episode 10 海藤慎二

 ……もう、あかん。



 この公園で寝泊りしてきたオレにとっちゃ、この辺り一帯は自分の庭のようなものだ。公園のどこに何があるか知りつくしているオレは、その地の利を生かして、何とか今まで逃げのびてきた。でも、そろそろ体力の限界に来ていた。

 赤眼の女は、どんなに逃げてもオレの後を追ってきた。しかも「疲れる」ということがないらしく、もう5分以上は走っているのにあちらのほうは一向にスピードが衰える気配がない。

 あいつは、本当に女か? いや、そもそも普通の人間なのか?

 


 目の前に大きな噴水が見えてきたので、オレは噴水をよけるために進路を向かって左側にとり、カーブ状に走行した。

 曲がる時に軽く首をひねると追っ手の姿を目に捕えることができたが、オレは見なきゃよかったと思った。その姿のあまりのおぞましさに、気が狂いそうになった。

「うわあああああ、来るなああああああああああっ」

 目が真っ赤というだけでも恐ろしいのに、その女性(に見える何か)は二本足では走っておらず、まるで地を這う獣のように四つ足で駆けてくる。

 ちょっと想像してみてくれ。ビジネススーツ姿の女性が目を真っ赤にして、四足で追いかけてくるんだぜ? しかも、その速さは普通に犬が走る速度と大差ない。

 高校時代は野球部で、甲子園出場を果たすほど鍛えていたオレでも、ホームレスになってから栄養が足りていないせいか、やがてスタミナ切れで走れなくなった。



 ……思えば、オレの人生ついてないことだらけやった。

 そして結末はやっぱりついてないまま終わるんやな。



 そう思ってあきらめにも似た感情を抱いた瞬間——




「イカロスの翼」




 何だか女の子の声が聞こえたかと思うと、自分の体がフワリと空中に浮き上がる感覚を感じた。

「ちょちょちょちょっと……」

 オレは真下を見て、恐れをなした。

 公園の公衆便所が小さな豆粒ほどに見える。どうやら、声の主の女の子に抱えられているんだと分かった。謎の女の子は、オレを抱えたままゆっくりと公園の端に着地した。

「オジサン、危ないところだったね。でもお願いだからさ、今度お金でも貯めて、おフロでも入りなよ……」

「それは、ホントにすまん」

 気味の悪い怪物のような女(いや、女のような怪物、と言うべきか?)に追われたかと思えば、今度は味方とはいえ、空を飛べる女の子の出現。

 オレの頭は、ついていけない怒涛の展開に、混乱の極みにあった。



 地上に立てたことで視界が揺れなくなったので、街灯の光をたよりに改めて助けてくれたオレの『天使』を見た。服装や年恰好から高校生だろうが、この近くの学校じゃないな。公園の近くを通行する高校生の中では、見たことのない制服だ。

 女子高生は、『美奈子』と名乗った。

 美少女、と言いきるのは微妙とはいえ、清楚でかわいい印象だ。そんな平和なことを考えていたのもつかの間、次の瞬間オレは美奈子ちゃんの目を見て、気を失いそうになった。だって、彼女の眼があの怪物女のように真っ赤だったからだ。

「コラコラオジサン、私は味方だから、そんな怖がらないでいいよ。目が赤いのは、サーモグラフ(熱映像探知)で見てるせいだから……って普通は気味悪いっか」

 美奈子ちゃんは、自分の能力のことを的確に言い表す言葉だとは思わないが、他に言いようもないから『超能力』のようなものだと思ってくれ、と言った。じゃあ、『エスパー』というわけだ。まるで、特撮ヒーローものの主人公だな。



「今、さっきの怪物の位置を探してるの」

 そう言ってから5秒ほどして、何か分かったのか美奈子ちゃんがあっと驚きの声を上げた。

「ど、どうかしたのか?」

「ごめん、オジサン。だいぶ距離を離したつもりだったけど、あと二十秒たたないうちに、あの怪物はここに来る」

「ええっ?」

「執念深いやつみたいね。一度追いかけたものは、最後まで破壊する習性みたい」



 終わったわけじゃなかったのか。

 何てこった。美奈子ちゃんが普通じゃないチカラを持っているとしても、それはあの怪物に勝てるほどなのか? ひょっとすると、ふたりともアイツにやられてしまうなんてことも……?

