第17話 少年

 声のした方向を目指し二人がたどり着いたのは、城の地下にある広い部屋だった。物置の部屋なのだろう。多くはないが、壁に沿って木箱や樽などが並べられている。

 叫び声は小さく、短い時間しか聞こえなかったが、この場所を見つけられたのは運が良かったとしか言いようがなかった。


 そこで二人が目にしたのは、


「うわああああ―――ん! 猫ちゃん、駄目だよ! バレちゃうよー!」


 そう言って泣きそうになりながら、あたふたしている黒髪の少年の姿だった。歳は5歳ぐらいだろうか。ふわふわっとした黒い髪は少年らしく短く整えられ、ぱっちり二重の大きな青い瞳が印象的だ。幼児らしく、頬には思わずプニプニしたくなる柔らかなお肉がついている。幼いながらも、これからが楽しみな少年であり、多少感性が独特な方であれば、今でも十分お楽しみ頂ける容貌だ。


 だが二人には、少年の容貌をじっくり見る余裕はなかった。目の前にいるもの、そして少年の言葉に意識が向けられていたからだ。


「……猫……ちゃん? あれが?」


 ティンバーが呆然と口を開いている。

 少年がわたわたとその存在を隠そうとしているのは、彼の身体の2倍はありそうな獣だった。ピンと立った耳、長いしっぽ、つりあがった大きな瞳。四足で歩くそれは、確かに猫といえば猫のようにも見えるのだが……、


「……私の知ってる猫ちゃんと違うのです」


「そうだな……。そもそも猫には角生えてないしな」


 猫と呼ばれた獣の額には、鋭い角が生えていたのだ。さらに言うなら、しっぽは2本生えており、ゆらゆらと揺れている。時折何かに尻尾がぶつかり、ぶつかった物が大きな音を立てて地面に叩き付けられるのが見えた。危険すぎる。


 猫でありながら、猫でないもの。

 そいつは少年の制止も聞かず、のっしのっしと闊歩し、腹でもすいたのか鳴き声を上げた。


 咆哮とも呼べる大きな音に、この場にいた3人が耳をふさぐ。


「……やっぱり、私の知ってる猫ちゃんと違うのです」


「そうだな……。そもそも猫はギャオオオオッス!! なんて鳴かないもんな」


 あれは、自分たちの知っている猫ではない。兄妹の意見が一致した。

 しかし、いつまでも猫モドキを見ているわけにはいかない。獣の足元には、幼い子どもがいるのだ。


 レシオは少年の救出を最優先に考え、まず彼に近づこうと身体を動かした。しかしレシオの動きに反応し、動く物に向かっていくという本能に従い、猫モドキが飛びかかって来た。


「うわっと!!」


 レシオは思わず声を上げ、何とか猫モドキの突撃をかわした。猫モドキの動きで、少年は初めてレシオたちに気づいたようだ。焦った表情で兄妹に声を掛ける。


「お兄ちゃんたち、誰!? そこにいたら、あぶないよ!」


「いや、危ないのはお前だろっ! 早くあの猫モドキから離れろ!」


 少年の言葉に、レシオは思わず怒鳴りつけてしまった。危険な場面の為、言葉遣いまで気が回らず、本来の乱暴な口調になっている。少年の身体が彼の大声に反応してびくっとなり、表情が歪んで少し泣きそうな顔になった。

 しかし何を思ったのか、泣くのをぐっとこらえると、レシオに負けないくらい大声で言い返した。


「あの子は、危なくないんだよ! 大人しくてとってもいい子なんだよ!」


「……おい、お前。今、そこにいたらあぶないって言っただろ……。大人しくていい子が、あぶないことするわけねえよな?」


「うううっ……」


 自分の発言の矛盾を突っ込まれ、少年は完全に涙目になった。突っ込むレシオの顔も、睨みの利いた怖い顔になっているのも原因の一つだろう。

 彼らの様子を見かねたティンバーが間に入った。


「お兄様っ! ちっちゃい子を泣かしちゃ駄目なのですっ! 顔が超怖いのですっ!」


「うー……、ありがとう、おねえちゃん!」


 突然現れた救世主に、少年の目が輝いた。目元をぐしぐし服の袖で拭くと、ティンバーの後姿を見つめながらお礼を口にした。少し舌足らずな可愛らしい声、そして改めて見た彼の容貌が、ティンバーのツボに入った。


「きゃ――――――っ!! 可愛すぎるのですっ!!」


 次の瞬間、少年の身体はティンバーによって、がっちり捕えられた。本人は抱きしめているつもりだろうが、傍から見たら捕獲されているという表現の方がぴったりだ。

 そして彼の言葉を思い返し、たまらんっという様子で身もだえしている。そして、目元を緩めに緩めながら兄に提案をした。


「お兄様っ! 初めてお姉ちゃんって呼んでもらえたのですっ! めちゃくちゃ可愛いのですっ! この子、エルザ城に連れて帰るのです!! 城のマスコットにするのですっ!!」


