第三章/聖域

STORIA 34

彼が、釧路での滞在のために用意した必需品は、僕の物よりも遥かに多い。

何がそれほどまでに必要なのだろうかと想わせるくらいに、複数の物を持参している様にも見えた。

僕はと言えば、貴重品等が入った軽量の鞄と、旅行用の大型ボストンバッグを合わせての二つだけだ。

これを少ないと捉えるのかは、人によって異なるだろう。

衣服に関しては、中衣なら二、三枚あれば洗い替えで充分に賄えるし、上着は一つあれば問題はないと想っている。

後は最低限、必要な物が揃っていれば事足りるはずだ。

襟元の毛皮を軽く弄ぶ風が、首筋へと入り込み、その冷たさに想わず肩を竦める。





「まるで、聖域だな」

感情にまかせて言葉が零れ落ちるほど、この眼は映し出された光景に陶酔していた。

都は滑走路周辺を積雪に覆われた中で、寒さに躊躇う姿も見せずに、最初の一枚を撮り収める。

″聖域″それは、この地に最も相応しい言葉かも知れない。

触れてはいけないような、近寄りがたい雰囲気を放つ地上の佇まいを目前に、僕は魅せられて一歩を踏み出していた。

だけど、美しさと供にある物は過酷な寒さだ。

地に爪先を沈める度に、身体は容赦なく冷気に呑まれていく。

積雪の多いところにでも足を運べば、その中低から這い上がることも難しく感じるのだろう。

雪慣れをしていない僕は、門前で躓いてしまっている。

恋しくなるほど、待ち望んでいた世界に怖じ気づいてしまっている。

言えば、そんなところだ。

「黎。歩くだけで戸惑っているようでは、先に行けないぞ。まあ、その内に慣れるだろうけど。東京で話した通り、ここで待っていれば、伯父が車で迎えに来てくれるから」

悠長に語る都は、随分と足軽だ。

沢山の荷物を抱えているにも拘わらず、雪景色の中で短い距離を往来している。

幼い頃に釧路を何度か尋ねた経験を持つ都でも、僕と変わらない都心育ちの彼が、北国に順応しきっているようには想えなかったけれど。

育ち盛りに植え付けられた感覚的な術は、成人しても失われずに残っている物なのだろうか。

待ち時間を持てあましていた都が、何かに気付き、上空を見上げた。

「黎。見ろよ。さっきまでは、降っていなかったのに」

「あ……、雪」




仰いだ先にある雪雲が、彼方から降り始めの繊細な形を描く、結晶体を連れてくる。

天を離れた小さな粒が、間もなく僕達の元へと辿り着こうとする瞬間から、眼を逸らせずにいる。

カメラの減速再生のように、白昼光を纏いながら舞い降りてくる様子は、幻想的という言葉の他にはない。

この身体に触れたなら、儚くも砕け散ってしまうことだろう。

まるで、夢事のように。

それでも、虚空から届く贈り物に、僕は手を差し出さずにはいられない。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る