第27話 未来

「……けっ、けっ……こん……?」


 ハルモニアは、完全に固まってしまった。顔中が真っ赤になっている。いや、真っ赤なんていう表現では生ぬるい。全身の血が沸騰したかのように、湯気を立てているように見える。


 彼女の異常な反応に、レシオは自分の発言を思い返した。

 そして、頭を抱えた。


「ああああああああああああああああ~~~~~~~~~っ!!!!」


 絶叫を上げて座った状態でなお崩れ落ちるレシオ。髪の毛の隙間から見える肌の色は……、ハルモニアと同様である。

 しかし、勢いよく顔を上げると、恥ずかしさで倒れそうになっているハルモニアの両肩を掴み、言い訳をした。


「いっ、いや……な!! 違うんだ!! 俺、結婚とか言いたかったんじゃなくて、一緒にいる時間を長くしないとって、言おうとして……」


「あっ……、う……ん、そうよね……。こんなわっ、私と、結婚したいなんて……、絶対ないわ……ね」


「いっ、いやいやいやいやっ!! そうじゃなくてだなっ!! さっきのは、俺の願望が言葉に出てしまっただけでだな……」


「……がん……ぼう?」


「あああっ、もうっ!!! もういいっ!!! 煮るなり焼くなり、好きにしろっっ!!」


 収拾がつかなくなり、レシオは青い髪を掻きむしると、どうにでもなれとばかりに大の字になって寝ころんだ。

 そんな彼を、どう対応していいのか分からず、ハルモニアは取りあえず彼の言ったことを復唱した。


「……煮るなり……、やっ、焼くなり……、していいの?」


「すみません、ハルモニアさん。勢いで言っちゃいました。だから煮るのも焼くのも勘弁して下さい……」


 気が付くと、レシオは上体を起こし土下座をしていた。

 勢いで言ったのだが、彼女の場合本気にとってしまい、本当に煮るなり焼くなりされる恐れがあったからだ。次期魔王だ。それくらいは朝飯前だろう。


 レシオは何度か大きく深呼吸をすると、自分の失態に対して呆れたようにため息をついた。

 そんな彼を落ち着かせる為に、ハルモニアが心配そうに彼の背中をさする。温かく小さな手がレシオに触れると同時に、彼の気持ちも次第に落ち着きを取り戻していった。


「……前に俺がした好きな人の話、覚えてるか?」


「……うっ、うん」


 突然、過去に話した想い人について聞かれ、ハルモニアの手が止まった。レシオからは見せないが、その表情は苦しそうに歪んでいる。

 しかしレシオは気づかず、話を続けた。


「俺の好きな人は……、10年前この木に登って降りられなくなっていた少女だった。その少女を助けようとして俺は木から落ち、彼女の事、そして共に過ごした大切な記憶を失ってしまった。でも少女を助けた事とその少女への想いだけは、10年間失わずに残ってたんだ」


 聞き覚えのある話に、ハルモニアの顔から苦悶の表情が消えた。その時、背中に置いていた彼女の手を、レシオが掴んだ。そして彼の胸の前に持って来ると、もう片一方の手で、ハルモニアの手を優しく包み込んだ。


「ハルモニア、お前の事だよ。俺はずっとお前を探してたんだ」


 ハルモニアの顔は、相変わらず真っ赤だ。瞳は瞬きを忘れたかのように、見開かれた状態で止まっている。いつもなら恥ずかしさで、電光石火のごとく手を振り払ってレシオから距離を取っていただろう。しかし、握られた手は振り払われることなく、彼の手の中に納まっていた。


 その手の温もりが、彼女の中で眠り続けてきた強さを目覚めさせる。しばらくレシオの手を見つめていたハルモニアが、小さな声で語り出した。


「わっ、私の好きなひと……は……、10年前に出会った、幼馴染……なの。私を助ける為に、わっ、私を忘れてしまったけれど……、彼が言ってくれた言葉は……、ずっと私の宝物だった。ずっとずっと、また会いたいと思ってた」


 つっかえつっかえだった言葉が、次第に力を取り戻す。口調はハッキリし、彼女の言葉が、自由を取り戻した。

 ハルモニアは言葉を切ると、自由な手を彼の甲の上に乗せた。そして、ずっと10年間心の中に閉じ込めていた想いを、言葉にして解放した。


「レシオアーク、あなたのことよ。私はずっとあなたに会いたいと思ってた」


 次の瞬間、レシオはハルモニアを抱きしめていた。

 今まで忘れていた時間を埋めるかのように、ただ黙ってその小さな身体を抱きしめた。


 彼女の細い首元に顔を埋めると、微かに甘い香りがする。一緒に馬に乗った時、どこかで匂ったことがあるが思い出せなかった香りだ。幼い時の彼女から、同じ香りがいつもしていた事を思い出し、レシオは懐かしさに目を細めた。


