第136話、疫災危機・ココンカカ




 血も凍る異様な気配を受け、クロノ達の視線は一点に集まる。


「ッ……ッ――――ッ…………ッ!」


 明らかに様子のおかしいニダイが、壊れた絡繰り仕掛けの人形のような動きを見せていた。


 その瞳の青も……濁っていく……。


 手にある片刃の宝剣により、このままでは侵入者を倒せないとされて、過去六度しか姿を見せなかった非常時の力がニダイを侵食する。


「――ウグッ!?」

「ッ――!?」


 ニダイの手にする片刃剣、そして失くした左の肩口に滲む『膿』のような色合いのドロドロとした魔力。


 カゲハが醜悪な邪気の気配に吐き気に襲われ、震えるミストが姿勢低く身を縮める。


「…………」


 怪訝そうに片眉を上げるクロノ。


 その淀んだ緑混じりの黄色は、気味悪く、醜悪で不快、そして悍しい。


「ッ……ッ!!」


 カゲハが溢れる瘴気に耐えられず膝を突く。


 周囲の僅かな緑も、生気を蝕まれて枯れていく。


「……ちょっと、洒落にならないな」


 ニダイのものとは全く異なるこの世のものとは思えない醜い魔力を前に、クロノが黒剣を握り直す。


「――ッ」


 瞬きの後、クロノの背後に……膿色の瘴気を纏ったニダイが現れた。





 ♢♢♢





 ……


 ………


 …………





 ソーデン家の屋敷では【踊るニ刃】の索敵で得た情報などを元に会議を開こうとしていた。


 セレスティアとモッブ、そして領主のレンドやラギーリンといった少数のみが集まり、顔を突き合わせること僅か数分。


 王女が何の前後の繋がりもなく、ある質問をレンド達に投げかけた。


「……ニダイの……弱点、ですか……?」

「何故、そのような事をお訊ねになられるのでしょうか……」


 暫く言葉が出なかった二人。


 答える前にと、ラギーリンが理由を聞きたいと訊ねてみた。


「如何なる状況をも利用しなければ、外敵も潜む危険も排除出来ません。その選択肢の一つとして、可能ならばアレを倒したいのです」

「…………」

「それは……何とお伝えすればいいのやら……」


 確かに、町の外にいる魔王軍や内にある裏切り者を考えれば、最善であろうセレスティアの策の為とあれば最大の情報を提示すべきだ。


「……ニダイは、現状では打倒不可能です」


 なので、レンドが難しい顔付きで目を閉じ、否応無く語り始めた。


「不可能ではないでしょう? 二年前には、ソッド達に勝機があったからこそ宴に臨んだのでしょうから」

「確かに……。……正確には、ニダイには倒し方があり、その条件を満たすことが出来ないという意味です」

「…………」


 “倒し方”、不穏なその言葉にセレスティアとモッブの顔付きが険しくなる。


「……【沼の悪魔】と同じく要監視対象のニダイに倒し方があるなど、初耳なのですが?」

「ニダイはあそこから決して動けません。なのでこの事実は歴代のライト王陛下にのみお伝えする程度なのです」

「そうですか。では要点を抑えて、重要なことのみを教えてください」


 妙な胸騒ぎを感じたセレスティアが、焦る内心を隠して平然とした様子で告げた。


「はっ。……ニダイを倒すには、ニダイの剣技を上回る必殺の一撃……もしくは不意を打った攻撃のみが有効とされています。どちらにせよ、あの剣に気付かれる・・・・・・・前に仕留めなければなりません」

「……剣に気付かれるとは? あの剣には自我があるのですか?」


 ソーデン家の祖先である王家の秘宝、『宝剣グレイ』。その剣の名くらいは知っていたが、魔力を込めればあらゆるものを塩と化せるくらいの知識しか無かった。


「自我とは異なります。あれは……とある太古の存在が流した血液を吸わせて打たれています。ニダイはあの剣を外に出さない為にあそこに留まっているのです」


 物言いや語り口から、一般的に耳にする歴史とは違うのだろうとは分かる。


 だがセレスティア達の関心を引くのは、ある太古の存在のくだりであった。


「我等人類では傷付けることはおろか、相対することすら叶わない神代、古代の存在。それと別にありながら同等の強さを誇り、それ以上の暴虐を生む忌むべき存在……」


 レンドの言葉を引き継ぐかのように、ラギーリンが冷や汗を流して小さく呟いた……。


「……悪魔……」


 その悪魔は山程もある巨体で地上に現れた。


 塩の悪魔――“ゾ=ウルト”。


 身体中にある不気味な模様や空虚な眼光は、目にしたものの魂を汚染し、死すら許さず悪戯に生命を狂わせる。


 吐息や魔力を浴びたものは抗うことなく塩となる。


 三つの国を滅ぼし、大地や大気をも存分に汚した大災厄だ。


「当然ですが既にゾ=ウルト自身はいません。剣と正式に契約を交わした訳ではないので、普通の状態ならばニダイと真っ向から勝負ができます。その時のみ機会が生まれます」

「…………」

「真に恐れるべきは……ニダイが封じているのは、剣に吸わせたゾ=ウルトの血に潜む眷属達なのです」


 太古の魔物を喰らい、数多の人間を殺し、ゾ=ウルトと共に悪意のままに暴れ狂った五十三の眷属。


 玩具同然に生命を弄び、人の限界を超えた悪虐を行い、地が揺らぐ程の苦痛の悲鳴が絶えず響いたと言う。


「過去、宝剣グレイがニダイでは勝てないと判断して眷属を解き放ったのは六度のみ。多くが国軍による大規模なニダイの捕縛作戦によるものです。そして現在までに確認されている眷属は四体」


 屈強にして常勝不敗の軍を片手間に壊滅させ、周囲にも甚大かつ凄惨な傷痕を残した眷属達。


「四体のどれが現れようとも……絶望的です……。別次元の存在であるゾ=ウルトの瘴気を宿している以上、討伐は絶対に不可能です。標的が去るまであの結界内でその猛威を振るい続けます」

