第5話「開かずの魔・後編」

開かずの間の一件から一週間が経った。


あの日以来、小夜子さんは余程気にしているのか、俺の顔を見る度に申し訳なさそうに謝ってくる。

心配されるのは嬉しいが余り気を使われるのも、こちらとしても申し訳なく思ってしまう。


それにしてもあれは何だったのだろうか……。

思わずあの部屋に足を踏み入れてしまったあの瞬間、突然俺を襲った謎の違和感。

凍り付く様な寒気、吐き気と目眩、そして脈絡も無く感じた死への願望。

暗示でも掛けられたかのように俺は部屋を飛び出し、部屋に戻り包丁を手に持ち自らを……。


思い返し身震いするかのように俺は肩を竦めた。


「はあ……」


溜息をつきベッドに倒れ込む。

天井をぼおっと眺めながらあの時の小夜子さんの顔を思い浮かべた。

必死な形相で俺を呼び抱き寄せてくれていた。


「心配……かけたよな」


ふとベッド脇の時計に目をやる。


時刻は午後四時。


俺はベッドから起き上がると、思い立ち部屋を飛び出した。

これ以上小夜子さんに心配かけるのはやはり忍びない。

少しでも元気を出して貰えるように呑みにでも誘ってみよう。


薄暗い廊下に出て階段を掛け上る、その時だった。


「お兄ちゃん、急いでどこ行くの?」


「え?」


上から聞こえた声に顔を上げるとそこには、


「子……供?」


そう、階段を上がった先にいたのは、小学生くらいの少年だった。


「聞いてんじゃん……どこ行くの」


赤熱灯に照らされた少年が不気味な笑顔を浮かべた。


「か、関係ないだろ、急いでるんだ」


このアパートに子供なんていたか?

正直部屋数はけっこうあるのでその辺は把握できていない。

倉庫代わりに借りている人もいると聞いた事もあるし、住んでいるのが人であるかも疑わしい。


などと考えながら少年を無視して階段を上った時だった。


「あ……れ?」


体がピクリとも動かない。

足を引っ掛けたのかとも思ったが違う。

指先すら動かせない、目すら瞬きできず見開いたまま。

動かせるのは口だけ……。


何だ……これは?


突然の事に理解が追いつかない。


「無視は良くないよお兄ちゃん。僕無視されるの嫌いなんだ。クラスの連中みたいにお兄ちゃんも酷い目にあいたいの?」


愉快そうに少年は言ってきた。

背後から階段を降りる音がする。


「な、何がっ!?」


「もういいよ動いて」


「えっ?うわあっ!?」


少年の一声で、全く言う事を効かなかった体がいきなり動き出し、俺は体勢を崩したせいでそのまま階段を踏み外し階下に転げ落ちた。


「いてえっ!!」


そんなに高くない場所だったとはいえ、身体中をしこたま打ち付けたせいであちこちに激痛が走る。

痛みに顔をしかめていると、少年が俺を見下ろし、口端を歪めながら口を開いた。


「悪い子には天罰が下るんだよ、お兄ちゃん」


少年は笑みを浮かべ、それだけ言い残し去って行った。


上の方からドアが勢い良く開く音がし、誰かが駆け寄ってくる。


痛みを堪えながら顔を上げると、


「学生さん!?」


小夜子さんだ。


驚き心配した顔で階段を急いで降りてきた。


「大丈夫!?立てる!?」


「あ、はい……まだ痛いけど、折れてはないみたい」


「何があったの!?」


「じ、実は……」


俺は事の一部始終を伝えると、小夜子さんに連れられるまま彼女の部屋へと連れていかれた。


手当をするからと肩を貸され部屋の中へと上がると、そこには中年の女性が一人、テーブルの前に座っていた。


誰だ?

やはり見かけた事がない顔。

お客さんだろうか?


