【Phase.7-12】渇望の先に、拓かれたセカイ

 ――とぷんっ…………。



 空より墜ちていた筈が、慮外千万りょがいせんばんにも液体へと沈む感覚に変わり、リーゼはその内で揺蕩たゆたう。

 刹那、時の刻みは止まってしまったのだろうか? 彼の墜ちゆく感覚は消失していた。



『何、コレ? 走馬灯的なヤツ……とかじゃなさそうだケド』



 迷い込んだ時の狭間。

 虚実さえも不確かな現在イマ


 ふと見渡せば、その液体は海――翠玉エメラルドグリーン色に染まる果てなき大海原が何処までも広がっている。

 そして先程まで視界いっぱいに煌々と輝いていた夜の街も失われておらず、今は海底都市さながらにみどりの深くへと沈んでいた。



 只管ひたすらと戸惑うばかりのリーゼだったが、先程まで渦巻いていた心は、何処かを覚えるこの海に揺られて落ち着きを取り戻し――そして、心の在処とされる『感覚質クオリア』が、『記憶』に無くもを海中にて受け取った。



『――打ち破りたいモノがあるなら、世界に【リンケージ】したまえ。ならば可能なのだから』



 少し年配であろうかと思われるその声。

 リーゼは彼 (?)の声に疑義も唱えず、かなりネイティブに発音された一つの【単語】のみを反芻はんすうする。



「【リン、ケージ】……?」


『そう。此処は【リンケージ】に至る「扉」とでも言おうか。キミは此の場所を知っている筈だよ』


「……」



 【リンケージ】なる名称は知らず、彼の言葉に問いもせず。それでも彼の言うように、リーゼの深層意識は確かに目の前で起こっている事象を理解していた。

 もっと云うなれば、と思えた時点から、この海を……「扉」を開けば今の困難や不条理さえも打破できる、という事を理解していたのだ。



『……答えは聞かずとも良いね。前回はだった為に無意識で扉を開いたが、今回はキミの意識下フルコントロールだ。存意のままに使いたまえ――』



 リーゼの思考を読み取ったかの様に告げた男の台詞。

 思えば誰なのか問いもせず、10年ぶりとは何の事かも解らず。

 ただ、旧知のように話していた男の声は海の向こうへ――水泡となり消えてしまったのだ。



アタシは、世界と【リンケージ】する……」



 独り、確めるように呟いた。


 この言葉の直後、エメラルドの海は弾けて消え、が動き出した。



 ≫ ≫ ≫



 停滞していた刻は動き出すと、再びリーゼの身体は空から落ちてゆく。



 ――否、意識だけが内なる深層の海へとコネクトしただけであり、実際の身体は落下し続けていたのだろう。

 先程に弾けた一面の海は、一滴の残滓ざんしさえ残していない。あれは『感覚質クオリア』が描いた夢想であったのだろうか?



 ――断じて否。

 答えは既に、リーゼの「瞳」に映し出されているのだから。



『これは――のセカイ!』



 眺めの一つ目、街灯りたちが彩る夜の景色。


 見える二つ目、雨粒に濡れた硝子張りの排水機場。


 捉えた三つ目、硝子の向こう側で此方に気付かずに佇むカムイ。


 向かう四つ目、落ちてゆく先に見える嘆きの大地。



 それら全てが、先程までとは違う色をしていた。

 アナログカメラのフィルムで見たような、ネガポジの反転した単世界。



 ――そしてβテスト初日、リーゼが『グライロウ』との戦いで迷いこんだイデアルな世界が此処だ。


 全てがスローモーションで動く中でリーゼだけが「等速」という、他者に不条理・不平等なる世界への変革……そして以前同様、唯一この世界に縛られないリーゼの瞳には金色カナリアの焔が立ち上っていた。



