STORIA 63
炊飯器の保温された白米を一人前だけ杓文字で掬う。
水分を含む鍋へと移し、雑炊の素を加えてゆっくりと時間をかけて柔らかく煮込む。
詳しい作り方は分からなかったけれど、僕は母親の姿を想い出していた。
幼少期、熱風邪を牽く度に、彼女が手間暇かけて粥を拵えてくれたことを。
程よく水気と馴染んだ白米を器に盛ると、八尋さんが横たわるリビングのソファーへと目を遣った。
だが、そこに在るべき筈の彼の姿がない。
不意に水音のする方向へと引き寄せられ、視界が捉えた者は深く腰を屈めて、流し台の正面に佇む八尋さんの姿だった。
「八尋さん。今はまだ横になって、休んでいて下さい。無理は良くないですよ」
僕が後方に控えているとは想いもしなかったのか、彼は矢庭に驚いた様な表情を見せる。
自身の体で何かを隠して、こちらに曝すまいとしている風にも取れた。
八尋さんはリビングの傍らで、心配をかけて済まなかったと一言詫びた後、食卓に置かれた白粥に眼を移し、最後に一つだけ我が儘を押し付けてもいいかと僕の顔色を窺い零す。
「すまんが、料理を奥の寝室まで運んでくれんか」
やけに広い、その空間には素朴な木製の二台のベッドが置かれている他は目立った物などなくて、眠りに就く為だけに用意された室内といった感じだ。
二つのベッドの間には、照明器具等を乗せるのに丁度良さそうな小振りのサイドテーブルが置かれている。
枕元の幅狭のカウンターで穏やかな表情を見せる女性の写真に、僕は視線を落とした。
非現実的な界層で微笑む彼女を敢えて問わずとも、この心が理解している。
頼りない二本の両腕で自身の身体を支えながら、ベッド脇に腰を降ろす白髪混じりの男性が最も必要としている存在が彼女なのだろう。
人は不安に駆られると、無意識の内に最愛の対象を求めてしまうことがある。
例えば、己の死期を悟った人間だとか。
別に、彼がそういう状態に陥っているなどと言いたい訳じゃない。
「病院には行かれたのですか?」
僕は手にしている膳を寝台脇の机上へと載せた後、衰弱し切った男性と視線を重ねた。
「その必要はない。この腰痛とは長い付き合いでな。時に全身を蝕むこともあるが都度、向き合っていくしかないと想ってる」
彼が少し不慣れな手付きで卓子を手繰り寄せ、口元に食を運んでいるのは、椅子代わりにしている臥榻の座面が高いからだ。
蔓延る様な予感が、僕には纏わり付いている。
表向きは平静を装っていても、僕や都に心配事を背負わせたくないと気丈に振る舞っているだけなのかも知れない。
少なからずも期待を抱いていたはずの釧路での滞在だと確信していたのに、水面下で何かが支配しようと蠢いている様に感じてしまうのは何故だろう。
「健康診断は定期的に受診されているのですか。受けて、損はないはずですよ」
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