「あ、あのお客さんが、」


「いいから座って、早く」


「な、何怒ってるんですか?」


「怒ってない!早く座る!」


「は、はい!」


こんな小夜子さんは初めてだ……。


驚き戸惑っていると、中年の女性が慌てて俺に丁寧に頭を下げてきた。


「は、初めまして、竹山といいます……今日からこのアパートでお世話になる事になりました、何かとご不便お掛けする事もあるかもしれませんが、どうか息子共々よろしくお願い致します」


俺は畳に腰を下ろし竹山と名乗った女性に頭を下げ返した。


「あ、ご丁寧にどうも、僕は、」


「ほら背中見せて!」


「痛っ!」


自己紹介しようとしたところを、小夜子さんに背中を触られ思わず声を挙げた。


「も、もうちょっと優しくお願いします小夜子さん……」


「ご、ごめんなさい!痛かった?大丈夫?」


心配そうに俺の顔を覗き込んでくる小夜子さん。


こ、これはこれで有りだ。

怪我の功名ってやつだろうか。


「あ、あのう、何処かお怪我されたんですか?」


竹山さんも心配そうに尋ねてきた。


「ははは……ちょっとそこの階段で」


「おたくの息子さんにやられたみたいですね……」


「ちょ、小夜子さん?」


背後で手当をしてくれていた小夜子さんが冷たくそう言い放ち、俺は慌ててそれを制した。


いや、待て、おたくの息子さん?

じゃあさっきの少年は竹山さんの?


「うちの子が……!?」


竹山さんは青ざめた顔でそう言って口元を両手で覆っている。


「実はその事で竹山さんから相談を受けていたのよ……」


「そ、相談って?」


そう聞くと、小夜子さんは竹山さんの方をちらりと見た。

竹山さんはそれに僅かに口を震わせながら頷く。


「実はね学生さん……」


小夜子さんはそう言って、竹山さんから聞かされた相談事を俺に話して聞かせてくれた。


竹山さんは元々旦那さんと息子さんの三人で都内に住んでいたらしい。

夫婦仲も良好で、なんの不自由もなく、家族三人仲良く暮らしていた。

だが、ある日息子さんが大病を患い、病院で手術を受ける事になった。

元々心配性だった奥さんはいても立っても居られず、あらゆる事を試したのだという。

それこそ怪しい霊媒師にお願いしたり、有名な神社等にも足を運び手術が無事成功するようにと旦那さんと一緒に祈ったそうだ。

そして手術当日、やはり落ち着かない奥さんは、何か出来ることは他にないかと病院に向かう途中、車内で考えていた。

その時、たまたま通りかかった古びた神社が目に止まったそうだ。


長い間手入れがされてないせいか、至る所が傷んでいたそうだが、それでも祈らずにいられなかった奥さんは、その神社で祈ったそうだ。


その時、何か嫌な悪寒がしたそうだが、奥さんは構わず必死に祈り続けたのだという。

そして車に戻ると、二人は急いで病院へと向かった。


結論から言うと手術は無事成功した。

だが、その日から徐々に何かが狂い始めたという。


始めに気が付いたのは旦那さんだった。

雄一の様子がおかしい……と。


まず退院してからというもの、雄一君の食べ物の好みが変わった事。

それだけなら別に良かったのだが、やたらと生物を好んで食べる様になり、遂には冷蔵庫にあった生肉を盗み食いしている所を目の当たりにし、旦那さんが雄一君を激しく叱りつけたらしい。

しかし、今まで両親には素直に言う事を聞いていた雄一君が、その時だけは旦那さんを憎悪の目で睨み返してきたのだとか。

それからも雄一君の奇行は続いた。


突然部屋の中で暴れ始めたり、庭で蝶々を捕まえ、両親の前で残酷に分解しだしたり、吠えてきたからという理由だけで近所の犬を蹴り飛ばしたりなど、ご近所トラブルにまで発展してしまった。


そしてその影響は家だけではなく、雄一君が通う学校にまで及んだ。

一人目の犠牲者は、クラスでも人気者だった子だった。

体格も良く、昔で言えばガキ大将みたいな子だったようだが、休み時間中、その子が雄一君をからかった瞬間、彼は突然クラスメート達が見ている目の前で、二階の窓から飛び降りたのだという。


