第4話「開かずの魔・前編」
友人の借金の肩代わりに、僕は借金取りから半ば強制的に、間借りというバイトをさせられる事になった。
曰く付きのこの物件に1年間住むことにより、宅地建物取引業法である、告知義務を解消するためのバイトだ。
最初はどうなる事やらと、不安な日々を送っていたが、そんな生活も早くも三ヶ月が経ち、季節は秋へと移ろうとしていたある日の事。
「学生さん」
喫茶店のバイト帰り、アパートの入口にあるポストに手を伸ばしていると、階上から艶のある声が聴こえた。
見上げるとそこには、このアパートの大家さんである小夜子さんが、くわえ煙草で此方に両手をヒラヒラさせ微笑んでいた。
短い黒髪に切れ長の目、顔色はお世辞にも健康的と言えないほど真っ白だが、それが何処と無く悲哀さをかもしていて、思わず美人薄命と形容したくなる。
何を言っているんだと言われそうだがともかく美人なのだ。
と言ってもただの美人ではない。
まずこの物件自体がただのアパートじゃない。
事故物件、所謂曰く付き物件と言われるこのアパートには、とにかく一言で片付けられない怪異が所狭しと棲みついているからだ。
たかだか三ヶ月そこらで、俺は最早一生分の霊体験をしたと言っても過言ではない。
まあ元々そう言うアパートだからこそ、裏バイトとしてここで厄介になっている身なのだが……。
ともかく、そんなアパートを管理する大家さんなのだからただの美人、というわけにはいかないのだ。
簡単に言えば視える人、だがその一言で方づられない底知れぬ不気味さを持ち合わせているのが彼女、小夜子さんなのだ。
今もこうして僕を見下ろし微笑む小夜子さんだが、その笑顔に隠し持つ……隠し……持つ……。
両手をヒラヒラさせながらそのまま両膝を折り曲げしゃがみ込む小夜子さん。
少し短めのショートパンツが、バイトで疲れた俺の目には眩しすぎた。
おおっ!あと少し!
「はい、サービス終了、学生さんちょっといい?」
「あっ……」
思わず短く返し俺は肩を落とした。
しまった罠だ。
こんな時の小夜子さんは決まってなにか俺に頼み事をする事が多々ある。
しかも決まってお化け案件だったりする事が多い……。
「えと……はい……」
俺は早々に諦めると、肩を落としたまま頭を下げ、階上で手招きする小夜子さんに誘われるまま部屋へとついて行った。
「お邪魔します……」
言ってから部屋へと上がり、俺は案内されるがまま部屋の中央にある丸テーブルの前に腰掛けた。
小夜子さんの部屋には何度かお邪魔したことがある。
だいたいが宅飲みに誘われた時だが、別段何かアダルティな出来事があった訳でもなく、終始俺が酔い潰されての繰り返しだ。
ふとテレビの台座に置かれた物に目をやる。
仁義なき戦いDVDボックス……。
目を逸らし壁に目をやると、今年横綱に昇進したとあるお相撲さんのポスターが飾ってある。
とても女性らしい部屋とは言い難い……。
神妙な顔をしていると、小夜子さんが冷えた缶コーヒーを俺に手渡してきた。
「はい、味気なくてごめんね」
「あ、いえ、頂きます」
受け取りながら頭を下げると、俺は頂いた珈琲を開け口に運んだ。
喉を潤し、俺は胸ポケットから煙草を取り出し軽く会釈する。
因みに小夜子さんの部屋は喫煙OKだ。
煙草を口に加えた瞬間、
「はい……」
小夜子さんがニコリと微笑み、煙草の先っぽにジッポの火を差し出してきた。
思わずその仕草にドキリとしてしまう。
ここに住む前は煙草をやめようと思っていたのに、この人のせいで以前のヘビースモーカーに逆戻りしてしまったのは言うまでもない。
「ありがとうございます……それでその、俺に何か用があるんじゃないんですか?」
照れ隠しながら煙草の灰を灰皿へと落とす。
小夜子さんは自分の煙草を取り出し、それを濡れそぼった様な淡い唇でくわえつつ火を灯した。
美人は何をやっても絵になるなと思わず見とれていると、
「開かずの間に一緒に来て欲しいの」
「開かずの間ですね、分かりま……えっ?」
「だから開かずの間、もう、ちゃんと私の話聞いてる?」
いや、聞いてるが開かずの間ってなんだ?
普段そんな単語使う事そうそうないぞ?
