episode 7 佐伯麗子

 私は今、つい二年ほど前、風の精に言われた言葉を思いだしていましたの。



 その日は、台風が近づいていて窓の外はビュウビュウ風が荒れ狂っていた。

 建前上、外出することが少ない私は(実は数年前から安田の目を盗んで、時々秘密の出口から外へ出ていたのだけど)、いつものように自室で読書をしていた。

 もう夜の9時をすぎていて、窓の外は真っ暗だった。ウチは広大な敷地の真ん中にポツンと屋敷があるので、外の普通の家のようにたくさんの近所の窓の明かりや街灯があって明るい、などというのは無縁だ。

 夜、誰かが敷地内を歩くということは想定されていないので、街灯が敷地内の私道に等間隔で設置されている、ということもない。えっ、夜に火事とか地震とか、緊急事態があったらどうするの、ですって?

 心配ご無用。緊急時の避難に関しては、常時離陸スタンバイされた自家用ヘリがありますので。あと、佐伯家の屋敷自体が、耐震強度どうのという以前に、核シェルターも真っ青の『鉄壁の要塞』と言えるような造りをしているのです。

 まぁ、その秘密はおいおいと教えましょう。



 何だか、その日の『風』が、いつもと違うように感じた。

 もしかして、私のオトモダチの「風の精」さんが、何か言いたいことがあるんじゃないか? って思った。風の精さんは、私にメッセージがある時には決まって、窓をガタガタと激しく揺らすものですから。

 だから今日は、久しぶりに風の精さんが私に用があるんだな、って思った。



 ……あらごめんなさい。話をお聞きの皆さんは、風の精って言われても何のことだか分かりませんよね? 私としたことが、当たり前のもののように話しちゃって……

 あれは私が6歳くらいの時かしら。ある日突然、風の声が聞こえるようになったのです。屋敷に閉じ込められて同じ年頃の子どもとの付き合いがあまりなかった私は、自分が特別なのではなく、みんなにも同じように風の声が聞こえるものだと思ってましたの。

 ところが、そんなのは自分だけで『普通じゃない』ってことが分かった時には、たいへんショックでした。でも、風さんはその時からずっと、同年代の子どもの友達もいない、普通に外にも遊びに行けない私の素敵なオトモダチでいてくれました。



 ただ、風さんもお忙しいのか、そうしょっちゅう現れてはくれません。

 毎週のように声が聞こえることもあれば、半年に一度だけ、ということもありました。

 特に私の年齢が上がるにつれ、顕著に風さんが現れる回数が減りました。私が大学生になる頃には、一年に一度声が聞けるかどうか、というぐらいまで減りました。もしかして、風さんは私のことをだんだん忘れてきてるんじゃないか? と勘繰るほどに。



 あの夜、「やっと来た! もう待ち遠しかったんだからね!」という気持ちで、うれしさと懐かしさいっぱいで、部屋の窓を開きました。嵐の夜ですから、窓なんか開ければもちろん雨風が遠慮なく入ってきますし、お部屋も濡れてしまいます。でも、風さんとお話できるうれしさの方が勝ってしまって、そんなことはどうでもよかった。

 幼い時には気にもしなかったけれど、物心ついて色々な知識や思考力が身についてくると、『風さんの正体は何なのか』ということを少しは考えるようになりました。

 神様の一種なのか? 妖怪? まさか宇宙人ってことはないよね?


 色々考えた挙句、私は風さんを「妖精さん」だってことにした。だって、風さんはいくら「あなたはだぁれ? どこから来たの?」と聞いても、そのことに関してだけは何も答えてくれないんですから。

 私は小さい頃からアンデルセン童話やグリム童話が大好きだったので、日本のように「火の神様」とか「森の神様」とかいう発想より、「火の精」とか「森の精」というふうに『妖精』考える方がしっくりきたのです。だから、そう決めた日を境に、私はただの「風さん」から「風の精」と呼び方を変えました。



「ひさしぶりですね、風の精さん。久しぶりな分、今日は沢山お話したいですわ!」

 私は笑みを満面に湛えてそう声をかけたのですけど、すぐにその笑みは引っ込みました。なぜなら、私の頬に吹き付けてくる風は心地よいものとは到底言えず、ある種の厳しさと深刻さをその中に読み取ったからです。



 ……麗子よ



「はい」



 いつもの優しい風さんとは違う。私を呼ぶ声の中に、これからとても重要なことを言うぞというニュアンスが、何とはなしに読み取れた。私はそれまでのはしゃいだ気分を封じ込め、居住まいを正して耳を澄ました。