二人目は雄一君とは仲が良かった男の子。

学校に持ってきていた漫画を雄一君に貸してくれと言われ、それを彼が断った瞬間に事件は起きた。


男の子は突然教室の中を走り回り、壁に備え付けられていた鏡に額を叩きつけ始めた。

周りの友達が必死に止めようとする中、彼は


「助けて!」


と何度も叫びながら、血だらけの頭を鏡にぶつけ続けたのだとか。


こうして事件は起こり続け、やがて自体を重く見た学校側は、雄一をしばらく自宅で様子を見てほしいと、事実上の停学処分を突き付けてきたのだとか。

その時からはもう旦那さんも雄一君を薄気味悪く見ていたらしく、やがて家族の間にも亀裂が生まれ、奥さんはいても立っても居られず、雄一君を連れて家を飛び出したそうだ。


そして、どんな訳ありでも二つ返事で入居させてくれるこのアパートに流れ着いたというわけらしい。


「息子がご迷惑をお掛けしてしまいなんとお詫びしていいか……本当に申し訳ありません」


竹山さんはそう言って何度も頭を下げてきた。


「いや頭を上げてください!怪我も大したことなかったし竹山さんが謝るような事じゃ」


「何が大した事ないよ、打ちどころ悪かったらどうするの」


やっぱり小夜子さんはまだ虫の居所が悪いようだ。


「し、しかし雄一君にいったい何があったんでしょうね、ね、小夜子さん!」


はぐらかす様に言うと、小夜子さんはため息をついて口を開く。


「心当たりがないわけでもないけど」


「ほ、本当ですか!?」


竹山さんが身を乗り出すようにして小夜子さんに聞き返す。


「さっき、学生さんが来る前に竹山さんにその神社の場所詳しく聞いたよね?」


「は、はい」


「あそこ、あまり良い噂は聞かないわ」


「小夜子さんはその神社の事知ってるんですか?」


俺が聞くと、小夜子さんはゆっくりと頷いて見せた。


「場所も一緒だしたぶん間違いない。確かそこの管理をしていた人、夜逃げ同然で町から逃げ出したんだって」


「よ、夜逃げ?」


「ええ、管理者が借金で首が回らなくなったらしくてね、神社はそのまま放置よ。他に管理してくれる代わりもみつからなくて、町も市もどちらが負担するか睨めっこ、取り壊しを検討してるって話もあるわ」


