動きにも変化が現れる。それまでこちらの様子を窺うばかりであった魔物の群れが徐々に船を囲む包囲網を狭め、こちら向かってくる。といっても船もゆっくりとではあるが前進しているので主に前方と左右から魔物が押し寄せる。
前々から不思議なのだが、この船のボディはツルツルであるにも関わらず〈海童〉は何の苦も無く甲板へ上がって来る。まるで画面の中で大活躍中の蜘蛛男の如き吸着性である。
兎に角魔物がスルスルと船体をよじ登ってくるため、甲板の上はてんやわんやの騒ぎである。
礼一と洋は皆に倣ってひたすら棒を上げては下に叩き下ろすという動作を繰り返す。
パントレ達は敵の数が増えたからか、とっくの昔に棒を放り捨てて撲殺に切り替えている。
残念ながら礼一達はまともに接近戦を行うのは避けたいので目に付く魔物を叩き潰すことに全力を傾けている。
腕がミシミシ鳴っているのがわかり、雨に濡れて肌にくっついた服が邪魔で仕方ない。そろそろこのやり方も限界だろう。
いい加減腕も疲れ、長物も大して役に立たなくなってきたので、礼一と洋も金属棒を横にうっちゃり、素手で魔物と対峙する。
剣は一応腰に差しているのだが、もう腕が疲れているので振り回す余裕もない。
礼一は靴を脱いで甲板の蓋の中に放り込み、本格的に足の珍妙な現象に頼ることにする。
洋はと見ると、ファイティングポーズをとって魔物を素手でぶん殴っている。両手が見たこともない鈍色に染まっていることからどうやら彼も何らかの現象を纏っているようで、彼に殴られた魔物がバッタバッタと倒れていっている。
幸い洋の打撃と同様に礼一の足の攻撃も魔物に一応は効いているようである。礼一の場合そこまで蹴りつけなくても顔面に当てさえすれば効き目は出るので一撃一撃に力を入れる必要はなく、通常よりは楽に戦えている。
一点誤算があったとすれば、甲板中央で戦っていることにより死んだ魔物が積み上がって邪魔になっていることであった。
鬱陶しいことこの上ないが、押し寄せる敵の数は一向に減らないため片付ける余裕もない。逐一死骸に足を取られるとストレスが溜まる上に体力のロスにも繋がる。
何しろ天候が悪いため、裸足の礼一はただでさえこけないように足元に気をつかわなくてはならないのだ。
雨は足元の滑りやすさの他に蒸し暑さをもたらす。普通であれば寒い雨も運動をしていればたちまちサウナの打ち水へと早変わりする。
自分と洋の身体からほんのりと湯気が立ち上っているのが見えるぐらいであるから、それ以上に動き回っている他の皆に至っては言わずもがなであろう。
そろそろ足元の魔物を何とかする案を考えねばと礼一が思っていると、足に何かがペタペタ触れる。一体何だと思って下を向くと、彼の攻撃を喰らった魔物が地面で泡を吹いて暴れまわっている。
「キモッ」
そう叫んで礼一はその場から急いで飛び下がる。
普通こういった場面では、武士の情けだとかなんとか言って止めを刺してやるものなのであろうが、武士の心得等一片たりとも持たない礼一は速攻戦略的撤退を選択する。
「俺の先祖は百姓なんだ。戦いの作法なんて求めるな」
彼はそう愚痴るがあながち間違ったことではない。大体日本人の先祖の殆どは百姓である。昔に悪党と罵られた足軽の真似は出来ても、武士の高潔さなんて幻想を演じられるものは中々存在しないだろう。
それ故に現代においてそれを実践できることには価値があるのだが、どうやら礼一には荷が重かったようである。
「一旦真ん中に集まって下さいッ」
ホアン船長が大きな声で全員に向かって号令をかけ、それを聞いたパントレ達が目の前の敵を片付けて、素早く甲板中央に集まる。
