第19話 ババアは僕の身体を洗ってはいけない




 逃げだそう。


 逃げ出したい。


 絶対に逃げたい。


 そうは思ってもこの狭いお風呂場から逃走するなんて事は、ミッション・インポッシブルだ。


 前にいるババアを突き飛ばした後、後ろにいる西念さんを押しのけて、脱衣所へと出る。


 そんな暴力的な事、僕にはできない。


 なので、ここはじっと事が終わるのを待つしかない。


「人の身体を洗うって初めてだから上手くできるかどうか分からないけど、おかしかったら言ってね」


 ババアが恥じらいにも似た面持ちで僕を上目遣いで見やる。


 そんな表情されても……ねえ?


「そもそも人の身体を洗おうとしている時点でおかしい」


「よくある事だと思うんだけど」


「ないって」


「よくはありませんけど、たまにはありますよ」


 僕とババアのやり取りに、西念さんが割って入ってきた。


「え? そうなの?」


 僕は振り返って西念を見た。


 嘘を言っている様子はなくて、


「田舎にいった時、祖母の背中を毎日流していました。私といっぱい遊んでくれたお礼としてですが……」


「そういう事なのね」


 おばあちゃんの背中を流す西念さんの姿が頭の中で想像できた。


 そういう事をしていても不思議ではない子だ。


「なので、私と友達になってくれたお礼です。背中を流すのは」


「……う、うん。うん?」


 お礼をしないといけない事なのかな、友達になるっていうのは?


 そこまで凄い事をしたっていう実感がないのだけど。


「ほらほら、西念さんもそう言ってくれているんだから暦ちゃんはもう観念しなさい」


「観念って……」


 僕は西念さんから顔を逸らして、真正面にいるババアに視線を移す。


「嫌がっているでしょ?」


「そりゃそうだよ。人に身体を洗ってもらうなんて有りない。僕みたいな引きこもりがこんな展開になるなんて夢オチか、集団幻覚の一種でしかないとしか思えないんだ」


「事実は小説よりも奇なり、だよ。人の頭の中で思い描いている世界以上の事って意外と起こるものなんだよ」


「それがこの状況なの?」


「そう、そう」


 ババアがタオルにボディソープをつけて泡立て始める。


「それではいきますね」


 背後から西念さんの声がして、僕の背中に何か柔らかいものが押し当てられ、ゆっくりと上下させ始める。


「そうじゃ、お姉さんも」


 仁奈が僕の左手を掴み、痛くしないように優しく持ち上げるなり、泡だったタオルをのせて、筆で何かを書くように丁寧に上下させ始める。


「痛くないかな?」


「別に……」


「なら、良かった。人の肌って敏感だったりするっていうし、心配しちゃった」


 左腕が泡だらけになってこれで終わりかと思ったら、脇の方にまでタオルをいれてくる。


「ちょ、ちょっと!」


 脇の下はさすがにくすぐったくて腰を浮かせると、


「暴れない、暴れない」


 と、ババアにたしなめられるように言われたため、口答えする気も失せてしまって僕は腰を落とした。


 脇の下を軽くすかれるように洗われると、左腕が解放された。


 そして、右腕に手が添えられて、同じようにタオルで拭われていき、右脇も同じように綺麗にされた。


 もう僕は抵抗できなくなっていた。


 どうしてなのかは分からないけれども、反抗する気概さえ失ってしまったかのようだ。


「……あっ」


 前にばかり気を取られていたせいで、柔らかいものが僕の尾てい骨に当てられた瞬間、変な声を出してしまった。


 しまったと思うも、時すでに遅し。


 ババアが西念さんがどこを洗おうとしているのか見て、にんまりと微笑んで、


「暴れちゃダメだよ?」


 掴んだままだった僕の右腕をババアがたぐり寄せながら、身体を近づけさせてくる。


 仁奈の顔が目と鼻の先まで来ても、思いとどまったりする事をせずに、僕と身体を密着させた。


 それはまるでババアが抱きついたかのように。


 肌のしっとりとした柔らかさ。


 それに何よりも、人肌の温もりが僕の緊張感やら何やらを速攻で解きほぐしてしまい、全身から力がすっと抜け出て言ってしまった。


「今のうちに」


 いや、これは抱きつかれたのではない。


 僕の身体を前にさせて、腰を浮かさせたんだ。


「はい。すぐに終わりますからね」


 西念さんの手の動きが見えない。


 けれども、僕のお尻の間にタオルが入ってきて、洗い始めたのだけは分かった。


 そ、そこまでするのかな……。


 そこは一番汚いはずなのに……。


 だ、ダメだって、そこは……。


 西念さんが洗ったりなんかしたら、穢れるって……。


 数日間もろくに洗ってしない汚物だらけの場所なのに……。


「……ぅぅ」


 僕は何もできなくなっていた。


 恥ずかしさばかりが先行してしまって、身体が運動機能を停止したようになっていた。


 とある場所を除いては……。


 そこは何故かババアが手にしていたタオルがいつのまにかかぶさっていて隠れてしまっているのだけど。



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