第五十話 帰還
「ここは……」
見知った天井、整理された本棚、プリントが散乱している机。
目を覚ました大黒の前には、そんな普段と変わらない自室の風景が広がっていた。
(あれ……? 俺、寝る前何してたんだ? 何でか記憶が曖昧だ。日付は……六月二十八日、だったら昨日はシフト入ってたはずだしバイトには行ったよな? それで……)
大黒は寝る前の出来事を思い出しながら、体を起こそうとベッドに手を付いた。
しかし少し体重をかけただけで強力な電気を浴びたような痛みが走り、起き上がることが出来なかった。
「いってぇ……! 何だこれ……! 何でこんな怪我…………あぁ……そっか」
その痛みによって曖昧だった頭も完全に覚醒し、大黒は昨日の一件を全て思い出した。
(そうだ。確か俺とハクがお尋ね者になったとかで馬鹿強い奴らに襲われたんだった。それで連中に負けた後、純の姿が見えて……で、今俺がここにいるってことは純はあいつらに勝ったのか?)
起き上がれないままキョロキョロと周りを見渡すも、部屋の中に純はいない。
それでも家のどこかにはいるだろうと思い、声を張って純の名前を呼ぼうとしたと同時に大黒の部屋の扉が開いた。
「あ……、起きたんですね。良かった……」
「ハク……」
部屋に入ってきたのは憔悴した様子のハクだった。
包帯とタオルを携えたハクは安堵の微笑みを漏らし、横たわる大黒のそばに来る。
「心配したんですよ。中々帰ってこないとは思っていましたが、まさかこんな傷を負っているなんて……」
「大したことないよ、こんくらい。酒呑童子の時と比べれば無傷みたいなもんだ」
「またそんな強がりを言って……」
ハクは無理に笑顔を作ろうとする大黒を窘めるように大黒の額に手を当てた。
「熱は引いたみたいですね。吐き気や目眩はしませんか? 頭も強く打っていたようですから……」
「大丈夫だって。意識もはっきりしてるし、ハクのスリーサイズだってちゃんと覚えてる」
「………………」
「……ハク?」
自分の言った冗談に対していつも通り辛辣な言葉が返ってくると思っていた大黒だったが、予想に反してハクは陰鬱な表情で俯くだけだった。
そんなハクを元気付けようとするも特に何も思いつかない大黒は、ただ視線を右往左往させ次の言葉を待っていた。
だがハクは俯いたまま言葉を発さず、そのまま大黒の胸元に顔をうずめてきたのだった。
「ハ、ハク? 嬉しいけど困惑の方が勝る状況なんだけど」
「………………」
「俺としては何か返事が欲しい……なんて思ったり」
「…………ぅぅ……っ……」
「……もしかして泣いてるのか?」
大黒の耳にうめき声と鼻を啜る音が微かに聞こえてくる。
それはハクから漏れてきた嗚咽だと、大黒はすぐに分かった。
「……泣いてっ……無いですっ……!」
「ハクが泣いてないって言うんならそれでもいいけどさ」
「伝説の……九尾がっ……そう簡単に泣くはず無いでしょう……!」
「別に誰だろうが泣く時は泣くと思うけどな。……ごめん、またしんどい思いさせちゃって」
大黒は錆びた機械のようにしか動かない腕でハクの頭を撫でる。
現代に転生したハクは大黒と出会うまで、人間にも妖怪にもおよそ親しいと呼べる相手はいなかった。
しかし大黒に見つけられてしまったことで、広げようと思っていなかった交友関係が広がってしまった。
そして広がった関係の中で大切にしたいと思った磨は帰ってくることができなくなった。
その時に出来た傷はまだ完全には癒えておらず、今回とうとう大黒までも帰って来なくなるんじゃないかという不安にハクはずっと苛まれていた。
そのことに大黒もようやく気が付いた。
「あれからまだ大して経ってないもんな。連絡くらい出来たら良かったんだけど、そんな余裕も無くて……」
「……分かってます。貴方がどれだけ大変だったのかは……、だから私のこれも涙じゃないんです。……家で待っていただけの私が、頑張ってきた貴方にそんなものを押し付けて良いはずが無いんですから」
そう言ってハクは自分の頭から大黒の手を外そうとする。
安心してつい決壊してしまったが、ボロボロの大黒にこれ以上甘えるわけにはいかない、とハクは自省する。
言うまでもなく、大黒がそれを許すはずはなかったが。
「何言ってんだ、駄目って言うなら今回は俺の方が駄目だ。一人じゃ確実に帰ってこれなかったし……。二人で生きていこうって話をしたばっかなのに早速ハクを独りにするところだった」
大黒はハクを撫でる手を止めずに続ける。
「だからハクは俺を責める権利すらあるわけだ。……それにたとえそうじゃなかったとしても、泣きたい時には泣いて欲しい。陰でこっそりとかじゃなく、俺の前で。疲れてる時だろうと、死にかけの時だろうと……俺がどんな状況にいようと俺はそれを押し付けられてるなんて思わない」
「……!」
甘え下手なハクが甘えられるように大黒は優しい声をかける。
ハクの涙を負担になんて感じるはずがない、そう言い切った大黒にまたハクは涙ぐむ。
しかしハクの涙が再び零れる前に、廊下からドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
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