 ……時が来た。来たるべき危機に備えよ



「危機? いったいどんな危機なのですか」

 風さんは、その質問に具体的な回答は与えてくれなかった。ただ、こう言った。



 お前の能力が、やっとこの世界を救う日が来た

 ただ、お前一人だけでどうにかなるものではない

 仲間を探せ

 力を合わせて闇に立ち向かえ



『闇』とは何かも気になったけれど、それよりも聞きたかったのは「仲間とは誰か」だった。

「仲間って、誰ですの? どうやって探せばよいのです?」



 外の世界より来たりし、二人の少女を探せ

 一人は、火を使う剣士

 もう一人はあらゆる精霊魔法をマスターした魔法使い



 その言葉を最後にして、風の精は消えてしまった。

 うれしい久しぶりの再会も何もあったもんじゃない。私は吹きさらしの窓を閉めることも忘れ、顔と髪を雨風に撫でられたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。そして、言われた言葉の意味を、考え続けた。



 ……外の世界から来た、二人?

 それは宇宙人? それとも異次元の世界から来る、ってことかしら?

 さっぱり分からない。心当たりゼロ。

 火を使うとか、魔法がどうとか、その時点で身近になどいるわけがない。



 その日から私は、これまでまったく関心のなかったSSRI(特殊科学捜査研究所)に関わるようになった。父である佐伯壮一朗が創設した、知る人ぞ知る非公式組織で、一般には情報公開されていない。警察では手に負えない、科学では説明しきれない超常現象や怪奇事件を専門に扱う特殊機関である。

 その秘密組織に身を置いていれば、宇宙人とか異次元人とか、そういう常識を外れた情報でも手に入りやすいのではないか、と考えた。ここにいれば、世界中の常識を超えた情報が集まってくる。そうする中で出会ったのが、美奈子ちゃんだ。

 SSRIも、一応は不可解な難事件や正体不明の敵に立ち向かうという性質上、『戦力』というものが要る。美奈子ちゃんは、私より先に「戦力としてのESP(超能力者)」として、スカウトされ活躍していた。

 幼少時より、佐伯家の血筋の中にたまに生まれる「異能力者」としての力を発揮していた私は、父としてはSSRIに欲しい人材だったようだ。だが、父もやっぱり一人の父親で、我が娘を危険な目に遭わせることなどできない、という思いから声をかけなかったようだ。



 しかし、私が風の精から聞いたことをそれとなく父にぶつけてみたところ、意外な答えが返ってきた。

「お父様、近々地球に危機が訪れる、と聞いたらバカバカしいとお笑いになりますか?」

「いいや、笑えない。実は、NASAも認めているが、地球外より少なくとも8体の地球外生命体がすでに侵入しているという確実な情報がある。とてもじゃないが現段階では公にはできんがの」

「は、はっ、今8体とおっしゃいましたか…?」

 8人もいるなら、その中に「剣士」と「魔法使い」はいるかもしれない。

「しかもな、何の偶然かは知らないが、その8体ともが現在日本にいるらしい」

「まぁ! 何で日本に集中してますの? 日本に、彼らを引き付ける何があるというのでしょうか?」

 父は苦虫を噛み潰したような顔をして、「わしに分かるもんか」と言った。

「お蔭で、こっちはいい迷惑じゃ。この8体のどれかが引き起こしたと思われる学校倒壊事件、駅ビル爆発事件がこの二週間の間に連続して起きていてな。こっちは証拠隠滅やマスコミ対策できりきり舞いじゃ」

「なんで、隠さなきゃいけませんの?」

「コラ、そのふたつの事件では、あきらかに地球上のものではない生物が暴れ、地球の科学ではあり得ない武器が使用されたという痕跡があって、目撃者も少なからずいるのじゃぞ? 今の幼い人類には、地球外生命体の来訪のニュースはまだ早いわい」

 そう言って父は、大好きな葉巻を深く吸いこんで、フーッと白い煙を吐いた。娘の前では吸うなと言いたい気持ちはあるが、裏の世界では総理大臣以上に日本を「背負っている」のが現状の父を思えば、大好きな葉巻くらいガミガミ言わないでおいてあげようと思った。



 私はここぞとばかりに身を乗り出して、つばが飛ぶ勢いでお父様に提案した。

「ではお父様。そういう事態でしたら、なおのこと私の能力が必要ではなくて? 私の能力は、警察機動隊やSATおよびSIT,通常の軍事兵器よりも未知の敵に対抗しうる見込みがあります」