「でも、それと雄一君と何が関係あるんですか?」


「神社っていうのは何もご利益だらけの神様ってわけじゃないの、中には荒御霊といって荒魂、和魂といって祟り神のようなものも祀られてる事もあるのよ」


「た、祟り神……」


そう呟いた竹山さんの顔が更に青ざめていく。


「祟り神でも、正しく奉納し正しく管理していれば、仇名すどころかちゃんと守護してくれたりもするんだけどね」


「じゃ、じゃあその神社は……?」


恐る恐るそう聞くと、小夜子さんは項垂れるようにして頷いた。


「残念ながら……ね。全部の神社がそうなるとは限らないけど。今回はそれも当てはまらないみたい」


「息子は……雄一はどうなるんでしょうか!?」


縋る様な顔で竹山さんは小夜子さんに尋ねた。


無理もない。息子のために怪しい霊媒師に頼んでしまうような人だ。気が気ではないのだろう。


「相手が相手だもの、流石にねえ……」


「そんな小夜子さん、何か方法ないんですか?例えばそう……より強い神様にお願いするとか!?」


「あのね、困ったときの神頼みなんていうけどそうほいほい……」


すると、喋りかけていた小夜子さんが突然何か思い出したかのように黙り込んでしまった。


「小夜子さん?な、何か思いついたんですか?」


「学生さん、それよ……」


ぼそりと呟くように小夜子さんが言った。


「そ、それ?」


「より強い神様よ」


「いるんですか!?」


「ええ、このアパートにね」


「なるほど、ここにそんな神様が居る……えっ?ここに!?」


思わず驚き聞き返す俺に、小夜子さんは怪しく微笑みながら耳打ちしてきた。


「はあ?い、いや、そ、それはちょっと」


流石にそれはどうなんだと首を何度も振って見せたが、小夜子さんはやる気満々の笑顔だ。


やるしか……ないのか。


頭に?マークが浮かんでそうな竹山さんを置いて、俺は小夜子さんが聞かせてくれた作戦を実行すべく、部屋を出ることにした。


部屋の前で小夜子さんと別れると、俺は件の少年を探しに階段を降りようとした、が、


「あれえお兄ちゃんまたあ?」


声がしたほうに振り向くと、あの少年が端にある壁側からこちらを覗き見るようにして立っている。

にやにやと薄気味悪い笑顔をこちらに向けながら。


心音が早くなっていくのが分かる。

緊張で手に汗を感じつつ、俺は意を決して口を開いた。


「き、君を探していたんだ」


「僕を?何々?何か面白い事?」


少年は興味を持ったのか、廊下の端からこちらに近づいてきた。


思わず後退りしそうになったが、俺は歯を食いしばった。


こいつを小夜子さんの元まで連れて行かないと……。


「さっきの仕返しをしようと思ってね」


言いながら必死に皮肉っぽく笑みを浮かべて見せた。


「ぷっあはははははははは!お兄ちゃん面白おい!」


「やられっぱなしじゃ気がお、収まらないしな……上の階に空き部屋があるんだ、そこまでちょっと顔貸してくれよ」


「空き部屋あ?僕はここでもいいんだけど……そうだね、お兄ちゃん大人だもん、子供いじめてるとこ何て人にみせられないよね、良いよ」


少年は余裕の笑みを浮かべ、こちらを見てにやついている。

絶対的強者の笑みだ。

どう足掻いても俺に勝ち目はないのだろう。

でも今はそれでいい。


「こ、こっちだ」


そう言って俺は階段を慎重に登り、少年を小夜子さんが待つ場所まで案内した。


四階と書かれた錆びれたプレートを視界に確認し、廊下へ曲がり先を進んでいく。

少年は素直に着いて来てくれているようだ。

やがて俺は件の部屋の前で立ち止ると、小夜子さんとの打ち合わせ通り扉を開いた。

中には決して入らず、なるべく中も見ないようにして。


「その部屋?」


少年が俺の横に立ち止り俺に尋ねてきた。


「あ、ああ」


おかしい、小夜子さんの姿が見当たらない。

辺りをきょろきょろと見渡す。

だがその時だった。


「なあんか怪しいなあ、お兄ちゃん先に入ってよ」


「なっ!?」


突然体に異変を感じた。

あの時と一緒だ。

少年と初めて顔を合せた時、階段を上がろうとして金縛りに合ったあの時と……同じ。

しかも今度は口すら動かせない。


やばい……この中に入ったら俺は!?