「中でも群を抜いて最も危険なのは……」


 対面する二人の身の毛もよだつ説明に、朧げな予感は明確な焦燥へと移り行く。


 蝋燭の小さな灯りに照らされたセレスティアのこめかみから、冷たい汗が流れる。


 ドクドクと煩く耳に響く鼓動が、深刻な会話の邪魔をする。


「……二の眷属である“疫災危機・ココンカカ”。主であるゾ=ウルトに次いで太古の生命を惨殺した強力無比なる怪魔です」


 その時、――――大地が揺らいだ。


「ヌオッ!?」

「うわぁっ!?」


 突如として発生した衝撃に、レンドやラギーリンは恐慌してしまう。


 無意識下で、死んだと思っていたシーバー山が噴火したのだと思い違いをしてしまったが故に。


「ッ…………今のは……」


 セレスティアの顔にも、いつもの余裕など少しも残ってはいなかった。


 そして、それは屋敷の外で再び戟を扱っていた者も当然同じで……。


「…………」


 一息に駆け抜けた戦慄の衝撃に、アスラの眼光もより鋭くなる。


 鬼の視線は、惑わずニダイ湖へと向けられていた。





 ♢♢♢




 …………


 ……


 …







 古城にあった人影が、塔の一つへとすっ飛ぶ。


「クロノ様ッ!!」


 その速度は崖上で遠目から見守るカゲハが見失う程であった。


「ッ……」


 重い音を立ててクロノが着地した塔の側面に、小さな魔術陣が五つ現れる。


 遠い過去から湖に沈む城を護る魔術が、塔の損壊危機を感知して発動した。


 瘴気纏いのニダイが繰り出した剣撃により、黒剣の艶やかに光る刃からは煙が上がっている。


「――ッ!」


 真下から跳ね上がって来たニダイの剣に飛ばされ、剣戟を繰り広げながら垂直に塔の側面を登っていく。


 そして無茶苦茶に振るわれる片刃剣が一際強くクロノを右方へと弾く。


「……キキッ……」

「ん……?」


 耳にするのも苦痛な嘲笑にニダイの左肩に目をやると、吹き飛ばされるクロノを見つめる不気味な複眼が二つ。


 肩口より瘴気を溢れさせながら、醜悪極まりない怪魔が顔を覗かせていた。


 大きな複眼でクロノを見つめ、人のような歯を剥き出しにして嗤っていた。


「グゥッ!?」


 ぞわりと怖気がカゲハを襲い、悪心も一気に酷くなる。


「……ペッ!!」


 疫災危機ココンカカが、瘴気の巨大な球体を吐き出した。


「っ、――フッ!!」


 即座にポケットから焦げた十字架型の魔道具を取り出したクロノが魔力を注ぎ込み、――――灼熱の炎を解き放つ。


 その熱量は現代ではほぼ再現困難な程である。


 だが――


「――うおっ!?」


 反対側の塔の上へ着地したクロノがすぐ様跳び退く。


 直後、炎を喰った・・・・・膿色の塊が通過する。


(……一応、壊れないくらいに多めに魔力を込めたつもりなんだけど。…………ッ!?)