「足元が敵の死骸だらけでこのまま戦っていればいずれ危地に立たされます。ここを中心に互いがぶつからない程度の間隔を空けて敵を殺し、死骸を障壁替わりに敵の勢いを削ぎつつ戦いましょう。くれぐれも同士討ちをしないように注意してください」
皆は無言で頷き、その場に散開する。礼一は片足で甲板を蹴り足元の感触を幾度も確かめ、こけないように気をつける。
こうして皆がそれぞれの配置に付いている最中にも魔物を押し寄せ続けるので、片手間に処理しながら持ち場に移動する他ない。
こうも立て続けに来られると礼一も洋も人型の物を殺している気持ち悪さ等感じる余裕もなく、機械的に足を動かし、腕を振るのが精一杯である。
もう通常魔物を退ける迄にかかる時間の二倍程が経過しただろうか。雨は益々その強さを増し、横から叩きつけられる雨粒が痛いぐらいである。
身体が疲れて重くってしょうがないが兎に角目の前の敵を処理しなければ自分が死んでしまうのでどうしようもない。
魔物達の個々の背は小さく、数日前まで虫一匹殺すのでさえ一苦労であった礼一でも、特殊な現象のおかげとはいえ一蹴りで殺す事が出来る。しかしいかに弱くともその数は膨大で、時間が経つにつれ、継戦は難くなってくる。文字通り数の暴力が礼一達を吞み込もうとしていた。
朝鮮戦争の折に最新兵器を有するアメリカ軍が、次々と飛び出してくる中国軍に散々苦しんだという話を聞いたことがあるが、丁度こういったことなのであろう。
人を魔物と同列に語るなんていうのは失礼もいいところだが、果ての見えない大量投入というのは、相手からすればそれだけで恐ろしいものなのであろう。
その後、昼から続いた魔物の襲撃は、甲板に山と死体を積み上げた末に、礼一達が力尽きる寸前に急にその勢いを減じたと思う間にピタリと止まった。
魔物の攻撃は随分長かったようで、雨の為わからなかったが空の暗色の割合は濃くなりすっかり日が没する頃合いになっている。
「あー、疲れた。ふざけた数してやがる。殺しても殺しても次が湧いてくるとか悪夢じゃねぇか。その上どいつもこいつもへなちょこで張り合いも出ねぇしで、ちっとも面白くねぇ。やっぱり魔物と殺り合うには陸上が一番だぜ。陸上だとこんなチマチマした攻撃は仕掛けてこねぇかんな」
両手両足を甲板に広げて、駄々をこねる子供のようにパントレが盛大に文句を言う。体力馬鹿の彼をしても、此度のゾンビの群れの如き〈海童〉の襲撃には耐えかねるものがあったようである。
パントレをしてそう言わしめる程の襲撃であったのだから、礼一や洋は言うまでもなくクタクタで、甲板に蹲ってしまっている。
正直最後の方は一体自分が何をしていたのかすら覚えておらず、死に物狂いで動いていたという感覚しかない。
ここで諦めてしまえば楽になれるという考えが一度ならずとも礼一の頭をよぎり、脱力しかける場面もちらほら見られたものの、その度に迫りくる魔物の体毛の間にちらつく彼らの目と口を見て、あんなもの近づけられて死ぬのはごめんだと気力を絞り出して戦っていたのである。
腕も足も棒のようで、風邪をひいた時のように頭はガンガン鳴るし、全身が熱を持っているようである。
「この先どうなるかわかりませんが、とりあえず周囲に魔物もいないようなので、一旦船の中に戻りましょうか。見張りだけ交代してやってください」
ホアン船長が全体に通達した声を聞き、怠い身体を引きづって何とか第二甲板へと降りた後、周りの様子を気にする余裕もなく礼一は意識を闇に投じてしまう。
人生凡そ辛い時期というのは今が一等苦しいと思うものだが、礼一にとっては今が当にその一等苦しい時であった。
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