「いいからずベこべ言わずに入れくそがき」


──ドンッ


「うわっ!?」


少年が突然声を挙げながら部屋の中に吹き飛ばされた。


視界の端で僅かに見えたのは、小夜子さんの姿だ。

片足を突き出し喧嘩キックの様な姿。


こ、子供を蹴り飛ばしやがった、この人……。


小夜子さんはそのまま部屋の扉を閉め鍵をかけ始めた。


俺はハッとして自分の両手を目の前にかざした。

体が動く。


「と、解けた」


ホッとしながら呟くと、俺は慌てて小夜子さんに振り替える。


「せ、成功ですかね!?」


「うん」


そう言うと小夜子さんはブラウスの隙間に手を入れ胸の隙間から煙草を取り出した。


相変わらずどこに閉まってるんだこの人は。


ゴクリと喉を鳴らす俺の目の前で、小夜子さんは煙草を美味そうに吸い込み、ふうっと煙を吐いた。


モクコクと立ち昇る煙が、扉にある滝村と書かれたネームプレートに吹き掛かる。


そう、ここはあの開かずの間、滝村さんの部屋だ。


以前俺が間違って足を踏み入れ、とてつもない死の願望に誘われた件の部屋。


とても神様何て呼べるものではないが、より強いもの、つまり目には目を、歯には歯をという小夜子さんなりの解釈なのだろう。


「滝村さんって何者なんですか?多分ですけど……人なんていないですよね?」


「うん」


小夜子さんが短く返事を返す。


素朴な疑問だった。


居るはずのない住人。

薄々だが気が付いてはいた。

開かずの間、しかもこのアパートだ。

絶対に何かある。

踏み入れてはいけない理由が。


すると、小夜子さんはため息と共に煙を吐き出し、ゆっくりと重い口を開いた。


「学生さんにならいっか……滝村さんはね、とある村の霊媒師だったの」


「れ、霊媒師?」


「そっ、本物のね」


「本物……」


何を定義して本物と呼ぶのかは分からない。ただ世間一般的に聞けば怪しいなどと、うさん臭さが付き纏う。

けれどあの小夜子さんが言うのだから、何かしらその意味があるのだろう。


「滝村さんは村の相談役としてそこに住んでた。村に住む人たちの悩みを聞いて、そのお礼として食べ物やお金をいただいていた。といっても僅かばかりのね。決して人の弱みにつけこんでどうこうする人じゃなかった。時には病すら完治させたこともあったらしいわ。村の人達もそんな滝村さんに感謝して、村の相談役というよりは守り神のように崇めていた。でもある日事件は起きたの……」


「事件?」


聞き返す俺に小さく頷き小夜子さんは話を続けた。


「ある日村の代表者が内々に話があると相談を持ち掛けてきたの。滝村さんはいつものようにそれを快く受けた。でも、それは滝村さんが耳を疑うような話だった……ある人物を呪い殺して欲しいと」


「の、呪い殺す?」


なんだそれ、呪い殺すなんてそんな事……。


「当時、村にはよく問題を起こす人がいたらしいわ。元暴力団か何かしらないけど、組でへまをやらかして実家があった村に逃げてきた奴なんだって。酒癖も悪くてよく村の人達と問題を起こしてたそうよ。若い女性に手をだそうとしたり、言いがかりをつけて金品を巻き上げようとしたりね。村には若い人が少ないから、そいつを怖がって誰も逆らえなかったみたい。警察にも相談したけど、事件性を立証できない限りは話し合いでどうにかするしかないって門前払いされたそうよ。ほとほと困って、村人たちも切羽詰まってたみたいね。誰も本気で呪い殺せるなんて思ってなかったんでしょう、でももう皆頼ざるを得なかった。これまでの様に、滝村さんにね」


「た、滝村さんはなんて返事を返したんですか?」


「わかりましたって」


「しょ、承諾したんですか?」


「小さな村だった。外界からも遮断されていて、とても一人で生きていける環境ではなかったの。現代でも、村八分にされて追い詰められた人が殺人事件を起こしてしまうくらいよ、一昔前ならまだそういったことも多々あったみたいね。滝村さんもその一人だったのよ。村人のためを思い村を守っていたつもりが、いつの間にかそうしないとこの村で生きていけない自分に気が付いたの。滝村さんには一人娘がいてね、旦那とは別れていたけど小さな孫もいた。滝村さんには守るべきものがあったのよ。そして、滝村さんは自ら自分の手を汚す事を選んだ……」


「じ、実行できたんですか?呪いなんてそんな」


「言ったでしょ、本物だって。やり方なんて知らないわ。それをどこで学んだかも、でも滝村さんにはそれができた。翌日、例のやくざ崩れは、包丁を腹に突き立てて亡くなってたそうよ」