 離れた崖の中腹を円形に溶かした瘴気球を目にして内心で嘆くクロノへと、ボコボコとした瘴気を纏う片刃剣が振り下ろされる。


 だがニダイが斬った訳ではない。


「キキキキキキキキキキキキキキキキッ」


 生物とは思えない酷く掠れる声で、酷く愉快げに嗤うココンカカが細く長い人の掌の形をした虫の五指で塔を掴み、瘴気の身体を伸ばしてニダイを乱暴に振り下ろしていた。


「キキ…………キィィ――――――――ッ!!」


 哄笑を上げ、ドクドクと瘴気をニダイを経由して剣へと送り込む。


 その勢いは凄まじく……。


 ……黒剣で受けたクロノが着地したと同時に、古城が微かに沈む。


 と同時に、溜まりに溜まった瘴気は奔流となって剣先から放たれる。


 膨大な瘴気の解放を感じ、咄嗟に片刃剣を受け流したクロノが黒い斬撃をココンカカ本体へと放つ。


「……キィ?」


にたぁっと、首元から両断されたまま嗤うココンカカ。


少しも痛手もなく、瘴気により繋がってしまう。


「――キキッ!!」


 城の上へ跳び退いたココンカカが、跳ね返るゴムのようにしてニダイを戻し、今一度肩口へ帰る。


 狡猾、醜悪、下劣……。それらに相応しい立ち居振る舞いであった。


「…………」


 ふと妙な悪寒を感じたクロノが、背後を振り向く。


 それは町のある方角とは正反対。


 緑豊かな森が広がっていたそこは……。


「…………」

「……なんだと……」


 ……崖と共に、その先の森が瘴気の奔流に晒されて抉られ、中央の通過跡より次第に……腐っていく。


 カゲハやミストが目を見開く。


 やがて結界魔術の効果により瘴気は死に耐え腐敗は収まり最小限の被害に止めるも、ココンカカの脅威の高さは計り知れない。


「…………ッ!!」


 殺到する瘴気球の数々に、向き直ったクロノが黒剣を振るう。


 三日月状の斬撃をいくつも作り出し、瘴気を迎え打つ。


 しかし瘴気はまるで意思でもあるかのように隙間を突いてクロノへと降り注ぎ、


「ッ、くそっ!!」


 剣に宿した魔力を黒炎のように薙ぎ払い、更に大規模に滅するも、防ぎ切れないものからクロノへと纏わり付いていく。


「なっ!? く、クロノ様っ!!」


 ふらつくカゲハが飛び出そうとするが、瘴気漂う中心へはミストですら辿り着けず、崖上を数歩歩んだだけで気を失いそうになっていた。


 そして絶え間なく吐き出していたココンカカが止まった頃には、そこには瘴気の繭が完成されていた。


「…………」


 だがココンカカは、じっと面白そうにその複眼で観察する。


 なんとこの人間はドラゴンさえ喰い殺す瘴気に耐え、渦の中で未だに剣を振り回しているのだ。


 多種多様な疫病を振り撒き、人間を狂わせ、貪り喰らうココンカカの瘴気の中で。


 ココンカカが通り過ぎるだけで惨鼻を極める光景が広がり、古の生命は何十万と絶望していたというのに。


「…………」


 にたりと悍しく口の端を釣り上げて嗤うココンカカ。


 長い時の間でさえ二度しか外に出られなかったココンカカは、宝剣グレイの中で考えた。


 この結界魔術は自分達ゾ=ウルトの眷属には破れない。


 ならば自分達以外にやらせればいい。


 そしてやっと好機が巡って来た。


 いい具合にそこそこ強い・・・・・・この男を操り、外から結界を壊させよう。


 早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く――


 ココンカカを構成する瘴気に潜む微細な蟲達が、再び新鮮な生物を貪れると歓喜に騒ぐ。


 共鳴するが如く激しくなった膿色の瘴気の渦から、黒剣がこぼれ落ちる。


 儚い音を立てて、水面に落ちる。


 足掻いていた人族の動きが鈍くなり、頃合いとばかりにニダイの肩口のココンカカが……自ら飛び出した。


 蛇のように瘴気の身体を唸らせ、体内で傀儡とせんと人の歯を思わせる口を開いた。


 涎を垂らし、かつて体内で響き渡ったあの・・苦しみに狂う絶叫を思い起こして。


 だが……標的を目前に愉悦を禁じ得ないココンカカの笑顔が引きつる。


 ――瘴気の塊から、右拳が突き出る。


 遥か昔より嘲笑を貫いていたココンカカは、口内に侵入していく力の塊に魂が凍り付く。


「キキッ――――」


 その人族の持つ純粋にして絶大なる力は、その人族の持つ唯一無二の技により一片も漏らすことなく昇華される。


 打ち込まれた拳によりココンカカは内部から容易く蒸発し、初めて覚えるが故に耐え難い恐怖に蝕まれながら完全に滅び去る。


 数多の命を貪って来た邪悪な瘴気は弾けるように消滅し、結界など一瞬の内に破裂、頑強な塔は湖に沈む城ごと一気に破壊されてしまう。


 一撃に込められた果てなき力は地上の調和を破り、周囲を破壊し、それでも尚も広がっていく。


「ッ――――」


 瞬間的に拡散した圧力に砕ける湖を取り囲む崖。


 その上で明白な危機を感じ取ったミストは反射的に霧と化し、カゲハは死の予感を感じて慄き尻餅をつく。


「――――」


 肩口のココンカカを消失したニダイは、吹き飛びながらも瞳の青を取り戻し、即座に身体を回転させて片刃剣を縦に振り下ろす。


 剣技により生み出された青き線は異常なる衝撃の余波を見事に斬り裂き、ニダイの身から退ける。


 割られて密度の高くなった圧が、ニダイの両側を轟々と通り抜ける。


 ピクリと、それを目にしたクロノの眉が跳ねた。


「…………」


 余波に痺れていたニダイは身動きが可能となってすかさず、侵入者を排除しようと青き視線を向ける。


 だがその時には……既に男は高く跳び上がっていた。


「――よっ」


 ひび割れた崖上に帰って来たクロノが黒剣を地に突き立て、瘴気に焼かれてボロ布のようになった上着を破り取り、火の魔道具で焼き払う。


 カゲハは目の前で起こった理解不能の現象から立ち直れず、放心状態のままへたり込んで主人の背を呆然として見つめる。


 その背はもはや魔王とも呼べない、未知なる存在のもの。


 これまで目にして来た洗練された剣技ではない、それさえも小さく霞んで消えてしまう圧倒的な力。


 カゲハは瞬刻の内に起こった出来事を、脳内で懸命に纏めようと苦心する。


「……ふむ? ふむふむ」


 そんなカゲハを余所に、腕組みをして佇む不敵なクロノ。


 未だに瘴気による煙を上げるも無傷でしかと立ち、湖を見下ろすクロノは思う。










(……えっ? 異世界の寄生虫、ちょっと強くね……?)







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