「まっ、マスコットって……お前、何言ってんだ!!」


「大丈夫なのですっ! お父様はちょっと抜けてますから、兄弟が一人や二人増えてても分からないのですっ!」


「分かるわっ!! さすがの親父も、家族が増えたら気づくわ!!! そして、お前がどれだけ親父を舐めているかも分かったわ!!」


 間髪入れずに、妹の迷言に突っ込みをいれるレシオ。

 そして常軌を逸した妹に向かって、一発蹴りを入れた。突然の兄の攻撃に、ティンバーは少年をホールドしていた手を思わず放してしまう。しまったという表情を浮かべるティンバー。しかしその隙を見逃さず、レシオは少年の手を引っ張ると、自分の後ろに隠した。


 ティンバーが少年と取り戻そうと動こうとした瞬間、存在を忘れられつつあった猫モドキが二人に向かって突進してきた。慌てて突進をかわしたが、猫モドキはすぐに体制を整えると、レシオに向かって飛びかかり、猫パンチを繰り出してきた。何とかぎりぎりのところで避けたが、彼が背にしていた木箱が猫パンチによって粉々に吹き飛んだ。


 破壊力の強さに、レシオは心の中でヒーと声を上げた。


「ティンバー! あの猫モドキを狩るぞ! 援護してくれ!」


「了解なのですっ!」


 ティンバーは兄の要請に答え、飛びかかろうとチャンスを伺って背を低くしている猫モドキの前に立つと拳を握った。金属入りの皮手袋が、ギューっと音を鳴らす。

 猫モドキが飛びかかって来た瞬間、奴の下に潜り込み、その顎に強烈な一撃をお見舞いしようと考えていたのだ。しかし、


「お姉ちゃん、お願い、やめて! あの子に痛い事しないでっ!!」


 レシオの後ろに隠されていた少年が、ティンバーに抱き着いた。次の瞬間、ティンバーの表情が緩みに緩みまくった。そしてコロッと態度を一変し、剣を抜くレシオに向かって非難の言葉を浴びせた。


「そうなのですっ! あんなかわいい猫ちゃんに剣を向けるなんて、お兄様は酷すぎるのですっ!」


「……おい、さっきあの可愛い猫ちゃんが、パンチ一撃であの木箱を粉砕していたのを、見てなかったとは言わせねえぞ……?」


「……お兄ちゃん、ごめんなさい」


「……お兄様、ごめんなさい」


 レシオの只ならぬ睨みに、2人は一瞬で怯み謝った。分かってくれたならよしと、レシオは目の前の猫モドキに視線を向ける。


 猫モドキも飛びかかる体制を整え、相手の隙を狙っているのが分かる。どちらが先に動くのか。緊張がこの空間を支配した。


 その時、


「我が魔力を以て、下等なる獣を眠りの闇へと誘わん」


 この部屋にいない人物の声が響き渡った。声と共に、猫モドキの身体に淡い光がまとわりつく。それはクルクルと猫モドキの身体をまわると、猫モドキの様子に変化が表れた。


 突然その身体を横たえると、目を閉じて眠ってしまったのだ。猫モドキの身体が床につくのと同時に、その周りをまわっていた淡い光は音もなく消滅した。


 その表情は、角がついているとはいえ、


「……完全に猫だな」


「可愛いのですっ」


 丸くなって眠る巨大猫の寝顔を見ながら、二人は感想を述べた。目を瞑り、ひげをぴくぴく耳をぴくぴくして眠る姿は、デカいが可愛い。


 部屋に響く第4の人物の足音に、2人はそちらに視線を向けた。


 そこには先ほど廊下で遭遇した、侍女姿の少女が立っていたのだ。その瞳は虹色に輝いていたが、ほどなくして出会った時の茶色に戻った。少し厳しそうな表情で、さらに両手を腰に当てて仁王立ちしている。


「ファズ様。これは一体どういうことでしょうか?」


「ゆっ……、ユニ……」


「これは一体、ど・う・い・う・こ・と・でしょうか!?」


 ユニが怒りに満ちた視線を向け問い詰める相手は、黒髪の少年――ファズだった。ファズは恐怖に顔をこわばらせ、ユニを見ている。彼の表情から、ユニの怒りを相当恐れているのが感じられた。


 しかし、このまま黙っていても状況を悪化させるだけだと観念したファズは、うつむき加減で事情を説明しだした。


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