「せ、切腹ですか……」


「酒や薬まがいのこともやってたらしくてね、警察も早々と事故の線で片づけたみたい。けれど、そこからが本当の事件の始まりだった」


「本当の……事件」


ゴクリと息を飲み聞き直すと、小夜子さんが持っていた煙草から溜まっていた灰がぼとりと地面に落ちた。


「その日から、滝村さんを見る村人たちの様子が変わったの、まるで恐れるようにね。そして口々に皆こう言い始めた。『逆らえば自分達も呪い殺される』ってね」


「そんな!自分たちがそう望んだんじゃ!?」


「言ったでしょ、誰も本気で呪い殺せるなんて思ってなかったのよ、ただ楽になりたかった、以前の平穏な生活に戻れればそれで良かったの。でも違ったの、望んではいたけど望まない結末、村人たちはその重責に耐えられなかった。やがて噂はどんどん酷くなり、滝村さんがあいつを殺したと噂されるようになった。やがてその噂をききつけた警察は、滝村さんに任意の事情聴取を取ろうとしたの。だけど当時七十を超えていた滝村さんにそんな体力はないわ。そこで起きてはいけない事が起きてしまった」


「起きてはいけない事?」


「ええ、娘さんが警察に自首したのよ、自分があの人を殺しましたってね」


「そ、そんな馬鹿な!」


「もちろんね。でも考えてみて、七十を超える年寄りに殺し何てできると思う?しかも相手は元とはいえヤクザだった男。娘ならあるいわって警察も考えるわ」


「だ、だからってやってもいな罪をかぶるなんてそんな……」


「娘さんは滝村さんのおかげで生きてこられた、幼い子供と共にね、自分が犠牲になれば村人も少しは理解を取り戻してくれるかもしれない、そうすれば、自分の娘もこの村で生きていけるかも……そう思ったんでしょう。娘さんは警察署で自供したのちに、自ら命を絶った」


「なんだよそれ……」


他に何かうまいやり方があったはずだ。

今なら行政だって力になってくれる、本当にどうにかならなかったのか?

自問自答を繰り返す。

だが、当時そこに実際に暮らし追い詰められた人間でなければ分らない事もある。

俺なんかでは推し量れない事もたくさんあったのかもしれない。


それでも……。


悔しさや悲しみといった複雑な気持ちが入交り、俺はこぶしを強く握り締めた。


「そしてここからが笑える悲劇よ」


そう言うと、小夜子さんはかすかに唇を歪め話を続けた。


その様子に思わずゾクリとしながら俺は耳を傾けた。


「村人たちが次々と原因不明の病に倒れていったのよ。一人また一人とね。国が重い腰をあげた頃にはもう村の半数近くが亡くなっていたわ。詳しく調べても原因はつかめない、そんな時、誰も近づこうとしなかった滝村さんの家からあるものが発見された」


「何が……あったんですか?」


聞きたくなかった。でも何となくだが、小夜子さんは最後まで聴いてほしいと願っている。

そんな気がした。


「滝村さんの遺体よ。毒物による自殺。部屋の畳には、和紙が一杯散らかっていたらしく、その一枚一枚に、村人たちの名前が、滝村さんの血文字で書かれていたんだって。原因不明の流行り病だけでも大事だったからね、滝村さんの自殺は詳しく報じられなかったみたい。村は壊滅、もともと小さな村だったからね、誰の記憶にも残らない。今じゃ村何て市に吸収合併されちゃう時代だから、名前も変わっちゃってるだろうし、ね?笑える悲劇だったでしょ?」


