第40話 市内観光

 宿を出ると、自然にエルグレドを先頭にレイラ、続いて篤樹とエシャーという並びが出来る。


「そろそろお昼ですし、何か食べますか?」


 エルグレドの提案に、篤樹は自分が空腹であることに気付いた。昨日の昼に巡監詰所で食べて以来、食事らしい食事はしていない。緊張が続いていたためすっかり忘れていた。


「わたしは結構ですわ。合流前に済ませましたから」


「そうですか。では先を急ぎましょうか」


 レイラの返答を受け、エルグレドはそのまま先を目指し歩み続ける。


 え? え? そんな! 俺、お腹空いてます!


 篤樹は2人の会話を聞いて絶望的な気分になった。


「あの、僕、何か食べたいです!」


 一度思い出した空腹を押さえられない。篤樹は切実な思いを込め声を挙げた。そう言えば親以外に「お腹が空いた、何か食べたい」なんて要求するのは、いつ以来だろうか?

 そもそも「食事をしたい!」と要求を出さなくても、毎日毎日三度三度の食事が用意されているのが当たり前、という生活しかして来なかったのだ。出された物を食べるというのが普通のこと……母に対しては、その出された物に対して好き嫌いで文句まで言っていた。


 でも今は苦手な蒸し野菜でも海草の煮物でも、何だって食べたい!


 自分の意見を年上に述べる、と言うのは篤樹にとってある面で高いハードルであったが「一大決心」で発した昼食の提案は、いとも簡単に受け入れられた。


「おや? そうですか……では調理の時間も場所もありませんから、あちらのお店で何かいただくことにしましょう」


 エルグレドは、真赤な 日除ひよけ屋根を出している通り沿いの店を指差した。


「グレーブ?」


 篤樹には「読めない字」で書かれている店先の文字に、エシャーが気付いてつぶやく。


「アツキくんもエシャーさんも初めてですか? 結構定番の食事ですよ」


 エルグレドが説明すると、すかさずレイラが口をはさんだ。


「グレーブなんて、食事ではなく子どものおやつですわ」


 おやつでも食事でも、何だっていいから早く食べたい! 篤樹の意識はもう、食べることにしか向いていなかった。



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「お腹は足りましたか?」


 エルグレドに声をかけられた時、篤樹は袋状の水筒から水を飲んでいるところだった。返事をするよりも、まず最後の流し込みを優先する。


「……はい! ご 馳走様ちそうさまでした! おいしかったー!」

 

 歓喜にも似た喜びの声で篤樹は返事をした。まだグレーブを手に持っているエシャーも呆れ顔で篤樹を見ている。


「アッキーって……ホントによく食べるねぇ」


「だって、昨日の昼から何も食って無かったんだぜ? 思い出したらお腹がどんどん空いてきてさぁ……」


 4人はグレーブ屋の店先に置かれている、丸いテーブル席に座っていた。店頭調理をしている店のおじさんも笑いながら声をかける。


「まだお代わりは要るかい?」


「あ、いえ! もう十分です。ご馳走様でした!」


 篤樹はちょっと恥ずかしげに答えた。グレーブなんて聞いた事のない料理だったが、店頭で実物を見てみると、篤樹も良く知っている「タコス」のような料理だった。

 これなら部活帰りにコンビニで買って食べた事もある。大好きな食べ物を目の前に、篤樹の空腹感は一気に最高潮に達した。エルグレドとエシャーが2本ずつ注文する中で、篤樹は5本注文し、さらに2本お代わりもした。


「これから結構歩くのに、そんなに食べて大丈夫なのかしら?」


 スムージーだけを飲んでいるレイラからは、心配とも 嫌味いやみとも受け取れる口調で感想が述べられる。しかし、空腹からの欲求には逆らえなかったのだから仕方が無い。

 それに、トルティーヤも具材も、今まで食べたどのタコスより最高に美味しかったのだ。店頭のおじさんも、嬉しそうな顔で篤樹の食べっぷりに見入ってくれていた。


 数分遅れで、エルグレドとエシャーも最後の一口を食べ終わる。


「ご主人、お代は?」


 エルグレドは 外套がいとうの中に手を入れ、小さな 巾着袋きんちゃくぶくろのようなものを取り出すと、 口紐くちひもほどきながらたずねた。


「グレーブ11本にスムージーで3000ギンになります」


 エルグレドは苦笑しながら、袋から 硬貨こうかを何枚か取り出し支払う。


「……毎食これでは、三ヶ月どころかひと月で破産ですね」


 篤樹は、思わず自分の欲求のままに食べたことを申し訳なく思った。


「……あの……スミマセン……」


 支払いを済ませて振り向いたエルグレドに、篤樹は頭を下げる。エルグレドは微笑みながら首を横に振って応じた。


「まあ旅の出発記念という事で……私も上限をお伝えしませんでしたしね。それでもここのグレーブは、味と量のわりにとても安く済みましたよ。王都のグレーブ屋だと、店によっては1本で600ギンもしますからね」