「うむ、そりゃお前のチカラはのどから手が出るほど欲しいのはやまやまだが……」

 普段おしとやかな私でも、ここは押しが強くあるべきだ!と思い、いつもよりも強い調子で父に懇願した。(あとで聞いたら、いやお前はいつでもあんな感じだぞ、と言われてしまった)

「危険は避けられませんが、慎重に動くよう肝に銘じます。今は、自分の幸せや安全を考えている場合ではありません。だって、地球全体が脅かされるようになれば、それまでの個々の幸せなど、簡単に吹き飛んでしまいます」



 うーん、と唸って腕組みをしたまま、父はしばらく言葉を発さなかった。

 でも、やっと自分の中で何かとの「折り合い」を付けたらしい父は、苦渋の決断といった感じでこう言った。

「分かった。今日から正式に、ウチ(SSRI)の一員として動きなさい。お前には、私が絶大な信頼を置く部下をパートナーに付けよう」

 後日、そのパートナーとやらが美奈子ちゃんのことだった、と知ることになるんだけどね。



 ……と、そういうこれまでの経緯を一瞬のうちに思い出した後、私は目の現実に意識を戻した。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 美奈子ちゃんが言っていた男は、コイツに違いない。

 目の前には、空港に三つも爆弾を仕掛けた爆弾魔。すでに、そのうちの二つは爆発し、空港に甚大な被害が発生している。

 幸い、一般乗客の避難対応が早かったので、人的な犠牲は出ていない……はず。あとは警察関係者が巻き込まれていないといいのだが。

「あなた、もう逃げられませんことよ」

 そう、逃げられない。私が来たからには。

 何も事情を知らないこの男は、目の前に女がただ一人いるだけと甘く見ているはず。でも、私は特殊な能力を使えるESPなのだ。



 お前、確かにただ者じゃないな



 低い、やっと聞き取れるくらいのしゃがれた声で、男はそう言った。

 一体、なぜこの男は私のことを分かってるのだろう?



 残念だがな、お前程度の力じゃ これから起きる悲劇を止められないな



 言い終わった瞬間、男の目が真っ黒になった。

 正確には、眼球の瞳以外の白い部分も黒くなった、と言うべきか。

 こういうの、外国映画で見たことがある。眼が真っ黒な存在、ソイツが意のままに操る者も目が確かそういう風になるのは……

『悪魔』だ。



 お前の今考えたことは 半分当たっているが半分はハズレだな!



 男の腕が伸びた。文字通りに肉がグィンと伸びて、相手は一歩も動いていないのに、私の鼻先まで拳が一瞬で迫ってきた。

「危ないッ」

 私は、相手が普通の人間だと思っていたので、この攻撃に面食らった。思わず、攻撃への対応が遅れてしまった。もうちょっとで、相手のロケットパンチを顔面にもらってしまうところだった。

 嫁入り前の女性の顔に何かあったら、責任取ってもらえるのかしら?

 空港の硬い滑走路の上で飛び込み前転をしたので、高級コートの背中の部分が裂けた。だけど今はそんなことを気にしている場合じゃない。相手が普通じゃないことは確認済なので、能力全開、本気のホンキで行かせてもらいますわ!



 ……風の声、大地の唄。

 空の眷族、万物の理(ことわり)を司る精霊よ。

 我が声に耳を傾けよ——



 私は、能力を使う前には必ずその言葉を口にする。

 声にする余裕のない時には、たとえ心の中ででも思うことを忘れない。

 私の能力の源は、自然界のエネルギーである。特に、風(大気)の力。言ってみれば佐伯家の異能力者とは、自然界(万物)と人間界をつなぐシャーマン(巫女)のようなもの。だから、力を使うに当たって、力を借りる先へのリスペクトを忘れない。

 祈りのようなもの、と言ってもいいかもしれない。



 私の全身に、緑がかった光が満ちていく。

 そうなると、私は地面から足が離れて浮き上がり、活動上重力や空気抵抗の制限を免れ、まさに『風の化身』となることができる。移動に歩いたり走ったりも要らなくなり、風に乗って最高マッハ2での飛行が可能だ。

 私は体の質量を風と同じにして、一瞬にして男の背後に回り込んだ。同時に体をもとの肉体に戻し、羽交い絞めにして捕まえようと思ったのだが——



 甘いな



 男の反射神経も、常人のものを上回っていた。私が透明状態で背後に回り込むそのコンマ数秒前に、体を反転させていた。意図せず、私は爆弾魔と正面から向かい合う形になった。

 一瞬、男の真黒な目の目元が、笑ったかのように見えた。

 さっき伸びた男の両腕は、私がさっきいた位置を狙って飛ばされたまま、まだダランとしてこちらに戻ってきていない。相手の腕が使えないなら気にすればいいのは、頭突きと蹴りだけだ。