 美奈子ちゃんは、あと二十秒と分かっていても逃げる気配がない。それどころか、前傾姿勢をとりまるで怪物と「組み合う」気でいるように見える。

 お、オレはいったいどうすれば——



「あいつ、死体だね」

「え?」

「——あの女性の体は、もとは人間だった。でもその死体を、今別のものが動かしている」

「何だそりゃ。幽霊か何かが乗っ取っているのか?」

「まぁ、幽霊が存在するかどうかは別として……もし『意思のある何か』が目的をもってあの体を乗っ取っているんだったら、コンタクトが取れるはずなの」

 美奈子ちゃんはさっきから思いつくあらゆる方法で、あの怪物に呼びかけているそうなのだ。(テレパシー、とかか?)でも、まったく知的生命体らしい反応はなし。

「もしかしたら、敵の正体は 『細菌』 じゃないかしら」

「……何じゃそら」

 話がそこまでになると、もうオレにはついて行けない世界だ。

「意思のある単体生物なら、交渉して『説得』 っていう手も使えるんだけどね、どうもそれをしようとすると……相手の数が億単位なのよ。だから、意思を持った一つの生命なんかじゃなくて細菌。それなら説明がつく。

 まさか億もある細菌一つ一つと交渉なんかしてたら、時間がいくらあっても足りないでしょ?」

「ま、そりゃあそうだ」

「だから、今回は相手を倒すまで戦わないと、終われないってわけ」



 いきなり、向かい側の木の茂みが揺れて、黒い塊りが飛び出してきた。

 美奈子ちゃんは一歩も引くことなく、両手で怪物の体を受け止めた。まるで、ものすごい剛速球のドッジボールでも受け止めたかのような格好になった。



 グルルルルルルルルルルゥ



「お……オジサンは逃げてっ」

 えっ、でも——

 そりゃ逃げたい。それがホンネに間違いない。

 でも、本当にいいのか? 確かに、この美奈子ちゃんにはあの怪物に立ち向かえるだけの力がある。オレがいたからって、何の助けにもならないし、逆に足手まといだろう。

 オレは古いタイプの人間なのかもしれないが……でもやっぱり、「高校生の女の子を危険な目に遭わせて、大の男のオレが逃げる」ということに引っかかるんだよな。

 怪物の肩を伸ばし切った両手で受け止めることで、怪物女に噛みつかれることは防いだ美奈子ちゃんだったが、細菌に乗っ取られた死体は異常な力を発揮できるのか、美奈子ちゃんはズルズルと数メートル後ろに押し込まれた。

 明らかに、力負けしている。



「でっ、でも……本当に大丈夫なのか?」

 オレの声にかろうじて反応した美奈子ちゃんは、こちらを振り返るとフッと笑った。

「私には、まだやることがある。コイツをここで倒さないと……街に出られてしまったら、大変なことになる。あとは任せて」

 こちらを見た美奈子ちゃんの目が、青白く光った。

 光ったかと思うと、オレの体中にチクチクするような痛みが広がった。まるで、数え切れない静電気を体中に受けた、みたいな。

 いきなり、オレの周囲の風景が変わった。あれ? 美奈子ちゃんも、あの怪物もいない。

 ……ってここは、公園の西出口?

 さっきまでいた場所とは2キロ以上も離れた反対側だ。

 これはテレポート、とかいうチカラか? 映画とかで見たのは、能力者自身がテレポートするケースだけだから、他人をテレポートさせられるというのはビックリだ。



 オレは、数秒逡巡した後、意を決して公園の東出口方面へと歩きだした。行き先はもちろん、美奈子ちゃんが怪物と戦っている場所だ。

 もちろん、怖いさ。自分は何の特殊能力もないただの人間で、駆けつけたところで足手まといになるだけだろう。いや、悪くすれば命を落とすかもしれない。

 でも、それでもだ。

 オレは、行かなきゃいけない。さっきの、あの場所へ。



 変に聞こえるかもしれないが、そこへ戻ることで取り戻せる気がしたんだ。

 これからも生き続ける意味を。

 そして肩書や置かれた現状など、自分を限定する一切の『情報』を取り除いたあとに残る正味の『自分という存在の価値』を。

 行けば死ぬかもしれないが、これからも胸を張って生きていくためには、行かなきゃいけない。行かないで無事に生き続けても、それはオレが本当に望む人生なんかじゃない。




  ~episode 11へ続く~

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