「わ、笑えませんよそんなの!村人たちも可哀そうだけど、滝村さんの無念を思うと何て言ったらいいか……」


「いいのよ、その方がお祖母ちゃんも浮かばれるわ」


「いや、だから小夜子さんのお祖母……お祖母ちゃん!?」


その時だった。


──ギィィィ


扉がひとりでに開いた。


「雄一君!?」


思わずそう言って中へ入ろうとする俺を小夜子さんが引き留めた。


首を横に振った後、小夜子さんは中へと足を踏み入れていく。


その様子を固唾をのんで見守っていると、暗闇から雄一君ひきつれた小夜子さんの姿が現れた。


「眠ってる……代わってもらっていい?」


言われるまま慌てて雄一君を俺は抱きかかえた。


扉を閉める小夜子さん、その僅かな隙間に、部屋に座る老婆の様な姿が一瞬見えたような気がした。


ぶつぶつと、何かを呟いているような姿を。


その後、部屋に戻った俺たちは、目を覚ました雄一君と感動の再開を果たす竹山さんを目の当たりにする事ができた。


雄一君はほとんど記憶を失っていたらしく、お父さんは?と、泣いている母親に質問を繰り返していた。


何度も何度も頭を下げタクシーニ乗って去っていく竹山さん家族を見送りながら、小夜子さんは、


「あああ、カモを取り逃がしちゃった」


などと捨て台詞を吐いていたが、その表情はどことなく嬉しそうに見えた。


見送りを済ませた俺たちは、今回のお礼とお詫びもかねて小夜子さんに屋上で飲もうと誘われ、夕飯を済ませ俺は屋上へと向かった。


屋上の扉を開け、足を踏み入れる。

街の騒音も、春の優しい夜風が吸い取っているかのように、どこか丸みを帯びて響いてくる。


月が綺麗だ、なんて浮ついた言葉すら自然に口からでてきそうな程、見事な満月だった。


手すり近くには人影がポツリと在った。

小夜子さんだ。


煙草を吸いながら片手に缶ビール、すでに一人で始めているようだ。


「いらっしゃい、学生さん」


こちらに振り向いた小夜子さんが、置いてあったクーラーボックスから缶ビールを一つ取り出し、それを僕に投げてよこした。


「おっと、頂きます」


缶蓋を開け小夜子さんの隣に並ぶと、互いの缶を軽く合わせてビールを口に流し込んだ。


「ふう、美味い!」


「ふふ、良い飲みっぷりね、たくさんあるから遠慮しないでね」


「はい!」


勢いよく持っていた缶を飲み干し、二本目を手に取る。


「ねえ……学生さん」


「はい、何ですか?」


「もう一年たったんだよね……?」


「あ、はい。早いものですよね。友達の借金の肩代わりにここに住む事になって、約束の一年もあっという間ですよ」


「そっか……ようやく自由の身……だね、次の引っ越し先はもう決まったの?」


「何言ってるんですか?引っ越す気ないですよ、俺」


さも当たり前のように俺は答える。


「えっ?」


「いやだから引っ越しませ、」


「じゃなくて、なんで引っ越さないの……?」


小夜子さんが持っていた煙草が、滑り落ちるようにして地面に転がった。


「何でって……小夜子さんがこのアパートを離れられないのって、お祖母ちゃんの事があるからですよね……」


「うん……今もお祖母ちゃんは呪い続けてる……あの部屋に閉じ込めておくしか……」


「俺、付き合いますよ……」


「学生……さん?」


「何年かかるか、いや、何十年かかるか知らないけど、付き合います、もう決めたんです……だからこれからもお世話に、」


そう言いかけた時だった。

俺の口は、何か柔らかいものによって塞がれてしまった。


何が起こったのか理解できなかった。

だが数秒後、それが小夜子さんの艶めかしい唇だと分かり、俺は頭の中が茹で上がりそうな勢いだった。


やがて小夜子さんが唇を離した。

薄暗い中、クモの糸のような細い線が、俺の口と小夜子さんの唇の間で微かに光る。


「ねえ、やっぱり引っ越す?」


突然、悪戯めいた顔でクスリと笑い小夜子さんが聞いてきた。


「日、引っ越す?ど、どこに?」


「私の部、屋……」


瞬間、急激に頭に血が登り、俺は自分の体を自分で支えられなくなり、その場にへたりこんでしまった。


「学生さん?学生さん!?」


小夜子さんの必死に呼びかける声が聞こえる。だがそれ以上に、今の言葉と、先ほどのキスが頭から離れない。


初めての事故物件は煙草のほろ苦い味と共に、そして初めてのキスは、どこまでも甘く、ほろ苦い……煙草の味がした。








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『黄昏荘の一時』 コオリノ @koorino

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