第19話 記憶

「……これは、どういうですか、ハル」


 ハルを問い詰めるレシオの表情に、今まであった優しさや気遣いは全く見られない。大きめの瞳を細め、睨むかのように青髪の少年に鋭い視線を向けている。

 まるで、敵を目の前にしているかのように。


 先ほどまで敵だと思っていたユニが、親しそうにハルに話しかけたのだ。その口調から、ハルが魔族と親しい関係である事は安易に想像出来た。となると、『道』の件や魔界に詳しい事も、納得がいく。


 しかし魔族と繋がりを持つ事は伏せられ、レシオたちには伝えられていなかった。その事実が、彼の不信感を抱かせる要因となるのも仕方がなかった。


 敵意を込めた視線を向けられ、ハルは気まずそうに視線を逸らした。その表情には、気まずさ以外に苦しんでいる気持ちが現れていた。しかし、レシオは容赦なく畳みかける。


「……あなたは、一体何者なのですか、ハル!」


「……本当に覚えていないんだな、君は」


 激しい追及に、ハルは苦しそうに呟いた。そして唇をきつく結び、眉根に皺を寄せると、何かを考えるかのように瞼を閉じる。

 ハルの言葉に、レシオの追及が止まった。


"覚えていない……? どういうことだ……。俺たちは、過去に会ったことがあるのか?"


 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。みぞおち辺りが締め付けられ、息がしにくい。

 緊張と驚きによる身体の変化を感じながら、レシオは必死に過去の記憶を探った。しかしどうしても、過去の記憶にハルはいない。


 理由なき不安を感じ、レシオは無意識に胸元を掴んだ。ハルは表情を戻すと、言葉なく混乱している王子に対して謝罪をした。


「本当にすまなかった。今回の件は、全て僕が君の父君にお願いした事だ」


「……それは、父が俺たち……いや、俺に、ミディ伯母さんを魔界から連れ戻してこいと命令したことか!?」


 胸元を抑えながら、レシオは険しい顔つきで睨んだ。その表情に、ハルは少し怯んだが、息を整えると首を横に振った。


「その辺の理由は、君の父君が考えたことだから僕の与り知るところではない。僕がお願いしたのは……、君と行動を共にしたいという事だけだ」


「何故だ!」


「思い出して欲しかったから」


 ハルの回答には、全く間がなかった。その目的は、ずっと彼の心の中に強くあり続けたのだろう。だからこそ、尋ねられても即答出来たのだ。


 レシオは何も言えなかった。自分にはハルとの記憶が全くない。それなのに、相手は自分を知っていて思い出せというのだ。

 戸惑わないわけがない。


 そんな彼を安心させようと、ハルは少し表情を緩めた。ただ笑ったつもりだったが笑いきれず、不自然な表情を作っただけだった。


「……10年前。短い間だったが、一緒に過ごした事を思い出して欲しかった。もしかすると行動を共にすれば、何か思いだしてくれるかもしれないと期待していた。本当にすまなかった。皆を、僕の我儘に付き合わせてしまって……」


「謝罪なんていい!! 俺には……、ハルと一緒に過ごした記憶はないぞ!! あんたの勘違いじゃないのか!?」


「……勘違いのほうが救われたよ、僕もね」


 ハルは寂しそうに笑った。

 どうしてもハルの言葉に納得できないレシオは、ハラハラしながら二人の会話を黙って聞いていたティンバーの肩を掴んだ。


「お前はどうなんだ? 10年前、ハルと会った記憶はあるのか!?」


 突然肩を掴まれ、会話を振られたティンバーは、ビクッと身体を震わせた。肩を掴む力の強さから、兄がどれだけ混乱し戸惑っているのを感じる。自分までパニックに陥ってしまうと収拾がつかなくなる、そう思ったティンバーは心を落ち着かせながら、兄をさらなる混乱に陥らせぬよう言葉を選んで口を開いた。


「多分……、私もハルとお会いしたことはないと思うのです。ただ10年前ともなると、私も4歳ぐらいですし……、その……、お会いしていたとしても覚えているかどうか……」


 記憶はないが、それは確かではないとティンバーは自信なさげに答えた。しかしその回答はすぐさまハルから得られた。


「確かその時ティンバーは、武術の稽古でエルザ城から離れていたはずだ。だから僕とティンバーとの間に面識がないのは当然だ」


「……武術の稽古? ……ああっ!」


 ハルの説明に、少し考えていたティンバーだったが、すぐさま声を上げると手を打った。


「そうそう、10年前にそういう事があったのですっ! 山登りが、めちゃくっちゃきつかったのを覚えているのです!! 4歳児に山登りをさせるなんて、鬼かと思ったのですっ!!」


 話しているうちに記憶が鮮明になってきたのだろう。その当時に抱いた感想まで思い出し、口にするティンバー。4歳という幼い時期の出来事ではあるが、印象強いイベントだった為、記憶に残っていたのだ。

 しかし、


「何だそれ……。俺は知らないぞ?」


 再び自分の知らない過去が発覚し、レシオは掠れた声で呟いた。兄の言葉に、今度はティンバーが驚く番だった。

 ごそごそと服のポケットを探ると、使い古されたお守りを取り出し、兄に差し出した。


「お兄様、覚えていらっしゃらないのですか? 私、ちゃんとお兄様に行ってきますって言ったのですよ? そしたらお兄様は、『無事帰って来いよー。あの稽古は超きついぞー』って言って、この手作りのお守りをくれたのですよ?」


 レシオは黙って、古びたお守りを手に取った。

 人差し指よりも少し小さい、赤いお守り。それは布の四方を糊で止められ、真ん中に汚い字で『おまもり』と書かれている。

 しかしこの汚い字は紛れもなく、レシオの字。


 妹の稽古合宿の話、そして兄手製のお守り。それらの情報を聞いてもなお、レシオに思い当たる記憶はなかった。手製のお守りを渡しているくらいなのだ。何か印象に残ることはあってもよさそうなのに。


 悪寒が走った。両手には、暑い季節でもないのにびっしょりと汗をかいている。自分の知らないところで何かがあった。でもそれを自分は覚えていない。

 その事実が、彼を震撼させた。


 そんな彼を気の毒そうに見つめながら、ハルは口を開いた。


「10年前、僕は父と母に連れられてエルザ城に行き、エルザ王から君を紹介された。その時、君は僕の母であるミディ伯母さんと会っているんだ。……だから、母の生存を無条件で信じることが出来たのかもしれない」


 ハルは懐かしそうに目を細め、その口元には自然と笑みが浮かんだ。その思い出が、とても楽しいものだということが、言葉がなくとも皆に伝わる。ハルの言葉に驚くレシオを除いて。


「まさかあんたはファズと同じで……、ミディ伯母さんの息子なのか!?俺たちの、いとこになるのか!?」


「僕は、息子じゃないよ。……昔の君は、すぐに気づいてくれたんだが」


 ハルは黙って首を横に振る。

 そして、自分が何者かを口にした。


「僕は……、魔王ジェネラルと魔王妃ミディローズの娘だ」

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