 そっか……俺ってホントに「未熟で馬鹿でお子ちゃま」だ……何かをしてもらって「当然」のように思ってた。お金の事だって……父さんの給料や母さんのパート代がいくらなのかとか、生活のためにいくらかかってるのかとか、食事代とか、何も考えたことなんか無かった……。部活をやってるんだから、スパイク代や 遠征費えんせいひを出してもらうのも当たり前だと思ってたし……。だけど父さんも母さんも、さっきのエルグレドさんみたいに「苦笑しながら」色々とやり繰りを考えてくれてたんだろうなぁ……。でも「ギン」って「何円」なんだろう? その辺のレートも先生の魔法で 換算かんさんしてくれたら、分かりやすいんだけどなぁ……


「さあ、それじゃ少し足りないものを買い足して森に入りましょうか?」


 エルグレドの呼びかけで全員席を立った。



―――・―――・―――・―――



「あそこが 詰所つめしょですよ」


 店を出てしばらく歩くと、エルグレドが篤樹とエシャーに声をかけた。言われた方向を見ると、古ぼけたレンガ造りの大きな建物がある。通りに面した建物の出入口の横に、駐車場出入口のような大きな「穴」があった。馬車が出入をしている。


 そうか、あそこからビデルさんと馬車に乗って出て来たんだ……篤樹は詰所の外観を初めてしっかりと見た。4階建てのビルのような建物だったんだな……


 一行が「詰所」の前まで来ると、エルグレドは足を止める。


「アツキくん、エシャーさん、その荷物をこちらへ」


 荷物? 篤樹は手に持っている袋を、学生服が入ったままエルグレドに手渡す。エシャーの荷物って? 篤樹はエシャーを見る。エシャーは何となくモジモジしていた。


「……さあ、エシャーさん」


 エルグレドは優しく微笑みながら、しかし、絶対に従ってもらうという強い意志を表して手を伸ばす。エシャーは あきらめたように腰の辺りに巻いていた ひもを解くと、上着で隠れていた腰辺りから袋がズルッと落ちて来た。


「……持ってちゃ……ダメ?」


 エシャーはその袋を胸に抱きながらエルグレドに たずねる。


「大切なものだからこそ、ちゃんと管理をしておかないといけません。お母様の服を……いつまでもそうやって身に付けて持ち歩くのは賛同しかねます。さあ」


 別れを惜しみ、しばらく袋を抱きしめたエシャーは、何も言わずにエルグレドに袋を手渡す。


「私がちゃんとした場所に保管しておきますから、旅が終わるまでは預けておいて下さい。少々お待ちを……」


 そう言い残しエルグレドは2人の荷物を受け取ると、巡監隊詰所に向かって行った。


「隊長さんは、なんでもお見通しの魔法使いなのね」


 詰所の中に入っていくエルグレドの背中を見送りながら、レイラが2人に話しかける。なんて返事をすればいいんだろうかと2人は返答に迷った。


「私とは口を聞いてくれないのかしら? お2人さん」


「い、いや、そんなこと……」「……」


「お じょうさんはイヤなのね?」


 口ごもりながらも否定した篤樹にではなく、黙ってうつむいているエシャーに問いかける。エシャーはしばらく考えた後に口を開いた。


「……だって、あなたはエルフ族の『監視役』なんでしょ? 私たちを見張るための……」


「あらあら、そんな風にお嬢さんは思っていたのね。それじゃあ、お話しもしてくれないはずよね」


 レイラは特に気分を害したわけでもなく「困ったわね」とでもいうように肩をすくめた。


「さっきも言ったように、今回私が興味を持っているのは『守りの盾』だけよ。他はどうでもいいわ。でも、これからしばらくは一緒に行動する旅の仲間なんだから、お話しくらい出来る関係にはなりましょうよ」


 レイラはニッコリ微笑みながらエシャーに手を差し出す。うつむき加減のエシャーの目は、 警戒心けいかいしんかくすこと無くレイラを観察している。しかし、一応、おずおずと握手に応えようと手を差し出した。レイラはその手をギュッとつかみとる。


「よろしくねぇ、ルエルフのお嬢さん」


 半ば強引に、しっかり握手をされたエシャーは、すぐにでも手を引き戻したい様子だ。とても仲良くは見えない2人の握手を見て、篤樹は、とにかくこれからの旅の無事を願わずにはいられない。ちょうど詰所から戻って来たエルグレドはその光景を見ると、嬉しそうに語りかけて来た。


