第拾捌話 買物
「な、ん、で、あたしがこんなことしなきゃなんねぇんだっつう話っすよ」
鬼川は車を運転しながら今の自分の状況にぶつくさと文句を言う。
それに返事を出来る人間は車内に二人。どちらも後部座席にいるのだが、その内の助手席側に座っている人物が言葉を返す。
「そりゃあの場で車を運転出来るのが鬼川しかいなかったからだよ。鬼川と俺以外は免許を持っていない、俺はこの通り片腕。ほら、鬼川しか頼める相手がいないだろ?」
その人物、大黒は右手で左袖をひらひらさせながら返事をする。
大黒の言葉に鬼川はげんなりとした顔をするが、後ろにいる大黒からは顔が見えない。正確にはルームミラーで見ることも出来るが、嫌な顔をされるのは分かっているため見ようとしなかった、だが。
「出来る出来ないって事言ってんじゃないっす。あたしがそのガキのために動かなきゃならないってのがおかしいって言ってんです」
「おいおい、あんまり磨を怖がらせるようなこと言うなよ。泣いちゃうだろ」
「……私、そんなに繊細だと思われているの?」
二人の会話に名前が出てきたことにより、もう一人の同乗者である磨が声を発する。
しかし、あまりにも小さい声だったため二人の耳には届かず、大黒と鬼川は変わらず口論を続けている。
「大体ちゃんと了承はとっただろ?」
「あたしのじゃなくて当主のっすけどねぇ! あーもう! お兄さんの家に行ってる時が一番リラックス出来る時間だってのに!」
それほど広くもない車内に鬼川の悲痛な声が響き渡る。
三人がこうして出掛けている発端は大黒のある一言だった。
純と共に自室から帰ってきた大黒は、リビングで勉強している磨を見るなりこう言った。
『よし、家具を買いに行こう』
その時の磨はソファーに座っていたのだが、文字を書くため多少前屈みになっていた。
さらに食事をする時に使っている椅子も、元々大黒が使っていたものだったため磨の身長には合っていない。
そうした磨が生活する際に生じる様々な不便に、リビングを一望することでようやく気付けた大黒は先程の提案をするに至った。
しかしそのような大きな買い物は片腕の大黒では手に余る。では、誰に手伝って貰うかということになって矛先を向けられたのが鬼川であり、こうして渋滞の中車を運転させられる羽目になったのだった。
「えー、鬼川ってそんなに俺のことが好きだったのかぁ。でも俺には心に決めた相手がいるからその想いには答えられないんだ、悪いな」
加えて今の状況を作り出した元凶がこのような態度であるのが、鬼川を余計に苛立たせており、鬼川の怒りのボルテージは中々下がらない。
「いや、マジでキモいんでやめてもらえるっすか。お兄さんはまあ凄いと思ってますが、そんな感情は一ミリもないんで。キモい」
「ちょっとした冗談なのにこんなダメージを受けるとは思ってなかったよ!」
キモいを連呼された大黒は胸を握りしめながらそう叫ぶ。
多少はやり返せたことでスッキリしたのか、鬼川は窓枠に肘をついて落ち着きを取り戻した。
「お兄さんがどうこうじゃなくて、お兄さんの家に行くと当主が機嫌良くなるからあたしも気が楽ってことっすよ。お兄さんの家にいる間はそっちの目を気にしてるのかあれこれ命令されることもないし、そういうので休まるってことっす」
「普段はそんなに酷使されてんの?」
「そりゃあもう。基本的に休みなんて無いし、用事があったら夜中でも呼び出される。労働基準法なんてなんのその、まだヤクザの方が優しいってレベルっすよ」
「極道と比べられてしまうのかうちの妹は……」
思っていたよりも数段劣悪だった労働環境に大黒は眉をひそめる。
自分はもっとクリーンな職場に就職しようと決意をした大黒は、同時に浮かび上がってきた疑問をそのまま鬼川に投げつける。
「でもなんで鬼川はそんな所で働いてるんだ? まだまだ若いし、転職先なんていくらでもあるんじゃないか?」
「そーいうのはあたしより年食ってる奴が言うもんっすよ。知らねーようなんで言っとくが、あたしはお兄さんより五歳年上っすからね」
鬼川はタメ口混じりに自分の年齢を明かす。
それを聞いた大黒は気まずそうに頬をかきながら、言葉を探す。
「あー……、そっか。そりゃそうか。初対面が非常事態だったからついタメ口になっちゃってたけど、今からでも敬語にしたほうがいいか?」
「そんなのは気にしないでいいっすよ。むしろお兄さんに敬語なんて使わせたら当主に何されるか分かったもんじゃない」
「純は信用されてるのかされてないのか分かんねぇなぁ……」
「信用というか忠誠は誓ってるっすよ、一応ね。……当主にはでっかい借りがあるんす。どんだけ理不尽な扱いを受けても、その借りがあるから逆らわないし離れない。あたしがここを辞めない理由はそれだけっす」
大黒の質問への答えとして、自分と純との関係を離す鬼川。
大黒は二人の間に何があったのか気になったが、既に『大黒家』とは関係を絶っている自分が深入りはしないほうがいいと考え、それ以上は踏み込まなかった。
「まあ純が独りじゃないのは何よりだ。……で、磨はずっと窓の外を見てるけどなんか面白いものでもあった?」
そして鬼川との会話は一旦切り上げ、二人が話している間ずっと車外を眺めていた磨に話しかけた。
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