第164話 花火と後輩ちゃん

 

 俺たちは夜の砂浜に来ていた。これから花火をするらしい。


 真っ暗な夜の闇の中に、ザーザーと波の音が聞こえてくる。


 念のため点呼を取り、全員そろったことを確認した桜先生は、大人しく整列して座っている俺たちに注意事項を述べる。



「はーい! ちゅーもーく! 今から花火をしまーす! でも、その前に注意事項! その1、行方不明になったら大変だから目の届く範囲にいること! その2、流されて死んじゃうかもしれないから海には決して近づかないこと! その3、危険だから花火を振り回して遊ばないこと! その4、ゴミをポイ捨てしないこと!」



 桜先生が真剣な顔で、指を立てて数字を表しながら注意する。



「どれか一つでも破った人がいた瞬間、花火を中止し、正座させてお説教して反省文書かせるから! みんな分かったかしら?」


「「「「はーい!」」」」



 俺たちは小学生のように元気に素直な返事をする。こういう所は息ぴったりで仲良しクラスだ。


 素直な返事を聞いて、桜先生が満足そうに頷いた。



「では、はじめー!」



 俺たちは立ち上がって、各自花火を手に取って火をつけていく。


 すぐに、花火の炎が噴き出し始めた。あちらこちらで様々な色の輝き、賑やかな笑い声が聞こえてくる。


 俺は線香花火をいくつか手に取ると、クラスメイト達から一番離れた蝋燭の前に陣取る。


 ユラユラと揺れる蝋燭の炎を見ていると、何故か心が癒される。


 俺は、線香花火に火を灯し、すぐに花火からバチバチと火花が散り始めた。


 たった一人で線香花火を見つめ、火花を眺め続ける。


 弾ける火花が闇夜で綺麗に輝いている。………あっ、もうダメになった。


 二本目に火をつけていたら、誰かが近づいてきて、同じように線香花火に火をつけ始める。



「弟くん。一人でどうしたの?」


「桜先生……いや、姉さんでいっか。まあ、うん、特に理由はないけど……」



 俺は少しの間、桜先生と無言で線香花火を見つめる。


 パチパチと火花が散って綺麗だ。



「妹ちゃんは……まだダメ?」



 桜先生が線香花火を見つめたまま問いかけてきた。


 俺は無意識に首を動かした。視線の先には後輩ちゃんがいる。どこにいるのかわかっていなかったのに、ふと見た場所に後輩ちゃんがいるとは………。


 後輩ちゃんも俺の視線に気づいた。


 でも、プイっと顔を背けられる。


 はぁ、と俺は息を吐き、線香花火に目を向けたけど、その体の動きが影響して、線香花火の火の玉が地面に落ちてしまった。


 再び、はぁ、とため息が漏れてしまう。



「思いっきり避けられてる。今も顔を逸らされた」


「まあ、妹ちゃんも怒ってはいないんだろうけど……」



 桜先生も何とも言えない表情だ。


 俺は今、後輩ちゃんから距離を取られている。一定の距離に近づいて来てくれないし、視線は逸らされている。喋ることすらできない。


 原因はババ抜きの罰ゲーム。公開告白だ。


 ちょっとやり過ぎちゃったみたいです。後輩ちゃん気絶しちゃったし。


 目覚めた後輩ちゃんから物凄い勢いで距離を取られたのは地味にショックだった。


 また後輩ちゃんに視線を向けると、再びプイっと顔を逸らされる。


 照れとか恥ずかしさなんだろうけど、結構ショックだ。


 桜先生と二人っきりで花火を楽しむ。


 しばらくして、桜先生の線香花火が終わる瞬間を見計らって、俺は話しかけた。



「取り敢えず、後輩ちゃんが落ち着くのを待ってみるよ。姉さんはお仕事頑張ってください」


「……そうね。お姉ちゃんが居たら妹ちゃんも来にくいわよね。じゃあ、お姉ちゃんはお仕事頑張ってきます!」



 ふんす、と鼻息をし、可愛らしくガッツポーズしたポンコツ教師の姉は、生徒の見回りというお仕事に戻って行った。


 俺は再び一人で線香花火を楽しむ。


 線香花火を一本、二本、三本、四本、と楽しんで、五本目に突入しようかという所で、ドンッと背中に衝撃があった。


 屈んで丸くなった俺の背中に、柔らかな感触と重みが感じられる。


 誰かが俺の背中に座ったのだ。


 ふわっと心地良い甘い香りが漂ってくる。



「やあ、俺の可愛い彼女さん。ご機嫌はいかがかな?」