等と疑問に思いつつ、
「あの開かずの間って……?」
再度聞き直した。
「あら、ここの四階の部屋にある、開かずの間、知らない?」
いや、貴女は大家さん、俺はただの住人だと思わずツッコミたくなったがやめておいた。
話がややこしくなる。
「で、その開かずの間に一緒に来いと……?」
「うん」
そう返事を返し此方にニコニコと微笑む小夜子さん。
そんな”ね?簡単でしょ”みたいな感じで返事をされても……。
このアパートだぞ?曰く付き物件の総合デパートの様なこの場所にある開かずの間。
絶対に何かあるのは明白だ。
確かに小夜子さんの力になりたいとは思う。
よしんば付き合いたいという下心も勿論ある。
だがしかし俺だって自分の身が第一だ。
命あっての物種と言うじゃないか。
「お願い、学生さん」
両手を組み祈るような仕草で小夜子さんが俺の顔を覗き見る。
「行きます」
小夜子さんのお願いに即答を返した俺は、連れられるまま部屋を出て、件の四階開かずの間へとやって来た。
渡り廊下のくたびれた茶色の電灯が、時折バチッと音を立てながら、辺りに明暗を付けている。
日当たりの悪いせいか、窓から射す光も乏しく、まだ昼間の三時だと言うのに周囲は異様に暗かった。
「ここが……開かずの間?」
案内された部屋の前に立ち尽くし扉を見つめる俺。
だが、その視線の先に思いもよらぬものを目にしてしまった。
「滝村……?」
思わず呟く。
「そう、滝村さん」
小夜子さんが返事を返す。
が、俺が聞きたいのはそこじゃない。
「じゃなくて……誰か住んでるんですか……?」
「ええ、滝村さんが」
「開かずの間……ですよね?」
「そう、開かずの間」
だめだ、さっきから話が噛み合わない。
「いや、開かずの間って普通開けちゃダメだから開かずの間なんですよね?」
「うん」
「でも住んでるんですよね?」
「うん」
当たり前のようにさっきから小夜子さんは同じ様に頷いて見せる。
「あの……からかってます……?」
「失礼ね、私は真面目よ」
そう言って小夜子さんは頬を少しだけ膨らませた。
くっ……可愛いから許す。
「もうこの際だから何も聞きません……それで、僕は何をすればいいんですか?」
「扉を開けておいて欲しいの、絶対に閉じないように」
「そ、それだけですか?」
「うん、それだけ」
「は、はあ、分かり……ました」
「あっ」
何かを思い出したように小夜子さんがこちらを見る。
そしてさっきとは打って変わった顔つきで
「学生さんは絶対に中に入らないで」
と、まるで射すくめるような眼差しで言ってきた。
「は、はい」
気圧されるようにして俺は頷く。
「じゃあ、開けるわね」
ゴクリ、と思わず俺の喉が鳴った。
小夜子さんが扉に鍵を挿し込みドアノブを捻る。
ガチャりと鈍い金属音が静寂だった廊下に響く。
ギイっと、扉はまるで何年も扱われていなかったような、異様な音を立てながら開かれた。
微かに見える部屋の内部には闇が広がっていた。
外の光が僅かに差し込むも、暗闇はそれに負けまいとするかのように影を落としている。
見えない。
暗い、暗すぎる。黒いマジックで塗り潰したかのような異常な暗さだ。
陰影すら見つけられない。
僅かに見えるのは玄関先だけ。
ちょっとこの暗さはおかしくないか……?
現実離れした暗さに思わず目を見張り何度か瞼を擦って見せた。
小夜子さんはそんな俺にお構い無しに部屋へとそそくさと入って行く。
暗闇に掻き消されるようにして小夜子さんの姿が闇へと吸い込まれて行った。
俺は約束通り扉を手に持ち閉じないようにした。
何分か経っただろうか。
普通なら目が慣れてきて微かに見て取れるはずだが、暗闇はそんな俺の予想を嘲笑うかのように深まっていく。
明らかにこれは異常だ。
冷や汗が額を伝い、ポタリと小さな音を立て落ちた。
その時だった。
「きゃっ」
部屋の奥から小夜子さんの小さな悲鳴が上がった。
まずい、何かあったのか!?
そう思い俺は、
「小夜子さん!?」
と名を呼びながら部屋へと衝動的に足を踏み入れた。
その瞬間、
「だめっ!」
今度は小夜子さんの鋭い声が俺に向かって響いた。
「えっ?」
その言葉に疑問を投げ掛けた時だ。
「うっ!?」
言いもしれぬ吐き気が俺を襲った。
思わず口元を手で抑える。
寒気が全身を包み、一瞬で身体が凍り付くような感覚。
膝が崩れ掛け、やがて全身が粟立つような震えに襲われた。
「学生さん!?」
暗闇から小夜子さんが姿を現し俺の元へ駆け寄ってきた。
そして俺の肩を抱き寄せながら、
「しっかりして学生さん!」
耳元で声を張り上げる。
だが、俺の身体はそれに意を反するようにして動いた。
自分の意思ではない。
立ち上がり、小夜子さんの手を肩から払い、訳もなく突然走り出す。
背後から俺を呼ぶ小夜子さんの声が響く。
だが俺は振り向かず、いや振り向けないまま廊下を突き当たり階段を駆け下りた。
そして自分の部屋まで辿り着くと、乱暴にドアを開き土足のまま部屋へと上がった。
脚がもつれ転びそうになりながらも台所へと立つと、食器棚に置いてある物に手を掛ける。
それを掴み、俺は腕を振り上げた。
「学生さん!」
「えっ?」
そう呼ぶ声に思わず振り返ると同時に、振りかぶった俺の腕は何者かに掴まれていた。
小夜子さんだ。
掴まれた俺の腕に目をやる。
瞬間、手から鈍く光る物が滑り落ちるようにして床に転がった。
包丁だ。
「あれ……な、何で、俺……」
全身から力が抜けていく。
吐き気が嘘のように収まり、全身の震えも止まっていた。
崩れ落ちるようにしてその場に座り込む俺を支えるようにして、小夜子さんが抱きとめてくれていた。
頬を、冷たいものが伝い流れ落ちる。
「何……で」
俺は、泣いていた……。
──続──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます