第15話 式神

「いえ、本題はもう一つあるんです」


 そう言って純は顔の前で人差し指を立てる。

「なんだよ、大黒家の方で何かあったりしたか?」

 大黒は純が何を言おうとしているか薄々気付き、何とか話を別の方向に逸らそうとする。

「そうではありません。そもそも大黒家で何かあっても兄さんは何もする気ないでしょう?」

「まあ、そうだな」

「私の話は徹頭徹尾兄さんに関することだけですよ。……私の横にいる兄さんは見ての通り、兄さんとリンクしています」

 純は話を戻して、自分の横に置いてある呪具を指差した。

 それを見て大黒は、意地でも人形も兄さんと呼び続けるつもりなのか、と辟易しながら返事をする。


「本当良く出来てるよな。俺には一生かかっても作れそうにない呪具だ。技術的にも、倫理的にも」

「お褒めに預かり光栄です。こちらの兄さん、体は無理でしたが顔の筋肉までは再現することが出来たんです、それを踏まえて聞きたいことがあるんです」


 純はそこで一度言葉を切り、威圧感のある笑みで大黒を見つめる。


「兄さんはこの数日、誰と暮らしていたんですか?」

「…………大学の友達だよ。家じゃレポートに集中出来ないっていうからしばらく泊めてたんだ。流石にこんな怪我したから今日はもう帰ってもらったけど」


 大黒は純に飲まれないように気を強く持ち、直前に考えていた言い訳でこの場を乗り切ろうとする。


(あそこまで俺の動きを再現してる人形があるんなら、ここ最近の動きには違和感を覚えるだろうなぁ。大学に入ってからろくに人と話してなかったのに、ハクが来てからはずっと会話してるし)

 身体状況だけならまだしも、口の動きまで模倣されていたら隠しようがない。

 ハクの部屋やハクの持ち物には結界を張って気づかれないようにしたが、誰かと会話していた事だけは言葉で誤魔化す、大黒は純が持ってきた呪具を見た時からそうしようと決めていた。


「兄さん……、嘘はいけませんよ?」


 しかし、純の笑みは崩れない。

 陰陽師、特に呪術に秀でている者は嘘に敏感である。

 呪術というのは人の精神と強い結びつきのある術だ。自分や相手の精神をコントロールすること、それが呪術の基本。

 呪術を学ぶ者はまず人を騙すやり方から教えられる。

 人の精神に入り込む上手い嘘をつける者は呪術の素質があると言われているからだ。


 相手の心のどこを突けばいいのか、どんな言葉が一番効くのか、呪術を学んでいく内にそれらを見極める能力は洗練されていく。

 誰も見たことが無い呪体を作れる純も、呪術に関しては陰陽師の中でもすでにトップクラスの実力を持つ。

 つまりは嘘のエキスパート、大黒が五分で考えた浅い嘘など純に通用するはずも無かった。


「やっぱ、ばれる?」


 大黒もそれは分かっていたのだが、あの場ではそうするしか無かったというだけの話だ。


「もちろん、ばれます。しかし嘘がばれたからといって、兄さんは絶対に口を割らないでしょう。とあれば残された手段は実力行使しかありません」

「実力行使って……拷問でもする気か?」

「しませんし、しても口を割る兄さんじゃないと言っているんです」

 愛する兄にそんな短絡的な方法を取ると疑われた純は口をとがらせて不満をあらわにする。


「まあそれはされたことないからどうだか……、じゃあどうするつもりだ?」

「家中を調べさせてもらいます!」


 純はその発言の後、勢いよくリビングを飛び出して他の部屋の調査に向かった。

 純が最初に向かった先は風呂。純は大黒が女と同棲をしているのではないかと疑っている。その逃れられない証拠を探すために、まず一番女の影がありそうな風呂を探すことにした。


「おいおい、調べるのは良いけど男の独り暮らしには見られたくないものもあるんだから、あんまり荒らさないでくれよ?」

 

大黒は純の後を追い、風呂を探っている純の行動を監視する。


(ハクがいた痕跡は見えなくしたつもりだけど、こうも本気で探し回られると見落としが無いか不安になってくるな)


 大黒はハラハラしながら純を見守る。


「ふむ……」

 

 純は洗面所と風呂を見回して、怪しいところが無いことを確認すると、ゴミ箱に捨ててある血塗れのパンツを手にして次の部屋へと向かおうとした。


「待て」


 大黒は妹の奇行を見逃さず、純の肩を掴みその場へと留まらせた。


「何ですか兄さん、そんな犬の躾みたいに。……いや、兄さんになら犬のように扱われても」

「新しい性癖を開拓しようとするな。あんな一言でそこまで飛躍されると、これからお前に話しかけるのが怖くなるわ。そうじゃなくて俺が言いたいのはお前がしれっと持ち去ろうとしたその右手の物についてだ」