 俺は振り返ることなく、座った人物に声をかけた。



「どうだと思いますか? バカな彼氏さん?」



 綺麗で澄んだ後輩ちゃんの声。決して振り向くな、という感情を感じる。



「恥ずかしい」


「………正解です」


「嬉しい」


「………正解です」


「俺は馬鹿だ」


「………正解です」


「俺が好きだ」


「………正解です」



 後輩ちゃんは淡々と答える。でも、淡々とした声音は、恥ずかしさでどうにかなりそうだから、無理に抑えているだけだ。


 今も油断すると頬が緩んで仕方がないはずだ。


 俺は線香花火に火をつける。パチパチと火花が散り始める。


 しばらくして、俺の背中に座った後輩ちゃんがボソッと文句を言い始める。



「どうしてあんなことをしたんですか? クラスメイト全員の前で公開告白だなんて! しかも、私を抱き寄せて、決め顔までするなんて! 私、どうにかなっちゃうのかと思いました! 一瞬だけですけど、先輩は本気を出しちゃうし! もう、先輩がかっこよすぎて心臓が破裂するかと思いましたよ! どうしていつものようにヘタレなかったんですか!? そこは安定のヘタレっぷりを見せてくださいよ! このヘタレ! ばか! あほ! ヘタレで根性なしの意気地なし!」



 プンスカ怒っている後輩ちゃん。徐々に声が大きくなっていった。


 だって罰ゲームだったし。『部屋の中央で愛を叫ぶ』という俺が考えた罰ゲームだったし。



「………でも、あそこでヘタレていたら、それはそれで怒るだろう?」


「はい! 怒ります!」



 ………じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ。どっちにしろ文句言われるじゃないか。今までヘタレていた俺も悪いけどさ。


 背中に後輩ちゃんのお尻を感じながら、パチパチ弾ける線香花火を眺め続ける。


 近くには誰一人近寄ってこない。俺と後輩ちゃんの二人だけだ。



「………告白したことは謝らないぞ」



 気持ちは本物だ。だからこそ、告白したことは謝らない。後悔は微塵もない。


 クラスの男子たちに後輩ちゃんは俺の彼女だとアピールする意味合いもあった。


 全ては俺の我儘で独占欲だ。



「わかってますよ。謝られたら私は激怒してますし」



 俺の心の中をすべて把握している後輩ちゃん。俺も後輩ちゃんの心の中は良く知っている。


 お互いに気持ちは通じ合っている。今も昔も…。



「先輩」



 唐突に、後輩ちゃんが俺に呼びかけた。



「んっ」



 後輩ちゃんの言いたいことがわかっている俺は、後ろに手を差し出す。



「ありがとうございます」



 俺が差し出した線香花火を受け取って、後輩ちゃんが俺の背中から立ち上がった。


 そして、俺の目の前にしゃがみ込んだ。


 俺たちは一緒に線香花火に火を灯す。


 二つの線香花火から火花がパチパチと弾け始める。


 チラッと後輩ちゃんを見ると、蝋燭と線香花火で赤く照らされた美少女が、耳に髪をかけていた。


 俺は少し見惚れてしまったけど、恥ずかしくなって再び線香花火に視線を戻す。



「あっ……」



 どっちの声だっただろう? 俺か? 後輩ちゃんか? それとも両方か?


 同時に線香花火の火の玉が地面に落ちてしまった。


 蝋燭の小さな明かりに照らされた俺たちは、思わず見つめ合って微笑み合う。


 突然、目の前の後輩ちゃんに言いたい言葉が思い浮かんだ。


 言いたくて言いたくて仕方がない。今すぐ伝えろと心が叫んだ。


 偶然か、必然か、はたまた運命か……。俺たちは同時に口を開く。



「好きだ」


「好きです」



 二人っきりの愛の語らい。


 闇夜に煌めく小さな蝋燭の炎。その小さな炎だけでは、後輩ちゃんの顔色はわからなかった。


 たぶん、俺と同じように真っ赤になっているだろう。ただ、微笑んでいることだけはわかる。


 俺は立ち上がり、愛しい彼女に手を差し出す。


 さっきまで俺を避けていた後輩ちゃんは、拒むことなくしっかりと手を握って立ち上がった。


 そして俺たちは手を繋いだまま、新しい花火を取りに行くのだった。


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