第25話 少女3

 少女の変貌に、二人は後ずさった。


 自分から距離を置こうとしているのを感じた瞬間、コーラスの瞳が見開かれた。

 二人を追うように小さな手を伸ばすと、少女とは思えない声で咆えた。


「ずっとここにいて! ずっとずっとずっとずっとずっと!! わたしの側にいてぇ―――!!」


 叫びに反応して、少女の身体から黒い影が立ち上り、ミディとジェネラルに襲い掛かった。


 ミディは反射的に側に置いてあった剣を手に取ると、力任せに切りつけた。

 まともに食らえば、巨漢ですらまともに立っていられない強力な一撃。しかし、まるで彼女をあざ笑うかのように影は二つに割れ、ミディの剣を避けて通り過ぎていく。


 予想外の動きにミディの手が一瞬止まった。

 その隙を突くように、二つに分かれた影が一つに戻り、物凄いスピードでミディに襲い掛かった。


「ミディ、あぶない!!」


 後ろから襲い掛かろうとしていた影に気づき、ジェネラルが叫びと共にミディに飛び掛った。


 二つの身体が音を立てて床に倒れこむと同時に、ミディが先ほどまでいた場所を影が通り過ぎていった。あのまま立っていれば、間違いなく襲われていただろう。襲われたらどうなるかは不明だが、無事で済まない事は確かだ。


 危機を脱し、ほっとしたのも束の間、


「ミディ、どうしたの!?」


「右腕が……、動かない……」


「右腕が!?」


 視線の先には、右腕を押さえて美しい顔を歪めているミディの姿があった。


 懸命に右腕を動かそうとしているようだが、そのたびに苦しそうな表情を浮かべている。間一髪、助けられたミディだったが、避けきれず、右腕を影が通り過ぎていったのだ。


 影が触った右腕は長時間冷水に浸していたかのように痺れ、何も感覚がない。しかし無理に動かそうとすると、腕から指先までに激痛が走った。この状態で剣を持つ事など出来ない。


 動く事もままならないミディを見て、コーラスは唇を上に引き上げ、歯を剥き出しにして笑っていた。


 そこにはもはや子供としての愛らしさは感じられず、暖炉の光と少女が発する影が交じり合い、不気味さを強調していた。


 再び少女の体から黒い影が立ち上り、二人にめがけて放たれる。


“いけない、ミディが!!”


 少年の左手が熱を帯びる。

 力の高まりを感じ、ジェネラルはミディと影の間に割って入ると影に向かって左手をかざした。


 魔王の証――アディズの瞳が一筋の光を放ち、構成された魔法の壁が二人と影の間に現れた。

 影は突如現れた障害にぶつかると霧散し、跡形もなく消え去った。


 力の前に無力だった二人の防衛に、コーラスの動きが止まった。


 少女の表情には戸惑いが見える。

 もし二人によく見る余裕があれば、少女の瞳にの影を消滅させた、ジェネラルの未知なる力に対する恐怖が隠れているのが分かっただろう。 


 コーラスが見せた隙を、ミディは見逃さなかった。


 動かない右腕の変わりに左手を天にかざすと、威厳に満ちた声で大いなる力を持つ者への願いを口にした。


「ステータスよ! 立ち尽くす者たちに、聖なる恵みを!」 

 

 四大精霊――水を司るステータスの力が、雨となって部屋に降り注いだ。穢れを清める聖水の雨が、コーラスの力に犯されたミディの腕を癒していく。


 変化があったのは、ミディだけではなかった。


「いやぁ……、苦しい……、苦しいよう……」


 雨に打たれながらコーラスが苦痛に顔をゆがめ、胸元を押さえていた。

 とうとう苦しみに耐えかねたのか、小さな体が地面に蹲る。


 よく見れば分かるだろう。

 少女の体を伝う聖水が、微かに濁っている事が。


 コーラスが纏っていた穢れを洗い流したのだ。

 役目を終えた聖なる雨は止み、身体を清めた聖水も見る見るうちに乾いていった。


 全ての穢れが洗い流され偽りの肉体が清められた今、少女の姿はぼやけ、うっすらと後ろの壁が透けて見る。


 それを見、ミディはその言葉を口にする事に苦痛を感じているかのように表情をゆがめ、口を開いた。


「この子は……、『この世』の人間じゃないのね……」


「……うん。この子は本来、この世界にいるべきじゃない。『死者の世界』へ旅立つ魂なんだ」


 コーラスが本来の姿に戻った今、少女と『死者の世界』の繋がりが、ジェネラルにははっきりと感じられた。


 どうして今まで気がつかなかったのか、不思議なくらいだ。

 目の前の小さな少女は、この世の人間ではなかったのだ。


「コーラス……、お父さんとお母さんは?」


 自分の身体を抱きしめながら泣き続ける少女に、ミディは優しく尋ねた。


 少女はゆっくりと顔を上げると、小さな声で答えた。

 その表情には、先ほどまでの禍々しさは微塵も感じられない。


「しんじゃったの……」


 そう言うと、コーラスは自分のつま先を視線を落とした。


 見る見るうちに、少女の瞳に涙があふれ出てくる。


「ずっと、ひっ、一人で、さみしかったの。だから……、おねえちゃんたちに、ずっと一緒にいて欲しかったの……。おとうさんと、おかあさんと同じように、いっしょにいて、ほっ、欲しかったの……」


 時折しゃくり上げながら、コーラスは一生懸命言葉をつむいでいた。瞳に溜まった涙が重さに耐えられず、白い頬を伝って流れていく。 


 独り残され、寂しいという思いが、この少女をこのような悲しい形で縛り付けてしまったのだ。


 いつから彼女は独りだったのだろうか。


 だが、少女の望み――少女と共にいることは叶えることは出来ない。かと言ってコーラスの孤独を癒さなければ、ずっと現世に縛り付けられたままになる。


 時が経てば、まだ魂が穢れ生者を襲う心配もあるが、こんな小さな少女が孤独を抱えたまま現世を彷徨っている事実が耐えられない。


 ミディは使える魔法で、何が出来るかを必死で考えていた。

 しかし穢れは浄化出来ても、彷徨う魂をあるべき場所に還す方法が、見つからない。


“・……何も……、してあげられないの?”


 こみ上げてくる熱いものを必死で堪えながら、ミディは強く両手を握った。

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