 そう判断して防御態勢を取ったものの、それは私の判断が甘かった。



 フンッ



 男の着ているシャツの脇の部分が派手に破れ、そこから何かがニョキニョキ伸びて来た。認めたくはないが、それはどう考えても……腕だ。

 もうひとセットの腕が現れ、それが私目がけて超至近距離からのパンチを放ってきた。

 これで相手の腕は四本になったわけだ。



 ……よけきれない。



 私はある程度のダメージは食らうことは覚悟して、少しでもそれを軽減しようと、最低限の急所をガードしようとした。その瞬間だった。



『アキレスの足』



 私の体は、横側から何者かに激突されて、瞬時に抱きかかえられコンマ2秒で200メートル先まで移動した。まるでキャノンボール(鉄砲玉)だ。

 視界が激しく揺れるのですぐには分からなかったが、これは美奈子ちゃんだ。私の戦闘に気付いて、爆弾探しからこちらに応援に来たのだろう。

 常人ではあり得ない速度で走っているため、立ち止まった美奈子ちゃんの靴からは、地面との過度な摩擦熱のせいでブスブスと煙が上がっている。最近ではその対策で、SSRIが靴底の素材を強化した特殊靴を開発して美奈子ちゃんに渡しているらしいが、それでも一週間もたたずに靴底がすり減ると聞いている。



 ほう。かわしたか  だが、次はどうかな?



 男の脇からさらに新しい腕が生え、それがまたうなりを上げて私たちを襲う。四本の腕が、美奈子ちゃんを四方から囲んで襲ってくる。横にはもう逃げ場がない。

 平面上に逃げ場がないとなると、あとは頭上しか……



『イカロスの翼』




 私の読み通り、美奈子ちゃんは上に飛んだ。

 膝をかがめて思いっきり跳躍した美奈子ちゃんの体は、地上百メートルの空中にまで達した。美奈子ちゃんの背中を見ると、技の名前通りにうっすらと透明な羽根が見える。

 私のピンチを救ってくれた、という感謝も相まって、何だか美奈子ちゃんが天使に見えた。しかし、そんな呑気なことを考えている場合ではない。

 爆弾魔の男の体には、限度というものがないのだろうか? さらに腕が生えてきて、息つく暇もなくミサイルのように拳(こぶし)が襲ってくる。現に今、地上から誘導ミサイルのようにどこまでも伸びる腕が4本、こちらへ向かってきている。

 あの男は、もう人間には見えない。強いて言えば……

 あれはそう、足がいっぱいある……『蛸(たこ)』だ。



 ……この攻撃は どうかわす?



 今度はまた別の方向から、赤い塊りが空中を飛来してきた。

 よく見るとそれは、赤い炎に包まれた女の子(あり得ない!)だった。今日やっと知り合えた『クレア』だった。クレアが長剣を握りしめ、ものすごい形相で突進してくる。

 彼女が剣を大きく一振りすると、爆弾男の妖怪のように伸びる腕が、ばっさりと切断された。




 イグナイト・クレイモア五連斬




 相手が怪物とはいえ、人間そっくりの形状をした腕が斬り落とされるというのは、見ていて気持ちがいいものではない。でも空中から落ちていく腕の切断面からは、不思議なことに血のようなものは一滴も出ている様子がなかった。

 目を炎のように真っ赤にした闘神、クレアは空港の地面にストンと着地した。この子こそが、風の精が探せと言っていた『外の世界から来た、火を使う剣士』。

 あとに続いて、美奈子ちゃんも少し離れたところに着地。私も、助けられてばかりじゃない。ここから、私も自分にしかできない役割を果たしてこの戦いに勝つ、と決めた。

「さぁ、ここからですわよ。私たち三人が集まれば、怖いものなどありませんわよ」

 男を囲む、地球産のエスパー二人、そして外宇宙からの底知れぬ能力を秘めたファイター一人。なのに爆弾魔の表情には、余裕さえ感じられた。

「何がおかしいんですの?」

 フフッ、と鼻先で笑った男のしぐさが気に障って、私は思わずそう聞いた。



 これで役者が揃った というわけか

 珍しい魔剣をお持ちのお嬢ちゃん お前は『レッド・アイ』だな?