 抱きしめたまま、赤く染まったハルモニアの耳元に、レシオは囁いた。


「もし……、もしお前が本来の姿でいられるようになったら、その時に改めて……結婚を申し込む。だから……、早く治せよ」


 レシオの頬に当たるハルモニアの肌が、妙に熱を帯び始めた。彼女の様子に異変を感じ、慌てて身体を離す。

 ハルモニアの顔が、再び沸騰して湯気を発生させそうになっていた。


「はっ、ハルモニアっ!! お前、大丈夫か!?」


「だっ、大丈夫……。なっ、なんとか……」


 レシオの言葉に正気を取り戻したハルモニアは、浅い呼吸を繰り返しながら、何とか答える。

 先ほど、告白しあった時は落ち着きが見られたのに、突然の急変。結婚というワードは、ハルモニアにはまだ刺激が強すぎるのかもしれない。


“次、プロポーズしたら……、ぶっ倒れるかもしれねえな、ハルモニア……”


 そんな事を思いながら、レシオは小さく笑った。彼が笑ったことで、ハルモニアの意識が結婚というワードから逸れたようだ。それによって気持ちも落ち着き、レシオの表情に注意を払う余裕まで出てきた。

 何を笑う事があるのかと頬を膨らませ、表情だけで非難の気持ちを伝える。


 それがまた、可愛らしい。


 彼がまた笑うので、ハルモニアは頬を膨らませるのを止めた。彼らしいと思い、レシオにつられて笑みを浮かべる。そして声を出して笑う代わりに、感謝の念を言葉に込めた。


「ありがとう、レシオ。今まで、未来に不安しかなかった。だけど……、あなたのその言葉で、少し未来が楽しみになったわ」


 異常なくらい恥ずかしがっていたが、彼の言葉自体はとても嬉しいものだったようだ。しかし感謝を述べられたのにも関わらずレシオの表情は、何だか浮かない。


「ふーん、少し……か」


 そう呟くと、レシオは何かを考えている。顎に手を当てて、視線を斜め上に向けながら時折唸っている。自分の発言の何が彼を考えさせているのか、不思議に思うハルモニア。


 ほどなくして、レシオは何かに納得した様子で一つ大きく頷くと、首を傾げてこちらを伺うハルモニアに、たくさんの提案を出した。


「じゃあ、明日は城を抜け出して町でメシでも食うか?」


「……えっ?」


「で、明後日は、弁当でももって馬で遠出しよう」


「……ええっ?」


「あ、その次の日は魔界に行ってもいいかな。面白い場所、あるか?」


「……えええっ?」


 次々と出される提案に、ハルモニアは間の抜けた声を上げる事しか出来ない。しかしレシオの提案は続く。


「春になったら祭りがあるから、それを一緒に見に行こう」


「おっ、お祭り……?」


「夏は……、やっぱり海だな! お約束は外せねえよな」


「お約束って……?」


「秋は、実りだ! 肉パしよう、肉パ!!」


「秋に肉パは、関係ないような……」


「冬は……」


「れっ、レシオ! ちょっと待って……」


 ずっと続くと思われたレシオの提案は、ハルの慌てた声で止められた。彼女には、レシオの意図が分かっていないようで、少し混乱した様子で彼を見ている。

 レシオはびしっと音が鳴りそうな勢いで、ハルモニアの鼻先に指を突きつけた。


「未来が『少し』楽しみって何だよ、少しって!」


「ええ~~~……」


 あれだけ将来に不安を持っていた自分が、少しでも前向きになった事を褒めて欲しい。そんな気持ちが、ハルモニアの言葉から伝わって来る。

 しかしレシオにとっては、まだまだそんなのじゃ足りないらしい。


「今まで散々、未来に対して不安を持ってきたんだから、それを取り戻してお釣りが来るくらい、これから楽しい事たくさん考えないとな」


「……楽しい事?」


「そうだ」


 ハルモニアの問いに、レシオは力強く頷いた。


 もし自分が記憶を失っていなければ……という考えは、もうしない。考えるだけ時間の無駄だ。ハルモニアにはたくさん心配をかけ、いらぬ不安を抱え込ませてしまったが、大切なのはこれからどうするか。


 その答えは、レシオの中で決まっていた。


「だから俺と一緒に、色んな所に行って、色んなものを見よう。たくさん話して、同じ時間を過ごそう。少しなんてもんじゃない。未来が、わくわくして楽しみで堪らなくなるような、そんな約束を今からたくさんしよう」


 今まで感じていた不安以上に、楽しくなるような未来をたくさん約束すること。

 その約束を、今度は忘れずにちゃんと果たす事。


 それが彼女に対してできる、これからの行動。


 ハルモニアは、瞼を閉じると小さく頷いた。彼の言葉を噛みしめるように、何度も何度も頷く。そして瞳を開き、満面の笑みでレシオの言葉に答えた。

 辺りの景色も一瞬で霞んでしまう圧倒的な美しさに、レシオの五感が全て奪われる。しかしすぐに我に返ると、ハルモニアの笑顔に全ての感覚を奪われた事を隠すように、少し恥ずかしそうに笑った。


 レシオはハルモニアの手を取ると、ゆっくりと立ち上がった。そして、自分を映す澄んだ青い瞳を真っすぐ見つめながら、言葉を紡ぐ。


 この手の温もりが、これから先もずっと共にある事を祈って。



「さあ、未来の話をしよう」


 


//未来の話をしよう おわり//

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