「?」

「とぼけた顔をするな、腹が立つ」


 大黒は言いながら、ハクも俺を相手にする時こんな気持ちだったんだな、と気づき、これからは少し自重しようと密かに心に決めた。


「兄さんが何を言いたいのか私には分かりません」

「俺はお前が何をしたいのかが分からない。お前は俺のパンツを持って行ってどうするつもりなんだ」

「それはもう! 兄さんコレクションに追加して楽しむのです!」

「その血塗れのパンツを!?」

 あまりの衝撃に突っ込む点がズレる大黒。


「いや違う! 血塗れとか以前にコレクションってなんだ!」

「そのままの意味です」

「え、なにお前、俺の私物を集めてたりすんの」

「はい。ちゃんと節度は持って、兄さんの迷惑にならないように使用中のものには手を出さず、捨てたものだけを集めているのです。私は出来た妹でしょう?」


 さあ、褒めて下さいと言わんばかりの純の顔を見て、大黒はどこで接し方を間違えたのだろうと真剣に悩みかけた。


「出来た妹は兄の衣類に手を出したりしないんだよ。いいからそのパンツをゴミ箱に戻せ」

「!? な、なんでですか!?」

「どうしてそこまで驚いた顔が出来るんだ。まず衛生的にも良くないし、何よりも俺が気持ち悪いからだよ」

「それもこれも兄さんが悪いんですよ、……私を幸せにするって言ったのに勝手に出て行ったりなんかして」


 純は血塗れのパンツを握りしめたまま悲しげな顔をする。


「お前はもう一人で幸せになれるだろ。大黒家の当主になったんだから、ある程度好き勝手出来るはずだ」

「私の幸せは兄さんがいないことには実現しません! 兄さんの馬鹿っ!」

「おい! どさくさに紛れてパンツを持って行こうとするな!」


 純は大黒のパンツをポケットに捻じ込み、そのまま次は大黒の寝室を調査しようとその扉を開けた。


「ここがいつも兄さんが寝起きしている部屋ですか」


 そう言って純は部屋にずかずかと入り込み、ベッドの下やクローゼットの中を探索する。


「遠慮のかけらもねぇな……」

「私たちは兄妹です、こういうところで遠慮はいらないでしょう」

「それは遠慮される側が言うべき台詞なんだよ」


 そして一通り部屋を探し終わった純は、肩を怒らせながら大黒に詰め寄ってきた。


「な、なに。なんかあった?」


 急変した純の様子に、大黒はハクの私物でも見つけられただろうかと思い、焦る。

 しかし純から飛び出た言葉は大黒の想像を遥かに超えるものだった。

「兄さん……、何で妹物のエロ本が無いんですかっ!!」

「あるわけねーだろ!」


 大声でエロ本を所持していないことを怒ってくる純に、大黒も負けじと大声で返す。


「つーかまるで他のエロ本はあったみたいに言うんじゃねぇよ。俺はエロ本なんて一冊も持ち合わせちゃいない」

「妹物のエロ本は無いのに他のジャンルのものがあったら、それこそ許せませんでしたよ」

「その倫理観、矯正した方がいいぞ」

 