 我が名はシャドー いにしえより地球の「闇」を治める意識体だ

 今後も長い付き合いになるだろうから 以後お見知りおきを



「シャドー? あなたが 私は今、つい二年ほど前、風の精に言われた言葉を思いだしていた。



 その日は、台風が近づいていて窓の外はビュウビュウ風が荒れ狂っていた。

 建前上、外出することが少ない私は(実は数年前から安田の目を盗んで、時々秘密の出口から外へ出ていたのだけど)、いつものように自室で読書をしていた。

 もう夜の9時をすぎていて、窓の外は真っ暗だった。ウチは広大な敷地の真ん中にポツンと屋敷があるので、外の普通の家のようにたくさんの近所の窓の明かりや街灯があって明るい、などというのは無縁だ。

 夜、誰かが敷地内を歩くということは想定されていないので、街灯が敷地内の私道に等間隔で設置されている、ということもない。えっ、夜に火事とか地震とか、緊急事態があったらどうするの、ですって?

 心配ご無用。緊急時の避難に関しては、常時離陸スタンバイされた自家用ヘリがありますので。あと、佐伯家の屋敷自体が、耐震強度どうのという以前に、核シェルターも真っ青の『鉄壁の要塞』と言えるような造りをしているのです。

 まぁ、その秘密はおいおいと教えましょう。



 何だか、その日の『風』が、いつもと違うように感じた。

 もしかして、私のオトモダチの「風の精」さんが、何か言いたいことがあるんじゃないか? って思った。風の精さんは、私にメッセージがある時には決まって、窓をガタガタと激しく揺らすものですから。

 だから今日は、久しぶりに風の精さんが私に用があるんだな、って思った。



 ……あらごめんなさい。話をお聞きの皆さんは、風の精って言われても何のことだか分かりませんよね? 私としたことが、当たり前のもののように話しちゃって……

 あれは私が6歳くらいの時かしら。ある日突然、風の声が聞こえるようになったのです。屋敷に閉じ込められて同じ年頃の子どもとの付き合いがあまりなかった私は、自分が特別なのではなく、みんなにも同じように風の声が聞こえるものだと思ってましたの。

 ところが、そんなのは自分だけで『普通じゃない』ってことが分かった時には、たいへんショックでした。でも、風さんはその時からずっと、同年代の子どもの友達もいない、普通に外にも遊びに行けない私の素敵なオトモダチでいてくれました。



 ただ、風さんもお忙しいのか、そうしょっちゅう現れてはくれません。

 毎週のように声が聞こえることもあれば、半年に一度だけ、ということもありました。

 特に私の年齢が上がるにつれ、顕著に風さんが現れる回数が減りました。私が大学生になる頃には、一年に一度声が聞けるかどうか、というぐらいまで減りました。もしかして、風さんは私のことをだんだん忘れてきてるんじゃないか? と勘繰るほどに。



 あの夜、「やっと来た! もう待ち遠しかったんだからね!」という気持ちで、うれしさと懐かしさいっぱいで、部屋の窓を開きました。嵐の夜ですから、窓なんか開ければもちろん雨風が遠慮なく入ってきますし、お部屋も濡れてしまいます。でも、風さんとお話できるうれしさの方が勝ってしまって、そんなことはどうでもよかった。

 幼い時には気にもしなかったけれど、物心ついて色々な知識や思考力が身についてくると、『風さんの正体は何なのか』ということを少しは考えるようになりました。

 神様の一種なのか? 妖怪? まさか宇宙人ってことはないよね?


 色々考えた挙句、私は風さんを「妖精さん」だってことにした。だって、風さんはいくら「あなたはだぁれ? どこから来たの?」と聞いても、そのことに関してだけは何も答えてくれないんですから。

 私は小さい頃からアンデルセン童話やグリム童話が大好きだったので、日本のように「火の神様」とか「森の神様」とかいう発想より、「火の精」とか「森の精」というふうに『妖精』考える方がしっくりきたのです。だから、そう決めた日を境に、私はただの「風さん」から「風の精」と呼び方を変えました。



「ひさしぶりですね、風の精さん。久しぶりな分、今日は沢山お話したいですわ!」

 私は笑みを満面に湛えてそう声をかけたのですけど、すぐにその笑みは引っ込みました。なぜなら、私の頬に吹き付けてくる風は心地よいものとは到底言えず、ある種の厳しさと深刻さをその中に読み取ったからです。



 ……麗子よ



「はい」



 いつもの優しい風さんとは違う。私を呼ぶ声の中に、これからとても重要なことを言うぞというニュアンスが、何とはなしに読み取れた。私はそれまでのはしゃいだ気分を封じ込め、居住まいを正して耳を澄ました。