「おや? 女性陣はもうすっかり仲良しのようですね。さあ、行きましょうか!」



◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇ 



「……明日の朝、森の向こう側に巡監隊が、私たち用の馬車を運んでくれる手はずになっています。大きな荷物や道具はそちらで運んでもらっていますので、森を抜けるまでに必要な当面の準備だけをしましょう」


 エルグレドは歩きながら一行に予定を伝えると、時計を取り出し時間を確かめる。


「アツキくん、君は何か武器を扱えますか?」


 エルグレドの質問に、篤樹は一瞬何の質問をされたのかが分からなかった。


 今「武器」って言ったよな? 武器? 剣とか? 銃は……無いよね? どうせ使えないけど……


「あの……すみません。僕……『武器』とか使ったこと無くて……」


「アッキーがいた『世界』には戦いが無いって……ね?」


 エシャーが話しに割って入る。自分が知っている篤樹の説明をする時のエシャーはすごく楽しそうだ。


「『戦いの無い世界』なんてあるのかしら? 全ての生き物がエルフでない限り、有り得ないと思うわ」


 レイラも関心を示し会話に加わる。篤樹はあたふたと応えた。


「エシャー、そうじゃないって! 俺……僕のいた『世界』の全部じゃなくって、その中の僕の住んでた国……日本は何十年も戦争をしてない国だから、僕は戦争とか戦いとかは全然経験が無いってことで……」


 篤樹の説明にレイラが納得したように答える。


「あら、やっぱり『戦争』してるのね。世界が違っても人間がいれば必ず戦争は起こるものよ」


 エシャーは自分が出した「篤樹情報」を当の篤樹自身に否定されたことでムッとした様子だ。篤樹の腕をギュッと(服と共に表皮までも) つかまれる。


「『戦いは無いよ』って言った!」


「痛てて! ゴメン、言い方が悪かったかも!『僕の生まれた国では』ってこと!」


 エシャーは納得いかない顔で前を向く。


「そうですか」


 エルグレドはそのやりとりには構わず話を続ける。


「レイラさんは?」


「何かの冗談かしら?」


 レイラはその問いかけに、楽しそうに返事をした。エルグレドも当然というように微笑みうなずき、言葉を続ける。


「もちろん『武器』は不要でしょうね。かなりの法力をお持ちのようですから……専門は?」


「一応全てに通じていますわ。ま、攻撃魔法の中では『水系』が一番馴染んではいますけど」


 この2人の会話は、聞こえている言葉の裏に 物凄ものすごとがったものを感じるなぁ……篤樹は冷や冷やする。ある瞬間に 大喧嘩おおげんかになるじゃないか、と心配になってしまう。


「エシャーさんも……武器は不要ですよね?」


 エルグレドはエシャーにも声をかける。エシャーは篤樹の腕を にぎったまま答えた。


「古代魔法の他は……現代魔法も……少しだけ教わったけど……」


「あと『小人の 咆眼ほうがん』も使えますよね?」


 エルグレドが追加する。しかしエシャーは慌てて首を横に振る。


「あれは!……あの時のは、私も自分でよく分かっていなかったから……使えるなんて知らなかったし、使い方も分かりません……」


「あら?『小人の咆眼』も使えるの? 頼もしいお嬢さんね」


 レイラが口を はさむ。


「だから! 使えないんです!……無意識で使っちゃっただけで……」


「まあ、いつか使いこなせる素地はあるという事ですよ。さて……ということでアツキくん」


 エルグレドが話を元に戻す。


「君のいた『世界』は、 うらやましいほど平和な世界だったようですが……ここは違います。 かこいと守りのある町中まちなか以外は、常に危険があります。特に、さっきも言いましたが……先の『群れ化』で凶暴になったサーガが、まだあちこち 徘徊はいかいしているとの情報が入っています。基本的には私たちが君を守る形になりますが、最低限、自分の身を守る手段としてアツキくんも武器を 携帯けいたいしておいてもらいたいんです……もちろんサーガだけでなく、人間同士での争いだってありますからね」


 エルグレドさんやレイラさんは別としてエシャーからも「守られる存在」なんだなぁ……篤樹は今の自分の立場を段々と理解し、何となく情け無い気持ちになる。でも、魔法も使えないし戦いも知らないんだからしょうがない。今は 格好かっこうつけてる場合じゃないんだから……


「そこの 装備屋そうびやで手に合う武器を選んでいて下さい。その間に私は他の買出しを済ませてきますから。レイラさん、 見繕みつくろってあげて下さい」


 エルグレドはそう言い残すと通りを曲がって行ってしまった。3人の目の前にはいかにも「武器屋」っぽい外装の店が数軒並んでいる。


「すっかり子守役にされてたわけね……いいわ。じゃあ、隊長さんの御命令に従いましょうか?」


 レイラは「うんざり」というポーズをしながらも、2人を うながし一番手前の武器屋へ入っていった。

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