 純は大黒の言葉に、やれやれと首を振る。


「なんで俺が聞き分けないみたいな空気出してんだよ」

「ともかく兄さん、私が次来る時までに古今東西の妹物のエロ本を集めておいてくださいね」

「古今東西の妹物のエロ本を集めてる兄の家にお前は本当に来たいのか……?」

 大黒の突っ込みを背中に受けて、ここも収穫なし、と部屋を出る純。


 そして純は廊下で顎に手を当てながら考え込み始めた。

「おかしいですね、私の予想ではとっくに証拠が見つかっているはずなんですが……。本当に兄さんは健全な独り暮らしを……?」

「そうそう考えすぎ、考えすぎ。来てたのは事情がある友達だったから詳しくは話せないけど、お前が思うようなことは何にもないんだ」


 純の独り言を聞いて、大黒はこれ幸いと純の思い違いに乗っかろうとする。

 本当にそうだろうかと思いながら壁にもたれかかった純は、そこに微かな違和感を感じた。

 その場所は大黒が結界で隠しているハクの部屋の扉がある場所。

 大黒は結界でそこを見えなくしているが、いかんせん急ごしらえで作った結界のため、細部は粗く強度も無い。

 そのため直接触れてしまえば結界に気付かれてしまう。


「ここ、結界が張ってありますね」

 純は結界をペタペタと触りながら大黒に確認する。

「何のことだか分からないな」


 それに対し、無駄だと分かっていながらも明後日の方向を向いてとぼける大黒。

 純は言葉での確認は無意味だと悟り、ズボンのポケットから札を取り出して結界に術を放った。


「火行符」


 炎をぶつけられた結界はあっけなく砕け散り、本来あるべき扉が姿を現した。

 純は何も言わずドアノブに手をかけて、その扉を開ける。

 ハクが何も持たず大黒の家に来たのもあって部屋の中は実に殺風景なものだったが、純はここは確実に女が居た部屋だということを感じ取っていた。

 そして今までと同様にそこら中を調べまわり、大黒のものではない長い髪の毛や少女趣味の手鏡を見つける。

 それだけでも十分だったが、最後にクローゼットも調べようとそちらの方に足を向けた。

 しかし今まで傍観するしかなかった大黒もクローゼットだけは死守しようと、クローゼットの前に仁王立ちして純の歩みを妨げた。


「そこをどいてくれませんか」

「それは出来ない相談だ。いや、実を言うとな、恥ずかしいから秘密にしておきたかったんだが俺には女装癖があって」


 ここにきてまだ言い訳を重ねようとする大黒の横をすり抜けて、大黒が止める間もなく、純は力任せにクローゼットを開いた。

 バっと中にある服を押しのけ小さく丸まっていた妖怪を目にした瞬間、純は札を取り出し妖怪を殺しにかかろうとした。


 だが、それだけは大黒が許さない。

「……兄さん、そこにいられるとそいつを殺せないんですけど」

 純は自分と妖怪の間に体を捻じ込んできた大黒を、無感情な瞳で見つめる。

「そりゃあ殺させないためにこうしてるんだからな。ここでどいたら俺の存在意義が無くなっちまう」

 大黒はにっと笑って、ハクを庇う。

 いきなりそんな状況に巻き込まれたハクはというと、これ以上事を荒立てないために口を挟まず静観することにした。

 そうやってハクが見守っている間に、二人の言い争いはヒートアップしていた。

「……っ! 兄さんはっ! ……兄さんはいつもそうです」

「いつもそうって、こんな姿初めて見せる気がするんだけど」

「目的のためには手段を選ばず、体を張って、最後には絶対に目的を果たしてしまう。いつもの兄さんです」

「……それはまた」


 買い被り過ぎだよ、とは言えなかった。大黒自身、自分がそんな人間であることは自覚していたからだ。


「協会の許可無しに妖怪を飼うのは重罪だと分かっていますよね」

「飼うなんてそんな……、俺たちは恋人同士だ。もっと対等な関係だよ」


 その発言にハクはつい大声で抗議しそうになったが、その前に純が爆発した。


「余計に重罪ですっ!! 妖怪との恋愛なんて共存派でさえも許していません! 目を醒ましてください兄さん! そこにいるのは人間では無いんですよ!? しかも兄さんが庇うということはそいつは九尾の妖狐でしょう!? だったら一も二も無く殺すべきじゃないですか!」

「はっはー、それがどうしたよ。世の中には動物と結婚した人だっているし、無機物と結婚した人だっている。それなら妖怪と結婚することだって大したことじゃないだろう」


 純の剣幕にも怯まず、大黒は笑って煙に巻こうとする。

 本当は余裕なんて一ミリも無いくせに精いっぱいに虚勢を張る大黒を見て純は思う。


(ああ兄さん……、私は兄さんのそういうところがとても大好きで、とても大嫌いです)


 そして少しの間だけ目を瞑り、自分の心を宥めてから再び話し出す。


「……平行線ですね。それで、どうするんですか兄さん。私は退く気はありませんよ」

「俺だって退く気はない。……そこで提案があるんだけど、聞く気はあるか」

「……どうぞ」

「このままだと膠着状態が続くだけだ。いずれは痺れを切らし、殺し合いにも発展するだろう。そうなることは俺だって極力避けたい。だからその前にルールを設けた勝負をしないか?」

「…………」

 純は視線で話の続きを促す。

「ルールは相手を殺さないこと、そして相手を行動不能にするか相手が降参したところで勝負は終わりだ」

「分かりました、それで負けた方のペナルティには何を考えているんですか?」

 ただ戦って負けたところで、状況は何も変わらない。その場は一旦退くことにするかもしれないが、しばらくするとまた純はハクの命を狙って襲撃するだろう。だからそうさせないためにも何かしらの制約をつけるであろうことはすぐに想像がついた。

「負けた方には勝った方と式神契約をしてもらう」


 式神契約。

 本来は陰陽師が屈服させた妖怪に対して行う契約行為である。契約を結ぶことになった妖怪は、主人である陰陽師の命令には絶対服従。

 喚ばれたらすぐに駆けつけ、盾になれと言われたら体を張って陰陽師を庇わなければいけない。陰陽師は強い妖怪や便利な妖怪を見つけて、屈服させると、契約を結ぶか殺されるかの選択を相手に突きつける。契約の効果は絶対で、妖怪がどれほど強い力を持っていようと、一度契約を結んだらその呪縛から逃れることは出来ない。

 この式神契約が人間間で結ばれる事態は非常に稀である。


「そうですね……、そうするしかありませんか。その勝負受けましょう」

 純は条件をすんなりと受け入れ、承諾の返事をする。

 そして大黒も純がそう返事することを分かっていたかのように話を進める。

「ここから東に五キロほど行ったところに大きな公園がある。今から十二時間後にそこで集合だ。人避けの結界は張っとくから近くに来たら分かると思う」

「はい」

 純はハクへと突き付けていた札をポケットへとしまう。

「お互い相手に隠しておきたい手もあるでしょうし、私は一度ここを離れてホテルでもとります。では兄さん、また十二時間後に会いましょう。……そこの薄汚い女狐、戦いが終わったらすぐにお前を殺しに来る。首を洗って待っていろ」

 そんな言葉を残した純は、ハクの部屋から出ると、リビングに置いてある自分の荷物を持って玄関へと向かった。

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