 ……時が来た。来たるべき危機に備えよ



「危機? いったいどんな危機なのですか」

 風さんは、その質問に具体的な回答は与えてくれなかった。ただ、こう言った。



 お前の能力が、やっとこの世界を救う日が来た

 ただ、お前一人だけでどうにかなるものではない

 仲間を探せ

 力を合わせて闇に立ち向かえ



『闇』とは何かも気になったけれど、それよりも聞きたかったのは「仲間とは誰か」だった。

「仲間って、誰ですの? どうやって探せばよいのです?」



 外の世界より来たりし、二人の少女を探せ

 一人は、火を使う剣士

 もう一人はあらゆる精霊魔法をマスターした魔法使い



 その言葉を最後にして、風の精は消えてしまった。

 うれしい久しぶりの再会も何もあったもんじゃない。私は吹きさらしの窓を閉めることも忘れ、顔と髪を雨風に撫でられたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。そして、言われた言葉の意味を、考え続けた。



 ……外の世界から来た、二人?

 それは宇宙人? それとも異次元の世界から来る、ってことかしら?

 さっぱり分からない。心当たりゼロ。

 火を使うとか、魔法がどうとか、その時点で身近になどいるわけがない。



 その日から私は、これまでまったく関心のなかったSSRI(特殊科学捜査研究所)に関わるようになった。父である佐伯壮一朗が創設した、知る人ぞ知る非公式組織で、一般には情報公開されていない。警察では手に負えない、科学では説明しきれない超常現象や怪奇事件を専門に扱う特殊機関である。

 その秘密組織に身を置いていれば、宇宙人とか異次元人とか、そういう常識を外れた情報でも手に入りやすいのではないか、と考えた。ここにいれば、世界中の常識を超えた情報が集まってくる。そうする中で出会ったのが、美奈子ちゃんだ。

 SSRIも、一応は不可解な難事件や正体不明の敵に立ち向かうという性質上、『戦力』というものが要る。美奈子ちゃんは、私より先に「戦力としてのESP(超能力者)」として、スカウトされ活躍していた。

 幼少時より、佐伯家の血筋の中にたまに生まれる「異能力者」としての力を発揮していた私は、父としてはSSRIに欲しい人材だったようだ。だが、父もやっぱり一人の父親で、我が娘を危険な目に遭わせることなどできない、という思いから声をかけなかったようだ。



 しかし、私が風の精から聞いたことをそれとなく父にぶつけてみたところ、意外な答えが返ってきた。

「お父様、近々地球に危機が訪れる、と聞いたらバカバカしいとお笑いになりますか?」

「いいや、笑えない。実は、NASAも認めているが、地球外より少なくとも8体の地球外生命体がすでに侵入しているという確実な情報がある。とてもじゃないが現段階では公にはできんがの」

「は、はっ、今8体とおっしゃいましたか…?」

 8人もいるなら、その中に「剣士」と「魔法使い」はいるかもしれない。

「しかもな、何の偶然かは知らないが、その8体ともが現在日本にいるらしい」

「まぁ! 何で日本に集中してますの? 日本に、彼らを引き付ける何があるというのでしょうか?」

 父は苦虫を噛み潰したような顔をして、「わしに分かるもんか」と言った。

「お蔭で、こっちはいい迷惑じゃ。この8体のどれかが引き起こしたと思われる学校倒壊事件、駅ビル爆発事件がこの二週間の間に連続して起きていてな。こっちは証拠隠滅やマスコミ対策できりきり舞いじゃ」

「なんで、隠さなきゃいけませんの?」

「コラ、そのふたつの事件では、あきらかに地球上のものではない生物が暴れ、地球の科学ではあり得ない武器が使用されたという痕跡があって、目撃者も少なからずいるのじゃぞ? 今の幼い人類には、地球外生命体の来訪のニュースはまだ早いわい」

 そう言って父は、大好きな葉巻を深く吸いこんで、フーッと白い煙を吐いた。娘の前では吸うなと言いたい気持ちはあるが、裏の世界では総理大臣以上に日本を「背負っている」のが現状の父を思えば、大好きな葉巻くらいガミガミ言わないでおいてあげようと思った。



 私はここぞとばかりに身を乗り出して、つばが飛ぶ勢いでお父様に提案した。

「ではお父様。そういう事態でしたら、なおのこと私の能力が必要ではなくて? 私の能力は、警察機動隊やSATおよびSIT,通常の軍事兵器よりも未知の敵に対抗しうる見込みがあります」

「うむ、そりゃお前のチカラはのどから手が出るほど欲しいのはやまやまだが……」

 普段おしとやかな私でも、ここは押しが強くあるべきだ!と思い、いつもよりも強い調子で父に懇願した。(あとで聞いたら、いやお前はいつでもあんな感じだぞ、と言われてしまった)

