第五章/意思と意志
STORIA 67
あなたの選択に不満があるんだ。
余りにも勝手過ぎる感情に、僕は自分自身に嫌気が差した。
じゃあ、一体母にどんな接し方をして貰えば納得が行くというのか。
だけど彼女の取る態度は明らかに僕が望む物とは違う。
あなたが口を閉ざすという事は、僕を認めてくれた事にも、心を許した事にもならないのだから。
満たされない感情を強化させているだけだ。
時を重ねる毎に慣れという物は本当に怖い物だという事を想い知った。
職を失ってから早い物で数ヶ月が経とうとしている。
最近、母を自宅で見掛ける事はなくなっていた。
彼女はある時刻が訪れると忙しく仕度に取り掛かり、鏡に張り付くと化粧を始める。
そして閑かに姿を消す。
何か目的があって出掛けている様子だったけれど、僕にはそれが何であるのか微かに気付き始めていたんだ。
そして、彼女が僕に構わなくなった理由と一致する事も。
僕は不規則な生活を繰り返していた。
規則に縛られるという事とは無縁の日常は、却って苦悩を生み出す事もあった。
こんな生活を続けていると、辛さに耐え忍びつつも夢中で幾つもの仕事を頑張っていた頃の自分が別人の様に想える事もある。
あれは本当に僕だったのだろうか……。
信じられない様な情けない状態の泥沼に嵌ってしまった僕は、楽さを知り這い上がる事の難しさを深く、本当に深く味わっていたんだ。
怖かった。
このまま起ち上がろうとする想いが生まれて来なかったらと感じる度に、心が悲鳴を上げている。
どうすればいいのかも分からなくて、行き詰まる度に心を閉ざしていた。
何も考えたくはない。
今まで通り受け身で居れば僕はきっともっと楽になれる、そう強く自分に言い聞かせていたんだ。
僕が自宅を離れる時と言えば画材を抱えて外へ描きに行く時と、後は近くのコンビニや本屋に向かう事位の物だった。
僕は描く気の失せた指先に強引に筆を握らせ、作品を仕上げ様と踏み切る事が多くなっていた。
どうやら僕の躰から描くという事は切り離せない様で。
外では勿論、母の様に僕が絵を描く事を咎める者は居ない。
けれど自由に描ける環境に居る筈のその指先は、自信なさげに用紙の表を染めていた。
目的もなく、ふらりと立ち寄る本屋やショップに客として扱われる時には本当に楽で、僕の心が苦に追い遣られる事もなかった。
当然の事だけれど今、この躰を取り囲む世界で僕の欠点を指摘する人は誰一人居ず、何かを必要とし店に向かう客である僕に皆、優しい笑顔を投げ掛けてくれる。
何度も足を運べば彼等にとって、僕は大切な存在となる。
縦え心で何を想われていても、それが社交辞令でも何でも構わなかった。
他人の冷たい感情が表に露にさえされなければ、僕は背負い受ける傷が少なくて済んだ。
この日常を繰り返している間はもう、人間関係の難しさに想い悩む事もないのだと漸く辛さから解放へ近付く事が出来たのだと強く感じていた。
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