STORIA 29

腰を屈めて車内に乗り込むと、母の気遣いによるものなのか、空調の暖かさが全身を包み込んだ。

母も運転席に座り、インパネに設置されたプッシュボタンでエンジンをかける。

僕もいつか、彼女が所持する新型車の様に、自分専用の車を購入出来たらと想っている。

「釧路かあ……。改めて考えると、遠いわね。怪我や、事故には気を付けるのよ。何かあったら、いつでも戻って来ていいからね」

「子供じゃないんだから」

僕は軽く受け流してみたけれど、母の想いは深く身に沁みる。

急な旅計画に賛成をし、心良く送り出してくれたとはいえ、伝う言葉から彼女の真意が読み取れる様で、僕は少しばかりの申し訳ない気持ちになってしまった。

四十分程が経過し、羽田空港構内へと入った僕達の車は運転速度を落とし、走行する。

母は道路案内に注意を払いながら、周囲を見渡していた。

「都君とは、どこで待ち合わせしているの?」

「ANAの国内線を利用するから、第二ターミナルの二階のロビーで待ち合わせてるよ。時計台のところ」

都と事前に話し合った約束場所を母に伝えると、彼女はハンドルを握ったまま、第二の旅客ターミナルに直結する大駐車場へと車を走らせる。

僕の携帯には、一件の着信が入っていた。

慌てて折り返すと、都の声が耳元に届く。

「都、ごめん。携帯、マナーモードにしててさ。今、空港に着いたから。数分で行けると想う。うん。じゃあ」

駐車場に車を停めて、都の待つ二階の時計台へと急いだ。

ロビーではトロリーケースを片手に、複数の人が行き来している。

母は時計台を見上げながら、少し不安げに僕の袖口を引っ張った。

「黎。時計台って、いくつもあるわよ」

「ああ。都が待ち合わせに指定してきたのは、三番の時計台だよ。ほら、あの先の」




自身の立ち位置からは視認することの難しいロビーの奥方向を、僕は指差して見せた。

沢山の人間が腰を降ろす待合い座席の横を、足速に歩く。

辿り着いた先には電話での言葉通り、赤いキャリーケースを片手に僕達を待つ都の姿があった。

彼からの話によれば随分とはやくにロビーに到着していた様だったけれど、待ち疲れている様子もなく、寧ろ旅立ちを控えた表情は喜びで満たされている。

よほど、釧路を目指すことが嬉しくて仕方がないのだろう。

けれど、僕も同じだ。

不安を抱く反面で、期待に溢れる感情が総身を浮き足立たせてもいるんだ。




「都君、久しぶりね。元気にしてるの?」

「おばさん、ご無沙汰しています。勿論、元気ですよ」

母と都の対顔は、しばらく振りだ。

彼女にとって都の姿を見ることは、彼が高校在学中の頃以来になるだろう。

家族ぐるみで親しくしていた息子の幼馴染みの少し成長した現実を目にしてか、母は満足そうだ。








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