「危険は避けられませんが、慎重に動くよう肝に銘じます。今は、自分の幸せや安全を考えている場合ではありません。だって、地球全体が脅かされるようになれば、それまでの個々の幸せなど、簡単に吹き飛んでしまいます」



 うーん、と唸って腕組みをしたまま、父はしばらく言葉を発さなかった。

 でも、やっと自分の中で何かとの「折り合い」を付けたらしい父は、苦渋の決断といった感じでこう言った。

「分かった。今日から正式に、ウチ(SSRI)の一員として動きなさい。お前には、私が絶大な信頼を置く部下をパートナーに付けよう」

 後日、そのパートナーとやらが美奈子ちゃんのことだった、と知ることになるんだけどね。



 ……と、そういうこれまでの経緯を一瞬のうちに思い出した後、私は目の現実に意識を戻した。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 美奈子ちゃんが言っていた男は、コイツに違いない。

 目の前には、空港に三つも爆弾を仕掛けた爆弾魔。すでに、そのうちの二つは爆発し、空港に甚大な被害が発生している。

 幸い、一般乗客の避難対応が早かったので、人的な犠牲は出ていない……はず。あとは警察関係者が巻き込まれていないといいのだが。

「あなた、もう逃げられませんことよ」

 そう、逃げられない。私が来たからには。

 何も事情を知らないこの男は、目の前に女がただ一人いるだけと甘く見ているはず。でも、私は特殊な能力を使えるESPなのだ。



 お前、確かにただ者じゃないな



 低い、やっと聞き取れるくらいのしゃがれた声で、男はそう言った。

 一体、なぜこの男は私のことを分かってるのだろう?



 残念だがな、お前程度の力じゃ これから起きる悲劇を止められないな



 言い終わった瞬間、男の目が真っ黒になった。

 正確には、眼球の瞳以外の白い部分も黒くなった、と言うべきか。

 こういうの、外国映画で見たことがある。眼が真っ黒な存在、ソイツが意のままに操る者も目が確かそういう風になるのは……

『悪魔』だ。



 お前の今考えたことは 半分当たっているが半分はハズレだな!



 男の腕が伸びた。文字通りに肉がグィンと伸びて、相手は一歩も動いていないのに、私の鼻先まで拳が一瞬で迫ってきた。

「危ないッ」

 私は、相手が普通の人間だと思っていたので、この攻撃に面食らった。思わず、攻撃への対応が遅れてしまった。もうちょっとで、相手のロケットパンチを顔面にもらってしまうところだった。

 嫁入り前の女性の顔に何かあったら、責任取ってもらえるのかしら?

 空港の硬い滑走路の上で飛び込み前転をしたので、高級コートの背中の部分が裂けた。だけど今はそんなことを気にしている場合じゃない。相手が普通じゃないことは確認済なので、能力全開、本気のホンキで行かせてもらいますわ!



 ……風の声、大地の唄。

 空の眷族、万物の理(ことわり)を司る精霊よ。

 我が声に耳を傾けよ——



 私は、能力を使う前には必ずその言葉を口にする。

 声にする余裕のない時には、たとえ心の中ででも思うことを忘れない。

 私の能力の源は、自然界のエネルギーである。特に、風(大気)の力。言ってみれば佐伯家の異能力者とは、自然界(万物)と人間界をつなぐシャーマン(巫女)のようなもの。だから、力を使うに当たって、力を借りる先へのリスペクトを忘れない。

 祈りのようなもの、と言ってもいいかもしれない。



 私の全身に、緑がかった光が満ちていく。

 そうなると、私は地面から足が離れて浮き上がり、活動上重力や空気抵抗の制限を免れ、まさに『風の化身』となることができる。移動に歩いたり走ったりも要らなくなり、風に乗って最高マッハ2での飛行が可能だ。

 私は体の質量を風と同じにして、一瞬にして男の背後に回り込んだ。同時に体をもとの肉体に戻し、羽交い絞めにして捕まえようと思ったのだが——



 甘いな



 男の反射神経も、常人のものを上回っていた。私が透明状態で背後に回り込むそのコンマ数秒前に、体を反転させていた。意図せず、私は爆弾魔と正面から向かい合う形になった。

 一瞬、男の真黒な目の目元が、笑ったかのように見えた。

 さっき伸びた男の両腕は、私がさっきいた位置を狙って飛ばされたまま、まだダランとしてこちらに戻ってきていない。相手の腕が使えないなら気にすればいいのは、頭突きと蹴りだけだ。

