STORIA 45
滑り落ちた記憶を寄せ集めて一つ一つ掬い上げたなら、僕にも何かを見付ける事が出来るのかな。
その小さな塊の中に僕が愛されていたという大切で確かな想いを探し出せたら、僕はすぐにでも素直にあの家に足を運べるのに。
いつまで片意地を張っているのだろう、僕は……。
次の日、僕の処にも面会者が訪れた。
事故を起こした相手方の親類の人だ。
母と同じ位にも見える、その女性は僕の為に寝衣や数種類の果物を持参してくれていた。
今回の事故は十分に四方を確認していなかった僕が全面的に悪いのに、何だか申し訳ない気分になってしまう。
僕を心配そうに見守る、その人はとても優しい女性だった。
僕の母親もこんな風に何か一つでも形にしてくれたらと、見えない母の影に繰り返し願っていたんだ。
度重なる夜陰にお姉さんは、その髪に目の細かい櫛を通し静かにベッド際の卓上に置く。
そしていつかの様に夜風の下、囁く小さな声で歌を歌い始めた。
余程、想い入れがあるのだろうか。
彼女の口から耳にするのはいつも同じメロディーだった。
記憶が曖昧なのか彼女は処々詩に当たる部分を"ら" に置き換え、その音を追っている。
「何だろう。そのメロディー、聴いた事がある……」
僕は消灯された部屋の中、自分のベッドで膝を抱え込みそう呟いた。
「そうなの? 私も殆ど歌詞覚えてないんだけど。何だか昔から忘れられない曲みたいで。だけどもうタイトルも誰が歌っているのかも忘れちゃった」
「何だろ……。ずっと幼い頃聴いていた気がする。近くで……。ずっとそばで誰かが歌って……。そう、懐かしいんだ」
優しい記憶。
温かで……、仄かな記憶。
眠れぬ夜から救ってくれる様な。
耳に流れ込む音を、僕はまるで自分に向けられた物の様に受け止めていた。
「小さい頃? じゃあ子守唄にお母さんが歌ってくれていた曲かもね」
「あの人の話はやめてよ」
「佐倉君が言い出したんじゃない」
お姉さんは再び歌を口遊み始める。
本当に何なのだろう……。
胸が締め付けられる、この感じ。
彼女の唇から雫れ落ちる音を深く聴く度に、心が何かを想い出そうとするのだけれど分からない。
だけどそんな正体不明の記憶がやけに心地良くて、僕は抱え込んだ膝に顔を埋め、そっと瞼を伏せた。
不思議だ。
今だけは優しい気持ちでいられる……。
囁く様な音色が僕の耳際から次第に離れて行き、代わりに脳に僅かな光が現れる。
その中に高校の頃の友人や、数回言葉を交わした事のあるクラスメイトの顔が次々に浮かび上がった。
未だ中学生だった頃の自分、今より少し若い肌を持つ母の姿……、ゆっくりと心が過去に返り始める。
その映像を鮮明に想い出そうとする心の外側で、あのメロディーが僕の耳にまた甦って来る。
正に眠りに落ちる瞬間だった。
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