第102話 家出した先輩

 

 先輩が今日から三日間家出する。



「今日の分のお昼ご飯は用意してあるから。冷蔵庫の中に入っているからね。パンもある。缶詰もある。インスタントもある。三日間頑張ってくれ」



 嫌です。私に意地悪しないでください。私が悪かったですから。



「むぅ~~~~~~~~~! 行っちゃダメです!」



 今日は朝からずっと抱きついているのに、考えを変えてくれない。先輩の頑固者!


 あぁ…先輩の香り、先輩の温もり…安心する。離れたくない。


 頭をポンポンしてくれる。わーい! って喜んでいる場合じゃなーい! これが三日もなくなるなんて私には耐えられない! 無理! 私死んじゃう!



「たったの三日だから、な?」


「嫌です。謝るから許してください。何でもしますから!」



 何でもする。あんなことやこんなことでもなんだってする。エロいことも頑張りますから! だから、行っちゃダメです。



「じゃあ、三日間頑張ろう!」


「………………先輩のいじわる」



 うぅ…想像しただけでも涙が出て来た。先輩のバカ! あほ! ヘタレ! そんなに後悔した顔をするなら家出なんかしなくていいじゃん!


 荷物を持った先輩が抱きついた私を引きずりながら玄関へと向かっていく。涙が止まらない。行っちゃやだぁ……。


 でも頑固者の先輩は考えを曲げないらしい。仕方がないから諦める。



「ぐすっ……三日間だけ……我慢します…ぐすっ…早く帰ってきてください」


「……あぁ…行ってくる」



 キスをしてくれるけど、そんなに嫌そうなら行かなくていいじゃん!


 でも、先輩はドアを開けて出て行ってしまった。ガチャリ、と目の前でで閉まったドアの音が虚しく消えていった。そして、突如襲ってくる喪失感・寂寥感・空虚感・孤独感・虚無感・罪悪感。


 私は膝から崩れ落ちた。涙がどんどん溢れて頬を伝っていく。今すぐにでも先輩を追いかけて抱きつきたい。でも、今回は私がはしゃぎすぎたのが悪い。先輩のことを考えずに自分だけ盛り上がってしまった。だから、これは私に対する罰。



「せんぱいのばかぁ…」



 私はしばらくの間玄関で泣いていた。


 ▼▼▼



 ガチャリと玄関のドアが開いて誰かが返ってきた。



「………………ただいまぁ」



 お姉ちゃんの声だ。沈んで元気がない。リビングに入ってきたお姉ちゃんは、目は虚ろで見るからに落ち込んでいる。先輩が家出したのが相当ショックらしい。


 リビングに座る私を見てお姉ちゃんの動きが止まる。



「妹ちゃん? 死んだような虚ろな目をしてなにしてるの?」


「………………なにって、先輩成分の補給です」



 お姉ちゃんがびっくりするのも仕方がない。私は今、先輩のタンスから洋服を引っ張り出し、床にぶちまけ、その上に寝転んでいるから。


 ついでにベッドのシーツと枕も拝借している。先輩がいないから、一時的な救済措置だ。こうしないと私死んじゃう。



「妹ちゃんが手に持っているものは何?」


「先輩のパンツ」


「洗ってあるやつ?」


 ニコッ♪


 洗っているのか洗っていないのか。それを使って何をしていたのか。全てご想像にお任せします。神のみぞ知る。いや、私のみぞ知る。



「もう一枚あるけど、いる?」



 仕事が終わって疲れているお姉ちゃんに一枚のパンツを差し出す。当然、洗っているのか洗っていないのか、私のみぞ知る。


 一瞬の迷いもなくお姉ちゃんは即答した。



「いる」



 やっぱりお姉ちゃんも先輩成分が枯渇しているようだ。パンツを手に取ったお姉ちゃんの瞳に少しだけ光が宿る。


 はぁ…先輩、早く帰ってきて。私たちもう死にそうです。助けてください。


 夕食はお姉ちゃんが買ってきたお弁当。お店で作っているお弁当は久しぶりだ。



「「いただきます………………………………まじゅい」」



 いや、美味しいは美味しいんだけど、先輩の料理で舌が肥えた私とお姉ちゃんには不味く感じる。脂っこく感じる。ちょっとべちゃべちゃだし。



「先輩……早く帰ってきて」


「弟くん……妹ちゃんとお姉ちゃんは弟くんがいなくちゃダメなの」



 先輩のありがたさがよくわかる。料理も洗濯も掃除も何もかもできない家事能力皆無の私たちは三日ももたない。


 もう先輩なしではいられない身体になってしまった。責任取ってください!


 何とかお弁当を食べ終え、お姉ちゃんと一緒にシャワーを浴びて、二人で先輩のいない部屋でボーっとする。先輩の枕とシーツとパンツだけが癒しだ。



「弟くんはどこに泊まってるの?」


「裕也先輩のところ」


「鈴木田君ね」



 沈黙が訪れる。先輩がいないと部屋が静かだ。そして広く感じる。とても寂しい。



「弟くんから連絡は?」


「送ったら即座に返信してくれるよ。ほら」



 お姉ちゃんに先輩とのやり取りを見せる。もう既に今日だけでも大量にやり取りしてる。お姉ちゃんは先輩とやり取りしてないのだろうか?



「ほんとね……でも、メールだけじゃ足りないわ。この罰はきついわね」


「うん。でも、これはお試しでもあるんだって。お姉ちゃんも出張とかあるでしょ? その時に、お互い離ればなれで生活できるのかって」



 お姉ちゃんが出張という言葉に絶望する。


 先生たちは泊りがけの出張なんて少ないけど、修学旅行の引率とかあるから。


 この反応を見ると今気づいたみたい。



「そうだった。そういうのもあるのよね。私、ダメかもしれないわ」


「お姉ちゃん。ダメかも●●、じゃないの。ダメなの。私たちは先輩がいないと生活できないの!」



 私とお姉ちゃんは先輩の枕とシーツとパンツを握りしめ、天井を見上げて弱々しく呟く。



「先輩……」


「弟くん……」


「「早く帰ってきて!」」



 私たちは一日も経たずに限界を迎えた。



 結局、先輩が帰ってきたのは次の日の午後だった。


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