『【リンケージ】の和訳は【連理れんり】、だったか。の世界との世界……二つが繋がるから?』



 少し悠長とも思える連想的な疑問であるが、リーゼの身に起こっている現状が思考を許容するだけの時間的マージンを享受させてくれる。


 落下は今も継続中。

 本来であれば時速50キロメートル付近に達しているポイントに居るのだが、リーゼの現体感では時速4キロメートル(歩く速度ほど)にも満たない緩やかな速さだった。


 けれども、リーゼの思考と身体だけは「等速」で挙動するその不可思議な感覚。

 その所為だろうか? 自身ではなく、空そのものが地上へと墜ちて来ているような錯覚さえある。



『いや……解んない事は後だ。今は一点を狙い撃つ!』



 ――何をトリガーとして【リンケージ】が発動したのか?

 そもそも【リンケージ】とは一体何なのか?


 今は解らない。


 だが、飛び降りた事実は変わらず、未だにスローモーションながらも落下を続けている。

 そして遅回しで進むこの時計の針にも、遠くない内に終わりは来るだろう。


 不得要領は傍らへ、機は逃せない。

 逃すわけにはいかない。


 故に黄金に輝くリーゼの瞳は、硝子の向こう側……カムイが乗るエレベーターのワイヤー部を見据え、左手に握る愛銃アリステラの銃口照準を狙い定めた刹那だった。



 リーゼの瞳よりひとつの金色線が伸びゆくと、それはワイヤーのを指し示した。


 現在、時の流れが遅い世界へと身を置いている為か『感覚質クオリア』が……即ち五感の全てが鋭敏となっていたリーゼには見えたのだ。示されたその場所のみがワイヤーの磨耗具合が激しく、細かな金属繊維スレッドがささくれ立って脆弱になっているのを。

 付随して切断までのビジョンが脳に刻まれ、未来視のように映し出す。



『ソコを狙え、って事か……『ラプラスの悪魔』にでもなった気分だね』



 未来視の力を持ち、量子力学によって封印されし『因果律の悪魔ラプラス』を思い浮かべたリーゼ。

 彼は瞬間のみ自嘲しつつも、未来の確定を垣間見た金色の瞳で狙い定め、赤銃アリステラを構えた。


 先程の風の煽りや落下抵抗も『リーゼだけの世界』では徒歩時と同程度にしか無いため、平素と何ら変わらずに動ける……物理的にも精神的にも、彼を阻む障害はもう何もない。



「撃ち抜くッ!!」



 ――リーゼは赤のトリガーを絞り、放たれるは現在イマを切り拓く未来への赤光。


 その光弾は垣間見た未来のとおりに弾道をなぞり、至極当然とばかりに事もなく硝子を……その先のワイヤーをも貫いた。



──────────────────────────────



「うぉ!! なんだなんだっ!?」



 エレベーター内で悠長に夜景を眺めていたカムイだったが、退きならぬ事態が彼を襲った。


 硝子を破る音とともにエレベーター全体が微かに縦揺れし、直後には吊っていたワイヤーは切断。

 彼は箱内で為す術も無く、地上の重力へと引かれてゆく。



 きっと動揺からだろう。

 エレベーター動力部に刺していたキャリバーを今更ながらに引き抜くと、虚空へ……存在せぬ敵へ向けて無意味にも剣を構える。



「なぜだ!? どうして!? 俺様はただ――」



 ――先程までは悠長に夜景を眺めていた筈。


 ――この場所には排水路へ水を流すというフェイク目的で来ただけだった筈。


 ――リーゼがコチラの動きに気が付くだろう事を見越し、チーム分断のために誘いだす簡単な役割だった筈。


 ――即死を喰らわぬ様、奇襲対策でパワードスーツだって準備し、装備だって勝つための指示に従った筈。


 ――しかし、まさかのチカが死亡。ここへは保身とタイムオーバーのDraw引き分け狙いで、最後の指示を受けて来ただけの筈……なのに。



「なのに……なんでだよぉぉぉおおおっ!!」



 事解じかいの出来ぬ絶叫とともに、彼は望まぬ地上へと抱かれに向かって行った。

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