 そう判断して防御態勢を取ったものの、それは私の判断が甘かった。



 フンッ



 男の着ているシャツの脇の部分が派手に破れ、そこから何かがニョキニョキ伸びて来た。認めたくはないが、それはどう考えても……腕だ。

 もうひとセットの腕が現れ、それが私目がけて超至近距離からのパンチを放ってきた。

 これで相手の腕は四本になったわけだ。



 ……よけきれない。



 私はある程度のダメージは食らうことは覚悟して、少しでもそれを軽減しようと、最低限の急所をガードしようとした。その瞬間だった。



『アキレスの足』



 私の体は、横側から何者かに激突されて、瞬時に抱きかかえられコンマ2秒で200メートル先まで移動した。まるでキャノンボール(鉄砲玉)だ。

 視界が激しく揺れるのですぐには分からなかったが、これは美奈子ちゃんだ。私の戦闘に気付いて、爆弾探しからこちらに応援に来たのだろう。

 常人ではあり得ない速度で走っているため、立ち止まった美奈子ちゃんの靴からは、地面との過度な摩擦熱のせいでブスブスと煙が上がっている。最近ではその対策で、SSRIが靴底の素材を強化した特殊靴を開発して美奈子ちゃんに渡しているらしいが、それでも一週間もたたずに靴底がすり減ると聞いている。



 ほう。かわしたか  だが、次はどうかな?



 男の脇からさらに新しい腕が生え、それがまたうなりを上げて私たちを襲う。四本の腕が、美奈子ちゃんを四方から囲んで襲ってくる。横にはもう逃げ場がない。

 平面上に逃げ場がないとなると、あとは頭上しか……



『イカロスの翼』




 私の読み通り、美奈子ちゃんは上に飛んだ。

 膝をかがめて思いっきり跳躍した美奈子ちゃんの体は、地上百メートルの空中にまで達した。美奈子ちゃんの背中を見ると、技の名前通りにうっすらと透明な羽根が見える。

 私のピンチを救ってくれた、という感謝も相まって、何だか美奈子ちゃんが天使に見えた。しかし、そんな呑気なことを考えている場合ではない。

 爆弾魔の男の体には、限度というものがないのだろうか? さらに腕が生えてきて、息つく暇もなくミサイルのように拳(こぶし)が襲ってくる。現に今、地上から誘導ミサイルのようにどこまでも伸びる腕が4本、こちらへ向かってきている。

 あの男は、もう人間には見えない。強いて言えば……

 あれはそう、足がいっぱいある……『蛸(たこ)』だ。



 ……この攻撃は どうかわす?



 今度はまた別の方向から、赤い塊りが空中を飛来してきた。

 よく見るとそれは、赤い炎に包まれた女の子(あり得ない!)だった。今日やっと知り合えた『クレア』だった。クレアが長剣を握りしめ、ものすごい形相で突進してくる。

 彼女が剣を大きく一振りすると、爆弾男の妖怪のように伸びる腕が、ばっさりと切断された。




 イグナイト・クレイモア五連斬




 相手が怪物とはいえ、人間そっくりの形状をした腕が斬り落とされるというのは、見ていて気持ちがいいものではない。でも空中から落ちていく腕の切断面からは、不思議なことに血のようなものは一滴も出ている様子がなかった。

 目を炎のように真っ赤にした闘神、クレアは空港の地面にストンと着地した。この子こそが、風の精が探せと言っていた『外の世界から来た、火を使う剣士』。

 あとに続いて、美奈子ちゃんも少し離れたところに着地。私も、助けられてばかりじゃない。ここから、私も自分にしかできない役割を果たしてこの戦いに勝つ、と決めた。

「さぁ、ここからですわよ。私たち三人が集まれば、怖いものなどありませんわよ」

 男を囲む、地球産のエスパー二人、そして外宇宙からの底知れぬ能力を秘めたファイター一人。なのに爆弾魔の表情には、余裕さえ感じられた。

「何がおかしいんですの?」

 フフッ、と鼻先で笑った男のしぐさが気に障って、私は思わずそう聞いた。



 これで役者が揃った というわけか

 珍しい魔剣をお持ちのお嬢ちゃん お前は『レッド・アイ』だな?

 我が名はシャドー いにしえより地球の「闇」を治める意識体だ

 今後も長い付き合いになるだろうから 以後お見知りおきを



「シャドー? あなたが……」

 私は、「レッドアイ」だと言われてなぜ分かったのかと驚いているクレアよりも、シャドーという名を聞いて驚愕の表情を見せた美奈子ちゃんの動揺のほうが気になった。





 ~episode 8へ続く~

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